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シャイアンはこの世に生まれ落ちた瞬間から美しい男児であった。
絹糸のように柔らかく艶を誇る髪、びっしりと生え揃った睫毛、潤む瞳は宝石のように輝いて、思わぬ僥倖とばかり両親を狂喜させたという。
正直なところ、両親に似ない子供であったことは間違いない。しかし初婚で処女の母の腹に新婚直後に宿った子供である。シャイアンが両親の実子であることには本人達は勿論のこと第三者の目をもってしても疑う余地がなく、いずれかの祖の美しい部分だけが全て繋がって生まれたのだろうと言われた。
その上、さほど泣かず暴れず大人しい幼児は周囲の大人に羨ましがられることにもなる。
数年経ち、言葉も早く足腰もちゃんと育っているからと少しばかりの体術を教わり小刀を渡されて思わぬほどの才能を見せるだに、大人達は天才だと褒めそやした。
美しく、技量もある子供だなんて素晴らしい。
両親も狂喜乱舞し、この子供を与えてくれた神に形ばかりの感謝を捧げたのだった。
さて、そんな状況をよそに当人はどうであったのか。
シャイアンはといえば、騒ぐ周囲をして凪いだような子供であった。
親が、大人が喜ぶから笑顔を浮かべる。大人しくする。暴れない。
全てが子供としてはまったく不適格で、当時シャイアンの異様さを少しなりとも気が付いたのは乳母くらいのものである。
しかし「子供として多少のおかしさがある」と子育ての先人たる乳母が訴えたところで両親はそれを黙殺した。シャイアンは美しく生まれていたし、何より前述のとおり大人達の顔色を窺うだけの賢さがあったからこそ全てを覆い隠せたのだ。
結果として乳母は替えられ、シャイアンは淡々と大人達の反応を吸収し、彼らの望む反応を鏡のように返した。そうして、更に数年──。
家鴨の中に生まれた白鳥の如く抜きん出て美しく育つシャイアンが無事でいられたのは、宗家ライジャリーという名は勿論のこと、本人の能力によるものでもある。
齢八つの頃、シャイアンは初めて人を殺した。その美しさに邪な思いを抱いた分家の男に拐かされかけ、持っていた小刀で相手の頸を切り裂いたのである。
シャイアンは大慌てでやってきた父に小さな声でこう言った。
「父様に教わったとおりに、しました……。ありがとうございます父様……」
「なんてことだ! よくやったぞ! お前はよくやったともシャイアン!」
血濡れの小刀は父が渡した初めての得物だった。それをきちんと使って成果を得たのだ、これには騎士だった父も発奮し、ますます我が子を褒め称えた。
当然この出来事は騎士の子供として賞賛されて然るべきものではあった。『子供とはいえ騎士の血、敵に穢されて生きるものにあらず』。まったく旧態然とした思想と言える。だが、シャイアンには味方するものであった。
羽虫を羽虫としてバチンと殺しただけ。
元々問題のある男だったのだ。技量もないのに分家嫡男であるというだけでのうのうとやってきてはシャイアンを舐めるように見る。
(じゃまだな)
だからシャイアンは叩くことにしただけ。虫のように、感慨もなく。
だって、虫だから。
結果として責任を追及された分家は潰れ、その家にあった騎士団はライジャリー家が引き取ることになった。騎士達の食い扶持が余分にかかるようにはなるが路頭に迷う無辜の騎士が出ず、懐の広いことよと父の社会的評価が上がったので問題はない。
上機嫌の父は気付くことはなかった。シャイアンに人間の急所とそこへの攻撃の仕方を教えた覚えはないという事実に。
人間は事実がなくてもそうと記憶に織り込んで現実だと勘違いしていく。シャイアンは父の記憶に刷り込んだのだ。
『父様に教わったとおりに、しました……。ありがとうございます父様……』
息子からの感謝を得て、父は満足するだろう。そしてシャイアンを更に懐に抱き込むと決まっていたし……、実際そのとおりになった。
