モルグト・ライジャリー
父曰く──、
モルグト・ライジャリーは近衛騎士宗家ライジャリー家の主人である。
その人生は常に順調で順当であった。文武にそれなりに恵まれ近衛騎士として王補の御前に侍り、長じて同じく武門として名高い名家令嬢を嫁に得る。そののちに生まれた三人の子供はいずれも男子であったし、何より長子の出来がよかった。
──長子シャイアンは本当に素晴らしい子供であったのだ。
齢六つにして対人格闘のセンスを見せると怒涛のように知識と技術を吸収し、十になるとビヨルワ王子の近衛騎士候補として傍に侍ることを許された。これはライジャリー家としても破格の出世である。
「誇らしいわシャイアン。お前は王補の御前に侍る騎士となるでしょうね」
「ハッハッハッ、これでライジャリー家も安泰だな!」
シャイアンは素直に笑顔を浮かべて得物の槍を後ろ手にしていた。近衛騎士として槍が得物であることは珍しいが、シャイアンの場合槍が一番に得手なだけでどの武器も順当に扱える。この器用さは他の兄弟になかったが、シャイアン一人の出来でライジャリー家の発展には釣りが来るだろう。
(これからもライジャリー家は安泰だ。私はシャイアンの父として二重三重に名声を得る)
近衛騎士を引退し王城を去り、一族の長として腰を据えているモルグト・ライジャリーは真剣にそう未来を夢想していた。一欠片の誤差もないと、そう信じていた。
そうしてビヨルワ王子が十歳で立太子すると、シャイアンもその傍に侍る王太子付き近衛騎士としての肩書きを得ることになる。十二という若年での起用は本来侮りの謗りを受けたであろうがしかし、シャイアンはその頃には中堅の近衛騎士を地に伏せるほどの技量を得ていた為なんら批判はなかったのだ。
シャイアン・ライジャリーは天才である。卓越した力量で必ずしやこの王城を守るであろう。
誰もが信じたそれが揺らぎかけたのは奇しくも同年、ビヨルワ王太子の妹が誕生したことによる。
王女の誕生は本来大々的に祝われて当然のことであったが王城は何故か混乱に陥り、周囲にはなんの情報も流れなかった。
「シャイアン、なんぞ聞いたか」
「いいえ。殿下にお訊きしてみます」
折り目正しく返してきたシャイアンは、後日「姫君にお目見え叶いました」と報告してきた。
「『リシルファーノ』の御血です」
「なんと!」
ロワライナ興国建国の祖は『リシルファーノ』の血を受け継いだ女王としてリシルファーノ四世と称される。『リシルファーノ』の血は明確で、見た目でそれとわかるのだ。その血を受け継いだ王家の女を『リシルファーノ』と称し、正式な王として立てるよう法律には定められている。
とはいえ、この国を興した女王から既に長い年月が経ち、女王が遺した法律を誰もが知ってはいるが、ほとんど眉唾と思っていただろう。まさか今になってそれが顕現するとは誰も思ってみなかったに違いない。
「……シャイアン、お前はどう見る?」
「私はただ殿下にお仕えするばかりです」
美しく頭を垂れるシャイアンは近衛騎士として完璧で、モルグトはその立ち姿に満足した。
果たして、シャイアンはモルグトの求めるまま完璧な近衛騎士としてビヨルワ王太子の傍に在り続けた。それに王補夫妻は喜び、公の場でモルグトを名指しで呼ぶ栄誉を与えてくれたほどだ。
この頃、シャイアンが王太子と王女のどちらに付くのかと下卑た賭けまで行われていた始末で、それくらいにシャイアンが侍る先が王位に近いと噂されていたのである。
王補一家はただ一人生まれたばかりの王女を差し置いて喜びと安堵に沸いていた。──そう、王女はすっかりと両親に見捨てられていたのだ。
王女パライカは宰相が名付け親かつ後見となり、その後十数年に渡って王補夫妻と宰相府は後継問題で争うこととなる。
そんな政治的なやり取りをよそに、シャイアンは憂いもなく立派に成長した。美貌はそのままにしっかりと騎士らしい体躯をし、長い手足から繰り出される槍の勢いと来たら!
