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一章〈赤髪の儀式方術士〉5/6

 ゾロゾロと列を成した人の群れは階段を下り、地下へ。

 先頭と最後尾、階段の踊り場には、油ランプを持つ、白い布を被った人がいて、闇の中を行く人の足下を照らしていた。視界が開けるほどの光量はないが、目印にはなるため、人々の歩みは暗い闇の中でも止まることはなかった。

 ローから聞いた話では、金糸の刺繍の入った白い布を被る人たちは、赤髪の儀式方術士の使徒らしい。儀式を手伝ったり、儀式方術士のガードマンもやっていると聞いた。使徒たちの道標を頼りに、階段を降りたイサクたちは地下の廊下に足を着いた。

 通風口と配水管のパイプが天井に走っている。地下の廊下はとても狭く、人が二人並ぶと道が塞がってしまう。

 右手のドアを一つ過ぎた先、列の正面にドアがあった。廊下はそこで途切れていた。

 油ランプを持った先頭の使徒がドアを開けると、長方形に切り取られた向こう側から暖かな光が、イサクたちのいる廊下へ伸びてきた。

 男性の使徒が、人々を光の方へと招く。

 ドアの向こうは、元は物置に使っていたと見受けられる部屋だった。古いポスターや何が入っているかわからない段ボールが、部屋の隅に積まれていた。

 四つの角に設置された油ランプが火を灯して室内を照らす部屋は、二階より広くはない。三十数人の人が詰め寄る形で入った。

 人と人との距離が狭まったため、イサクは窮屈を感じた。

 集まった人々が顔を向ける正面。イサクたちの入り口から左手側の壁に、大きな一枚の黒い布が掛けられていた。黒い布には、炎と、その上で両翼が羽ばたく瞬間を表した金糸の刺繍がされている。

 イサクが黒い布を眺めてどういう意味か考えていると、隣に立つローが説明する。


「炎は力、翼は人類の飛躍だそうです。儀式方術はそれを体現することのできると、シャルロット様は唱えています」

「そうなんですか」


 黒い布の前には、二階の部屋でも見た祭壇があった。その両脇には、白い布を被った六人の男性の使徒が並んで立つ。

 機械の駆動音が、部屋全体に低く響き渡る。集った人々が、喜びを顰めた声でざわめき立つ。何かが上から降りてくるのを、イサクは感じた。

 ガゴン、と一際大きな音が鳴った。僅かだが、衝撃が部屋に伝わった。

 二人の男の使徒が黒い布の両側に立って、黒い布を上げた。

 壁に鉄の板があった。それが機械音と立てて、横にスライドしていく。奥には箱形の小さな空間があり、一人の女性が立っていた。

 イサクは、先ほどまでの音は、荷物などの重い物を上げるために使われる昇降機――いらゆるエレベーターのものであることに気づいた。女性が、蒸気機関のエレベーターを使って地下の階へ降りてきたのだ。

 女性が前へ出て、黒い布が下ろされる。女性の後ろで黒い布が炎と翼の金糸の刺繍を光らせる光景は、ある種の幻想的なものがあった。

 人々のざわめきが静まり、女性の人の第一声を待つ。

 ランプの火に照らされた部屋で美しく際立つ赤髪。神話に登場する聖母を印象付かせる優しくて柔らかな笑みを浮かべた女性が、集った一同へ視線を向けた。その眼差しは温かい。


「皆さん、おいでくださいまして、ありがとうございます。今日も皆さんに会えて、私はとても嬉しいです」


 とても優しい声だ。喜びのあまり涙を流す者がいた。

 赤髪の儀式方術士――シャルロット・スフォルツァ。

 イサクは、目の前に立つ女性が探していた人物だと知った。目的の達成に近づけた。


「立ってばかりでは辛いでしょう。狭いかもしれませんが、皆さん、楽に座って下さい。そのほうが、私も皆さんの顔を拝見することができますし」


 赤髪の儀式方術士の言葉で、人々は座り始める。イサクもそれに習った。

 集まった人々が全員座るまでの間、白い布を被る男女の使徒たちが一本のパイプのみで支える小さな台を、人々を囲むように設置していく。台の上には、金属製の香炉が置かれる。煙が昇り、甘い香りが部屋を満たす。

