一章〈赤髪の儀式方術士〉4/6
マンションや住宅もあり、店やテナントビルも建つ、規則性のない並びをしている通り。片側一車線の道路の幅は広く、歩道もある。契約制や有料制の駐車場もあるようで、看板を出していた。
先ほどのカプセルホテルのところより昼間の人通りは多そうで、本当にこのあたりで儀式方術士が人を集めているのか、イサクは少し不安になった。想像では、人目を避けそうだったからだ。
時間帯から、人も車もない無人の静かな道路の歩道をイサクは行く。このあたりも街灯が点っていて、足下を不安に思う必要も無く歩けた。
熱の冷めた頭で、先ほどの夫婦らしき男女二人組への態度は反省すべきものだと思っていた。
犯してしまった失敗は直せず、イサクは後悔のため息を、冷たい外気で白く染めることしかできなかった。
「これ、なのかな」
堂々とテナントビルを扱う不動産の看板や、そこに会社や店を構えている看板も掲げられた、鉄筋とコンクリートの建造物。蒸気機関のパイプが壁に走っている八階建てのその建物は、今までベリトで見てきた建物の中で特別高いものではない。しかし、周囲のビルなどの建物はどれも低く、確かにこのあたりでは一番高い建物だった。
表の出入り口は、木製の両扉で閉じられていた。イサクはサングラスをずらして、蒼い瞳で扉のガラス窓から建物の中を覗いた。
一階の内装はとても簡素で、壁に何かのポスターが張られていて、鑑賞用植物の植木が部屋の隅に置かれている程度のものだった。奥には、無人の受付のカウンターが、ぽつん、とあった。
室内に見る限りでは、人気はない。電灯のついている看板もなかったことから、時間的に考えても、すでにビルは閉鎖しているかもしれなかった。
カプセルホテルで聞いた男性の話では、どこか近くに案内人がいるらしいのだが、それらしき人の姿はない。
五階建てのその建物を見上げて目を凝らしてみたが、街灯に照らされて見えるのは、カーテンの閉じられた窓だけだった。隙間から明かりらしきものすら確認できなかった。
サングラスを戻したイサクは、儀式方術士が人を集めている場所がここなのか確信は持てなかったが、とりあえず入れるか確かめてみようと、木製の扉に手をかけてみた。
きぃ、と金属の擦れる音を立てて、木製の扉は中へと動く。鍵が、空いていた。
恐る恐る中に入ってみる。
窓から差し込む街灯の明かりだけに照らされた一階は、外から窺えた通り、誰もいなかった。誰かが潜んでいる気配も、イサクは感じられなかった。
もう少し探ってみようと、受付フロアの空間を歩く。二階へ通じる階段は見かけない。奥へ続く廊下があり、両側の壁にはドアが並んでいた。さすがに奥まで外からの明かりは届きづらく、廊下にはまるで闇に誘う沈む洞穴を連想させる不気味さがあった。
イサクは、奥へ歩くことを僅かに躊躇する。そのとき、イサクは背後で、扉の開閉する、金属の擦れる音を聞いた。イサク自身が扉を押して、つい先ほど聞いた音と同じだ。
振り返ったイサクの前に、真っ白な布を頭から被り、フードのようにして顔を隠している人が、外から一階の受付フロアに入るところだった。白い布には、細い金色の刺繍が入っていて、外からの街灯の光を受けて怪しく光っていた。
びくっ、と肩を震わせて、イサクは一歩下がる。逃げる構えを取った。
白いフードの人は、すっと音もなく白い布の中から手を上げる。待て、という意味に見えるものだった。
イサクは逃げない意思を、動かないことで示した。白いフードの女性が、優しい声で言った。
「ようこそ。赤髪の儀式方術士こと、シャルロット・スフォルツァの会合に」
聞こえた声は、女性のものだった。
「じゃあここが!」
ようやく辿り着けた喜びで、イサクの声は大きくなっていた。
白いフードを被った女性が、人差し指を闇夜に沈む唇に当てる。イサクは慌てて口を閉じた。静かな夜は音が響きやすい。目の前の人の反応から、あまり騒がないほうがよさそうだ。
白いフードを被った女性は笑みを深くする。
