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二章〈邂逅〉1/5

 絶望に染まった顔で、イサクは膝を抱えていた。身を包む薄汚れた毛布を、深く着込み直す。


(どうすればいいんだ。どうしてこうなったんだよ……)


 冷たい石の壁に背中をつけて、一晩を過ごした。この部屋に一つだけある鉄格子のついた窓から、光が差し込んでいる。イサクは落ち込みのあまり、一睡もできなかった。

 もぞっ、と動く気配があった。イサク以外にも、十人近くの人が四方を石の壁に囲まれた広めの部屋にいた。皆、毛布に包まって寝息を立てて、時折寝返りを打っていた。まだしばらく起きる気配はない。

 イサクは、警察に捕まり、拘置所に入れられていた。

 昨夜、赤髪の美しい女性を手に乗せた岩の巨人の一撃が、寝息を立てていたベリトの町を叩き起こした結果、町中から集まったかと思うほどの大勢の警官が巨人を目印に押し寄せてきた。

 逃げる人や警官と争う人が出て、それを取り押さえようとする警官たちで場は混乱の極めた。

 イサクも必死になって逃げたのだが、結局追い詰められて捕まってしまった。

 赤髪の儀式方術士も捕まってしまっている。イサクは、彼女が連行されているところを見ていた。岩の巨人の拳は赤髪の儀式方術士に当たらず、側の地面を砕いた。岩の巨人を造る際にできたクレーターを、さらに深くしただけだった。

 騒ぎは町中を巻き込んで、今朝方までその喧噪はイサクのいる部屋まで聞こえていた。

 バッグなどの荷物は、拘置所に入れられる際、警察に没収された。服も拘置所のものと替えられてしまった。上下灰色の生地の厚い服だ。肌にチクチクとする感覚があり、イサクの着ていた服よりもさらに質の悪い布が生地が使われていた。

 サングラスも取り上げられたイサクは、少しだけ気が落ち着かない。今は眠っているので平気だが、あれがないとイサクは人の目を見ることに抵抗があった。

 イサクが入れられたのは、雑居房と呼ばれる、複数の人が収容されている広い部屋だ。主に顔や手を洗うための流し台と、敷居のあるトイレが一つだけ付いている。暖房が利いていて、室温は寒いものではなかったが、イサクは温かいと感じていなかった。現在の状況とコンクリートの冷たさが、身の芯を冷やしている。

 部屋は、昨夜の一件で捕まった人たちでいっぱいになっていた。当然全員入りきれるわけがなく、男女や年齢層に分けて収容されている。部屋で寝ているのは、イサクと同じ十代と見られる青年の他、二十代や三十代の男性が見受けられた。

 カプセルホテルで出会った男女の夫婦と、ローの姿はない。逃げ果せたのか、それとも別の部屋に収容されているのか、イサクに確認できる手段はない。顔見知りだけに、どうなったのか少しだけ気になった。

 赤髪の儀式方術士と、彼女に関わっていた使徒の男性たちらしき姿もない。赤髪の儀式方術士と、使徒の彼らは完全に別の部屋に分けられて収容されていると、同じ部屋に入れられた男性が話しているのをイサクは聞いていた。

 現在、イサクのいる雑居房にいる人たちは、取り調べの順番待ちとなっている。どうして捕まったのか、いつまで拘置所に閉じ込められていなければならないのか、何も説明はされていない。看守からは、取り調べの時間と、拘置所でのルールなどの簡単に聞かされただけだった。

 警察に捕まえられ、拘置所に入れられた理由を把握している人は少ない。誤解や巻き込まれただけ、赤髪の女性の策略という話が雑居房内であったが、どれも推測ばかりだった。

 信者の中には、悪いのは岩の巨人を召喚した赤髪の女性で、自分たちや赤髪の儀式方術士は関係ないと声を荒げて主張する者もいたが、室内の秩序を乱す人は、看守が数人がかりで強引にどこかへ連れて行った。別の部屋へ移動させられたのだ。

 イサクのいる雑居房が静かに朝を迎えたのは、気の荒い人や騒ぐ人を除いたからだった。

 取り調べは午前十時からだ。雑居房内には時計がないため時間を確認することはできないが、朝食が配給されていないことから、まだしばらく取り調べの時間があるのはわかった。

 イサクは深くため息をつく。抱えた膝に頭を埋めた。

 朝食が配給されてしばらくしてから、取り調べの時間になる。看守が一人一人を呼んで外へ連れて行った。取り調べの内容を知らせないためか、連れて行かれた人は戻ってこなかった。