その後すぐシャイアンには正規の騎士としての鍛錬が始まり、その成果は言うまでもない。立派な家名と派手な経歴とを持ちながら常に大人しく冷静なシャイアンは評判もよく、すぐに王家の耳目にも届いた。
「王子と歳の頃も合おう」
王子は八、シャイアンは十。父はこの僥倖に足が浮いたようにしている。
(面倒だな)
はっきりと、シャイアンはそう思った。
シャイアンからすれば何故同じ歳頃の子供達が泣き喚いて暴れるのかわからない。周囲の評価を聞くに、王子とてその点は変わらないだろう。子供らしい子供──、己の弟達とも頻繁に交わらないシャイアンに、相手が王子だからといって違いがあるだろうか。
否、ありはしない。とはいえ、虫のようには潰せない。
(面倒だな)
けれど全てはシャイアンを押して流れるだけの現象だ。今までもそうだったではないか。
「誉れだシャイアン! 王子によく仕えよ!」
「はい、父上」
いつもどおりにっこりと、シャイアンは父に穏やかな笑みを返した。
予想のとおり闊達……、というや歳頃らしく喧しい王子にシャイアンは辟易したものの、それは裏に包み隠してひたすら従属する日々を過ごすことになる。
王子に気に入られなければ元の生活に戻れたのだろうが、何をどうしたか王子はシャイアンを気に入ったし、周りもシャイアンの存在を許容した。どれもこれも今の今までシャイアンが培った外面の為せる技で、当然の事態であろう。
シャイアンはすっかり金の卵だった。ライジャリー家にとって、騎士という職にとって、王家にとって。シャイアンはこの国の〈成功〉の目に見えたしるべだ。だから誰も彼もがシャイアンに甘い。
この先ずっと、こうして惰性のまま生きていくのだと思っていた。その日まで、そう思っていた。
しかし微温湯に浸って二年、運命の日は唐突にやってくる。
「姫様の御誕生です!」
そう王城が揺れた日、シャイアンはいつもどおりに王子に付き従っていた。
「妹か」
そう言う王子は嬉しそうだったが、数日後には様子がおかしくなっていた。
そもそも王女の誕生は本来祝われて当然のことであったが、王城は何故か混乱に陥っていたのだ。王子の変調もそうしたことかと思ったが、どうやら様子が違う。
「殿下、私も姫様にご挨拶差し上げたく思いますが」
父に探るよう示されたこともあり、そう願い出れば意外にも早々の許可が出、シャイアンは王子と共に子供部屋へと向かうことになった。
居室は嬰児のものとはいえ、王女身分を思えば当然なほどに広い。しかし、寒々しい。侍女が明らかに少ないのだ。思い返さずともここまでの道のりにだって人が少なかった。
(冷遇)
もしやすると王補妃の不貞の証でも生まれたか。ふと過ぎった予想を脳裏に押しとどめたままのシャイアンに、王子は歩をとめて指をさした。
「……それだ」
明らかに、王子までもが王女を遠ざけている。
(面倒なことになってきたな)
思いつつ、シャイアンは嬰児用の寝台に近付いた。おくるみに包まれた小さな生命は誰かが近付いたことに気付いたのか、小さな手を懸命に伸ばしている。
思わず、といった態でシャイアンは指先を差し出した。それを握った手は柔くまろい。
うっすらと生えた産毛は黒、その肌は生まれて幾許かだというのに白く、不機嫌そうにぎゅうっと閉じたのちに開かれた瞳はつやつやと瑞々しく──。
「ああ、なるほど」
ほう、と呟いた言葉に王子の肩が揺れたのがわかった。
なるほど、シャイアンは今見定められているのだ。王子を取るのか、王女を取るのか。一挙手一投足を今、余人に見定められている。
(愚かなことだ)
だが、愚かだからこうしてシャイアンを引き合わせた。愚かで矮小で、つまり小心ゆえに。
引き合わせなければよかったのに! 引き合わせられなければ知らないでいられたのに! シャイアンの世界の扉は、今開かれてしまった!!
その姿はきっとリシルファーノ、王として生まれた娘。それを確信しているシャイアンはどう考えても〈リシルファーノの犬〉。
しかし二人の世界はきっと、特に王女には厳しい。この冷遇がその証だ。
つまり現状から導き出される未来、シャイアンは、
(きっと誰をも殺す)