「では、案内しますね。こちらです。私に着いてきてください。明かりはついていませんので、左の壁に手をついてください。そちらのほうが、何も見えなくとも真っ直ぐ歩けますよ」
イサクは言われたとおりに壁に手をつく。フードを被った女性の案内に着いて行った。
外からの光が届いていない廊下の闇は深く、先頭を行く白い布を被った女性の背中が闇に溶けて見えなくなった。
「こちらですよ」
前から聞こえてくる女性の声を頼りにイサクは廊下を進む。
真っ暗で何も見えないイサクの足取りは遅くなっている。
「もう少し進むと角に当たります。左へ曲がってください」
先に進んだ女性の声は、数メートルほど離れたものだった。女性の声の通り、しばらく進むと手の感覚に角の尖ったものを触る感覚があった。
角に沿って曲がると、廊下の先でぼんやりと光るものをイサクは見た。時折ゆらめくその暖かな光は、廊下の壁につけられた油ランプの火だった。
白いフードを被った女性は、そのランプの近くでイサクを待っていた。
「階段を上ります。足下に注意してください」
イサクが追いつくのを待って、女性は右の壁の階段を上る。踊り場にもランプが設けられていて、暗くて足下に困ることはなかった。
階段を上がり、二階廊下には、一階と一転して、点々と光源の蝋燭が設置されてあった。何か、どこかへ誘ってくれそうな、幻想的な雰囲気を作り出していた。
白いフードを被った女性の案内で、イサクは左のドアの部屋に入る。そこは、表通りから見えた窓のある部屋とは、反対に位置する部屋だった。
壁を取り除くことで広く造られた空間は、火を灯した蝋燭が部屋全体を囲むように配置されていた。窓はカーテンだけで塞がれている。蝋燭の明かりでも外に漏れているはずだが、大通りとは反対に位置しているため、夜中にこの部屋が使われていることは裏から出ないと確認できない。この建物の裏はビルが群集していて見え辛いこともあって、発見され難くなっていた。
イサクの入ったドアから、奥に当たるところに何やら祭壇らしきものが置かれている。何かの儀式に使われていることは、素人のイサクから見てもわかった。
部屋にはすでに数十人もの人が集まっていた。集団は四方からの蝋燭の光を遮ることで、中央に大きな影を作っている。そのため、部屋に入ったばかりのイサクからは、先に着いていた人たちの表情に影が濃く降りているように見えて、怖く思えた。
「あちらの方々は、あなたと同じくしてシャルロット・スフォルツァ様を頼りにして集まった方ばかりです。さあ、どうぞ。皆さんいい人たちばかりですので、温かく迎えてくれます」
白いフードを被った女性はそう言って、先に着いていた人たちの方へ歩いて行った。誰かと言葉を交わしている。白いフードを被った女性が祭壇へ向かうのと入れ替わりに、今度は集団から外れた、先ほど白いフードを被った女性と言葉を交わしていた男性が、イサクの方へ歩いてきた。
「君は、今日が初めてなのかな? 私はヤーク。君と同じで、儀式方術士を頼ってきた一人だ」
男性の表情は、人を警戒させぬよう気遣われた笑みだった。イサクは、ヤークと名乗った男性から何かしらの暗い感情を感じ取れず、最初の怖さから抱いていた緊張が若干ほぐれる。
「……イサクです。願いを叶えてくれると聞いて来ました」
「そうか。私もなんだ。ここにいる皆もそうさ。シャルロット様はとても優しいお方だ。きっと願いを叶えてくださるよ。さあ、こっちへ。皆ともっと語らおう。シャルロット様がどんなに素晴らしい方かわかるから」
男性に柔らかく背を押され、導かれるまま集団の方へイサクは歩いた。
近くで見れば、集まった人たちは男性だけでなく、女性の姿も多いことに気づく。歳も、さすがにイサクのように十代の人は少ないが、二十代から六十代と、老若男女が揃っていた。
ほとんどの人が穏やかな表情で言葉を交わし、幸福の雰囲気を作りだしていた。
イサクは、その光景に寒気のある異様さを覚えた。何かに造られている、型に嵌められた無機質さを感じたからだ。
(何か、おかしい……のか?)