 やがてイサクが呼ばれる。雑居房を出てすぐ、看守がイサクの両手首を手錠で繋いだ。腰には縄を結んで、逃げられないようにされた。

 複数の看守に見張られ、囲まれる形で歩かされる。看守の命じられた通りに廊下を歩き、何度目かの角を曲がったところで足を止めるように言われた。

 右を向けば、鉄のドアがある。札がついていないため、一見では何の部屋なのかわからない。

 鉄のドアを開けた看守が、イサクに中へ入るよう命じた。

 部屋は、鉄格子のついた窓が一つだけ備付けられた、四畳くらいの狭い空間だった。テーブルと、挟むようにパイプ椅子が二つ置かれている。

 看守に命じられ、テーブルの向こう側、鉄のドアから一番通り部屋の奥のパイプ椅子に座った。腰の縄は椅子に縛られて、イサクの自由はかなり制限されたものになった。

 テーブルを挟んで、すでに部屋の中で待っていた一人の刑事がパイプ椅子に座り、イサクと向かい合う。

 イサクの斜め後ろにはもう一人の刑事が着いた。見張り役だ。

 部屋の隅には金属製の机があり、警官が一人座って、ノートを広げてペンを片手にイサクの動向を見つめている。取り調べの記録係なのはイサクにもわかった。

 刑事二人に警官一人、そして鉄のドアの前には看守が二人も立っている。計五人でイサクの動作を見張りつつ、取り調べが行われようとしていた。

 部屋の狭さと、そこに詰めた人数が、イサクに圧迫感と威圧感を覚えさせた。心理的に容疑者の精神を押さえつけ、ストレスを与える造りになっていた。

 イサクは、静かに深呼吸をして、自身を落ち着かせた。向かいに座る刑事がイサクに問うた。


「君は夜のあの集まりにいたね? いつから参加していたのか、そこでどんなことをしていたのか詳しく教えてくれないかな」


 柔らかな口調でも、惚けることを許さない怖さが、雰囲気として、刑事の表情や声音から滲み出ていた。肌でそれを感じたイサクは、下手な嘘や誤魔化しは止めた方がいいと察する。


「会合に参加したのは昨夜が初めてです。だから、何が行われていたのか、僕は詳しくは知りません。お香の焚かれた部屋で、シャルロットさんが話を聞いていたことくらいしか。そのあと、もう一人の赤髪の女性が現われて、会合をむちゃくちゃにしましたから」

「赤髪の、ね。彼女が何者なのか、君は知っていますか」

 刑事の表情は、相手の反応を窺っているものだった。

「いえ……」


 イサクの答えには嘘があった。もうあの赤髪の美しい女性が何者なのか察しが付いていた。確証のある事実を提示できないことと、確信を抱いているとはいえ、この場で推測を話すことは憚られた。

 耳の片隅で、記録係のペンを走らせる音が聞こえる。何を記録されているかイサクは気になったが、当然見ることはできない。刑事があっさり次の問いに移る。


「そうか。会合についてだけど、噂では願いを叶えてくれる、というものがあった。君はどういった動機で、あの会合に参加したのかな」

「……」


 話すことはできなかった。それはイサクがベリトに来た核心であり、赤髪の儀式方術士を探していた理由だった。


「無理に話さなくて良いよ。あくまで参考程度に聞いているだけだから」


 刑事は、身構えて表情を硬くしてしまったイサクに笑みを作って見せた。次の問いに移る。


「君は、赤髪の儀式方術士が本当は詐欺師だったのを知っているかな。何の効力も無い安物を御利益があると高値で売りつけたり、依存性のある、いわゆる麻薬の草を薬草として配っていたりと、結構あくどいことをやっていたみたいだけど」


 そんなにも危ない組織と自分は関わっていたのかと、イサクは内心驚く。表情にも少しだけ出ていた。


「いえ。最初に言いましたが、昨夜初めて参加したばかりでしたので」

「そうだったね。えっと、じゃあ、赤髪の儀式方術士ことシャルロット・スフォルツァだけど、これはスフォルツァ家にも確認してもらったことだけど、どうやら彼女は偽物だったみたいだね。そのことについては何か知っていたかな」

「……いえ。初めて知って、驚いています」


 警察は、赤髪の儀式方術士と名乗っていた女性が偽物だったことを知っていた。イサクは、自分の確信が強まるのを感じた。

 そうだ、と刑事が思い出したかのように言った。


「イサク・カンヘル君だったかな? 君は、自分の身分を証明するものを何か持っているかな。失礼だけどこちらで勝手に君の荷物を調べさせてもらったけど、それらしきものがなかったと報告が来ている」


 イサクは、この取調室に入って、初めての嫌な汗をかいた。恐怖と焦りが強くなる。

 動揺を押し隠して、イサクは目の前に平常の顔で座っている刑事を見つめながら聞く。


「ないと、だめなんですか」

「だめというより、少しまずいことになるかもしれないんだ。昨夜初めて会合に参加していたという君の証言をこちらが信じるとしても、君が何者なのかわからないと簡単に解放することができない決まりだから」

「例え無罪でも、ずっと捕まったままということでしょうか」

「そうだね。簡単に言うとそうなる。これは過剰表現だが、最悪、他国のスパイだと思われてしまうかもしれないんだ」

「そんなことは! ……ありません……」


 イサクは、つい気が荒げてしまいそうだった自身を押さえる。俯いて、テーブルの板を見つめて、どうするか必死に考えた。


「出身地でも教えてくれないかな。こちらで調べて君の素性が知れれば問題ないだろうから」


 それを答えることができないから、イサクは黙るしかなかった。

 言うわけにはいかなかった。あの夜の恐怖は、今もイサクの心に血を流させている。

 出身地や知り合い以外で、身分を証明できる何か良い案はないか思考を巡らせても、出てこなかった。


「わかった。気が向いたら教えてくれ。だけど、おそらくすぐに解放されないことだけは覚悟しておいた方が良いよ」


 刑事は後ろを振り向き、看守にお願いしますと言った。頷いた看守はイサクを立たせて、部屋の外へと歩かせる。

 イサクが廊下に出て、取調室の鉄のドアが閉じられる。刑事はすでに背中を向けていて、イサクを見ていなかった。

 廊下を歩いたイサクが移されたのは、別の雑居房だった。そこには、先に取り調べを受けた人たちがすでに数名いた。

 縄と手錠が外されたイサクは、雑居房に入る。知り合いがいないため、誰もが一度視線を向けるだけで声を掛けられることはなかった。知り合い同士で話を再開している。

 イサクはとぼとぼと歩いて部屋の隅の壁に腰を下ろした。深いため息しかでなかった。

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