モルグトは満足していた。この嫡男なら家を任せるに問題ないと。
「我が家はシャイアンに継がせる。お前達には別に邸と財産を用意してやるから、くれぐれもシャイアンの顔を潰すなよ」
一家団欒の夕べ、モルグトがそう宣言すると子供達は首を縦に振った。なおシャイアンは王太子付きなので誰よりも本邸にはおらず、今日も今日とて帰宅してはいない。
「わかってるよ父上」
「俺ら並みなら文句も言いたいが、あの兄上にはどうあっても勝てんしな」
下の二人の息子は現役時代のモルグトより力量がなかった。顔と何より家名で近衛の端には据えられたけれど、それ以上は無理だろう。
思春期の頃には捻くれたものだったが、圧倒的な力量の差を見せ付けられる機会があってのち、すっかり諦めてしまった。だが仕方のないことだと思う。モルグトとて実父であるから誇らしくいられるが、あれが兄弟であったなら……考えたくもない。
「一門の長にはなれんのだし、肩書きは保持してくれよ」
「あ、近衛でも王女付きは困るぜ。いつでもどちら側にでも振れるようにってのはわかるが、陛下は王太子一筋じゃん?」
「王の座にも遠い見捨てられた王女のとことか左遷も同然だしな。左遷されてブスのとことか笑い話にもならねえや」
「曲がりなりにも姫様に対してなんてことを言うの」
「母上だって曲がりなりとか言ってる。あのブスは全部曲がってっからブスなんだよ」
「まあまあ落ち着け。我が一門は王太子に付く。王女など捨て置いて構わん」
パライカ王女に構わずとも、王補は意地でもビヨルワ王太子を王位に就けるだろう。シャイアンさえ王太子の傍にいればそれは確実だ。ライジャリー一門はそれに静かに添ってさえいれば望む地位が手に入る。なんて楽な未来だろうか。
わいわい騒いでいると応えがあった。シャイアンである。
「ただいま戻りました」
「帰ったか」
「荷物を取りに。すぐ王城に戻ります」
「あらあら、忙しいのね」
「離宮の改装に殿下が熱中しておりまして。供を離れるわけにはいきません」
しばらくこのような形となりましょう。きびきびと挨拶して去っていくシャイアンは本当の我が子とは思われないほど出来がいい。不貞を疑う余地などないことはわかっているが、正直鳶が鷹を産んだほどに差があるだろう。
「ほんっと兄上は超人だな。俺らならやってらんねえわ」
「王太子サマさあ、兄上のこと自分の一番いい飾りだと思ってっからな」
「近衛は飾られてこそだぞお前達」
「は〜い」
そう、近衛はまず飾られてこそ。尊き方々を飾ってこそ。そしてシャイアンは尊き方だけではなく、一族をも飾ってくれるだろう。
水面下での継承権争いはほとんどビヨルワの一方的攻勢で進んでいた。何しろパライカがまったく動かない。ビヨルワと王補夫妻が何かにつけて継承権を声高に唱える一方、パライカはといえば宰相の求めるまま勉学に励み、王族として外遊など外回りの仕事をこなしていた。
王補側としてはパライカに表立たれるのは困る筈だ。しかしパライカは幼いながら実に仕事が出来るようで、とにかく王補としては利点が多くあったらしい。元々外部とのやり取りの苦手な嫌いがあった為、これ幸いと見逃した部分はあろう。
軟禁でもしておけばよいものを、と思うは勝手だがあちらには宰相府が付いている。モルグトのような王太子派はひたすら静かに王補に倣って見逃した。
それにつけても真実リシルファーノの血を継いだ王女であることよ。誰しもがいずこかでは目にしたことのある代々のリシルファーノ女王と同じ顔をした王女は、ゆえにこそ実の親に避けられて孤立している。
どうせあと十年もかからず決着はつくだろう。あの鬼子の顔もそれまでの辛抱だ。
「さて、シャイアンの婚約者も見繕わねばか」
今の今まで後回しにしてきたが、さて。
「言っても殿下のあとと言うでしょうね」
「その殿下がいつご成婚されるというのだ」
ここのところ、ビヨルワは婚約者の公爵令嬢を放って子爵令嬢とわりない仲になっているらしい。公爵家は臍を噬んでいるらしいが今更だ、今改装中の離宮とて子爵令嬢の為というから相当だろう。
「……いや、もし公爵家破談となれば令嬢が浮くな……。そこにシャイアンが入り込めば、どうだ?」
「よろしいのでは? シャイアンでしたらどなたであっても一も二もないことでしょうし、傷物の令嬢を引き取るのですからあちらにも恩が売れます。情が深いと名声も得ましょうほどに」
「ようし、そうと決まればもうしばらく様子を見てやろう! 買い物は一番の塩梅でせねばな!」
妻の横、モルグトは腹を揺らしてご機嫌に笑った。世界は全て、モルグトに都合のよいように回っている。
「誰ぞ、酒を!」
ベルを鳴らすと家令がやってくる。聞けばシャイアンが上質なワインを持ち込み、兄弟で既に開封しているらしい。
「珍しいこと。私達も混ぜてもらおうかしら」
「そうしよう」
二人はそうして食堂に向かい──、……。
(……?)