しかし、イサクは自身の感覚を疑う。せっかく目的に辿り着けたかもしれないのだ。見つけかけた希望を手放したくない心境から、イサクは先ほど感じたものを払った。
(この部屋の雰囲気から、そう感じただけだ。きっと)
自身に言い聞かせながら、男性と共に集団の輪へ入っていく。集団の人たちは、イサクを温かく迎えた。
どこから来たのか、どうやって来たのか、どうして赤髪の儀式方術士のシャルロットを頼ろうと思ったのか、いろいろと聞かれた。
イサクは、すべて正直に答えず、時には誤魔化し、それとなく嘘も入れて答えた。
話を聞くに、イサクより先に来ていた彼らの多くは何かしらの幸福を求めて、ここに来ていた。その望みは大小様々だが、絶望の淵からようやっと辿り着いたような、藁にも縋る思いの必死な人は少なかった。
そのまま生きてもそれほど困りはしないが、今以上の幸福を望んでいる人が大半だった。
白いフードを被る誰かに案内されて、また新たに二人組の男女が入って来る。蝋燭の光に照らし出された彼らの顔にイサクは見覚えがあった。カプセルホテルで出会った、儀式方術士に会える場所を知りたくて詰め寄った夫婦の二人だった。
イサクは、彼らから強引に場所を聞いてしまった後ろめたさと、怒られそうな怖さから、ちらりと視線をやるだけで、あまり顔を見られぬよう身体の向きを少し変えた。
夫婦の二人がこちらへ歩いて来る。向こうもすぐイサクに気づいたが、視線をやるだけでイサクに何か言おうとも、近づこうともしなかった。
新たな二人組が入ったことで、イサクを囲んでいた何人かはそちらへ歩いて行く。囲んでいた人が減ったイサクは、質問攻めから解放されて内心ほっとした。多少自由に動けるようになり、イサクは集団の中心から距離を取る。これ以上質問されることを避けたいのもあったが、夫婦二人への気まずさもあった。
話しかけられることも減ったイサクは、赤髪の儀式方術士の到着を待つ。聞いた話では、シャルロット・スフォルツァが現われるまでまだ少し時間があるらしい。
「大変でしたねえ」
ぼんやりと立って待っていたイサクは、顔を横に向ける。いつの間にか一人の男性が並んで立っていた。
オールバックのオレンジに近い茶髪と、エメラルド色の瞳。身長は高く、全体的に細い体つきの男性は、爽やかな雰囲気を纏っていた。
「気楽に。シャルロット様はお優しい方です。温かく話を聞いてくれますよ」
「ありがとうございます」
新人を気遣って声をかけてくれたものなのだろうと解釈し、イサクは礼を言った。
「俺はロー。よろしく」
「イサクです」
握手を交わし、簡単に自己紹介を済ませる。ローと名乗った茶髪の男性の笑みは、とても優しく、最初の印象通りの爽やかなものだった。イサクの警戒も自然と解かれる。
「ベリトに住んでいるんですか?」
「いえ。儀式方術士の噂を聞いて来ました」
「そうなんですか」
ローの言葉遣いは、他の人と違い、間合いを心得たものだった。あまり深く踏み込んだことを聞かず、当たり障りのないようなことばかりだ。
「ベリトの夜は寒いでしょう。もし泊まるところにお困りなら、安くて良い宿を紹介しますよ」
「ありがとうございます。でも、もうチェックインをすませていますから」
「そうですか。なら良かった」
ローは笑みを浮かべた。
イサクのローに抱く印象はとても良いものだった。話しやすかった。
「あっと。どうやら、シャルロット様が到着されたみたいですね」
ローの見る先、白いローブを身に纏った屈強そうな男性が二人、部屋に入ってきた。赤髪の儀式方術士こと、シャルロット・スフォルツァは女性のはずだ。男性しか見えないことにイサクは戸惑う。
白いローブを着た男性の一人が部屋に声を響かせた。
「シャルロット様が到着なさいました。さあ、皆さん。シャルロット様が儀式方術のため精神を集中なさっている地下の部屋へ移動してください。今日はそこでシャルロット様が皆さんの声を聞き、幸福を与えてくださいます」
白いフードを頭から被った数人の女性たちの案内がはじまる。部屋に集まったシャルロット・スフォルツァの信奉者や、願いを叶えに来た人たちは連れられて、部屋を出て行きだした。
「俺たちも行きましょうか」
ローは和やかな笑みを浮かべて、イサクを移動しだした人の列に誘う。
これから目的の儀式方術士に会えるのだと思うと、イサクは緊張した。その面持ちは、はっきりと表情に出てしまっていた。
「大丈夫ですよ。シャルロット様はお優しい方です。すべての皆さんの声を聞き届けますから」
「はい」
短く応えて歩き出したイサクの表情は、緊張だけでなく、不安と恐怖が入り混じっていた。