 イサクは、これから何が始まるのか、ローに聞こうと顔を向ける。

 しかし、そこにローの姿はなかった。どこかへ行ってしまったようだ。集団に視線を巡らせても、ローらしき姿を見つけることはできなかった。


「まずは皆さんの願いや苦しみを聞きましょう。その想いを私に届けて下さい。では、あなた、どうぞ私に話して下さい」


 歓喜の顔で示された女性が立ち上がる。赤髪の儀式方術士が優しく頷いてみせると、女性は自身の悩みを話し出した。内容は夫と愛人、それに絡む借金の問題だった。


「夫に本心を話してみてはどうでしょうか。我慢ばかりが美徳ではありませんよ。知らぬ顔をしていては、事態に変化はありません。大丈夫です。きっと幸福のある方へ変わりますから」


 女性は涙を流し、礼を言って座り直した。

 赤髪の儀式方術士はまた別の人を指す。そして話を聞いて、優しい言葉を返した。そのようなやりとりを何度か繰り返した。


「それでは、次はあなたです。私に話して下さい」


 示されたのはイサクだった。

 イサクは不安と恐怖で高鳴る心臓を静まるように命じながら、すぐには立たず、瞼を閉じて一度小さく深呼吸をする。自身の気を落ち着かせて瞼を開けたイサクは、意を決した、冷静な顔をしていた。

 腰を上げたイサクは、真っ直ぐ祭壇に立つシャルロットを見つめる。


「話というより、質問かもしれません」


 イサクは告げた。

 赤髪の儀式方術士は、温かく促す。


「構いませんよ。あなたの想いが私に届くとき、それは幸福に繋がるのですから」

「――この世界に、幻想の獣たち、ドラゴンやユニコーンなどの存在が有ると思いますか?」


 異種。その意味を孕んだ空気の静寂が、地下室を満たした。

 人々が赤髪の儀式方術士に苦しみや不幸の話をしていく中で、たった一人、場違いな問いをしたからだ。

 赤髪の儀式方術士は、それでも微笑みを崩さず、異様な静けさの空気を柔らかな声音で崩した。


「この科学の世界では難しいかもしれませんが。でも、儀式方術という科学を超える力がこの世にあるわけですから、もしかしたら、幻想の獣たちはいるのかもしれませんね。私は、そう信じたいです」

「ありがとうございます」

「お話は、それだけですか?」

「はい。以上です」


 座るイサクの表情は、僅かに暗い色があった。


(あれはたぶんだめかもしれない……きっとこの人も……)


 期待した言葉を聞けなかった。イサクは落胆を表情に出さず、胸中に秘めた。

 それでも、イサクはようやく手にしかけていた希望をすぐに手放すことはしなかった。まだ試すべきことがある。その機会を窺うため、視線を赤髪の儀式方術士へ再び向けた。


「今日はここまでにしておきましょうか。皆さんすべてのお話を聞きたいのですが、それには夜の時はあまりに短いのです。でも安心して下さい。こうして集って下さったことで、皆さんのお話を聞いている間も、今でも、皆さんの想いを私は感じていますから」


 赤髪の儀式方術士は優美な笑みを浮かべた。多くの人は感動した。

 それでは、と赤髪の儀式方術士が場を仕切り直す。


「皆さんに幸福を届ける儀式方術を始めようと思います」


 赤髪の儀式方術士は、顔の目以外を覆う白いフードを頭から被った。金糸の刺繍が入っていて、神秘的なデザインが施されていた。

 他の白い布を被った男女の使徒も、首元の布を上げて、口や鼻を覆う。


「さあ、目を閉じ、ゆっくりと呼吸をして、心を静めてください。皆さんの想いと、わたくしの力で、幸福の力を作り出します」


 人々が瞼を閉じる。イサクも同じようにした。

 いつの間にか、部屋全体に、お香の甘い香りが満ちていた。ゆっくりとした呼吸で吸っていると、イサクは自身の身体感覚が鈍くなり、同時に脳の奥から快楽に似たものがじわりと広がってくるのを感じた。

 このまま意識がどこかへ引きずり込まれそうな異種の感覚が、本能の警鐘を鳴らす。しかし、心地よい感覚に身を委ねたくなっていたイサクは、危険を知らせる本能に鈍くなってしまっていた。


(気持ちいい……)


 意識がぼやけていく。そのとき、イサクはすぐ隣で声を聞いた。


「自身の幸福を、他人に委ねて良いものかと私は疑問に思う。お前はどうだ。シャルロット・スフォルツァ」


 静かになった静かな地下一室の空気を壊す、力強さのある女性の声だった。

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