モルグトは目を覚ました。
ひどく身体が重い。シャイアンが持ち込んだワインは貴重な物で、しかし飲み口が重くなくするすると喉を通った。何本もあると言うものだからついつい飲みすぎてしまった自覚があり、きっと寝落ちしてしまったのだろう。
また妻に口喧しく言われてしまう、そう思いながら指を動かそうとして、
(……ん?)
指が、動かない。
瞼を開いたモルグトは食堂に座っていた。座ったまま眠っていたのかと顔を動かそうとして、ようやく異変に気付くことになる。首も回らないのだ。
何がどうしたと目玉をギョロつかせたモルグトは刹那「グウゥ」と喉を鳴らした。
隣の席で妻が椅子に縛り付けられたまま、心臓を一突きされて絶命している。
「起きましたか」
静かな声はシャイアンだ。縋るような思いで声のした方向を見たモルグトはしかし、何ひとつ現状が解決しないことだけを知る羽目に陥る。
妻と同じように椅子に縛り付けられた兄弟の真ん中、一人立つシャイアンは一番下の弟の肩に刃物を刺したままモルグトを見つめていたのだ。
ギョロギョロとモルグトの目玉が動いたのを見て取ると、シャイアンは「母上はこの中で一番不敬の度合いが低かったので先に殺しました」と堂々と告げた。
「これは不敬でしたので痛めつける時間を取ります。その為に先に刺しておきました」
肩に生えた刃物の柄をぐりぐりと動かされ、息子はくぐもった声を上げながらぼろぼろと涙を零している。モルグトと同じに身体が動かず、口も利けないのだろう。
すわ、ワインに薬が入っていたか。遅すぎる正解に辿り着いたモルグトをよそに、シャイアンは刃物の柄から手を離すとテーブルの上──なんてことだ、刃物が綺麗に並んでいる──の新たな刃物を一本手に取って、上の弟の顎を押さえる。
「これは最近もっとも不敬でありましたので、まず不敬を口にした舌を切ります」
「ンンンー! ンンー!」
「大丈夫だ、きちんと痛めつけて即死なぬよう長引かせてやる。お前のような屑でも不敬をきちんと贖わせる兄を誇りに思うといい」
シャイアンが何を言っているのかモルグトにはさっぱりわからない。息子達もわけもわからず、しかし身体が動かぬのでは恐怖で泣くしか仕様がないのだろう。
「父上はもっとも不敬でありましたので最後です。今しばらく、家長の責任として息子達の最期を見届けていただきたく思います。……そうだ、家の者達ですが、抵抗した家令は殺しましたがそれ以外は無事ですのでご安心を。父上のあとに不敬の度合いを見定めて対処しますので」
どこに安心出来る要素があるのだ、モルグトの死は確定ではないか。第一不敬とはなんなのか、モルグトは勿論誰にだって不明だろう。
浅く呼吸をするモルグトの眼前、シャイアンは弟の顎を割らんばかりに開いて舌を引っ張り出している。さくさくと実に躊躇もなく動きながら、シャイアンははたと思い出したように口を開いた。
「そうそう、近日ビヨルワとその周りも向かうでしょう。陛下達も送りたいのですが、殿下の許可が出ればになりますね。なんにしろ、父上達にはお馴染みの方々が追って向かわれますので、寂しくはありませんよ」
──何を言っているのだ。
「アガッ!」
ゴバッと息子の口から血が噴き出すのをまるで遠くの出来事のように見ながら、モルグトは外の小雨の音を耳に、少しばかり早い走馬灯を脳裏に思い浮かべていた。
どこで間違えた? 何を、どれを?
「本当に、お前達は殿下に対して不敬が過ぎた」
──シャイアンの言う〈殿下〉が誰のことなのか、きちんと確認してさえおけば──。