第百七十二話 ゲームの世界じゃないんですよ?
やっと此処までたどりついたじぇ
どこをどう、歩いて帰ったのか、全く記憶にない。誰と出逢ったのか、誰と喋ったのか、それすらもあやふやなまま、私は一人ベッドに寝転がって天井を見上げていた。
「……」
……なんだろう、この気持ち。なんか……凄い、ショックだ。何がショックなのか、それすら良く分かんないけど……でも、こう……とにかく、ショックだ。
「……アリスさーん。入っても良いですかぁ?」
どれぐらいそうしていたのか、気付けば夜の帳が落ちて来た部屋の中で、私はノックの音に気付く。外から聞こえた声に『どうぞ』と返せば、遠慮がちにドアが開きひょこりとエリサが顔を出した。
「……大丈夫ですか、アリスさん?」
「……エリサ」
「聞きましたよ? 朝は勢い込んで外に出て行ったのに、帰って来た時は顔を真っ青にしてたらしいじゃないですか? お昼ご飯も、晩御飯も食べにこないし……シャルロッテさんもリリーさんも凄く心配してましたよ? 『もしかして、ジーク様にクッキーを不味いって言われたんじゃないか』って。そう言ってましたけど……」
そう言ってエリサは机の上に置かれたバスケットをちらりと見やる。
「……そもそも、渡してすら無かったみたいですね? 一つ頂いても?」
「……どうぞ」
ありがとうございますと言って、クッキーを手に取るエリサ。そのまま口に運んで、ほっこりした笑顔を浮かべて見せる。
「冷めてしまってますけど、十分美味しいですね? これ、なんで渡さなかったんです? ジークさん、居なかったんですか?」
「……居たよ」
「じゃあ、渡せばよかったじゃないですか」
「居たよ。居たんだけど……」
……声を掛ければ良かったのかも知れない。
「……隣に、ティアナ様がいらっしゃって」
「……ティアナ様が」
「……凄く……凄く、お似合いで……ティアナ様が何かを言って、それにジークが困ったような、『仕方ないな』みたいな笑顔を浮かべて、それで……」
腕を組んで。
楽しそうに喋るティアナ様に、相槌を打ちながら、ジークが時たま笑顔を浮かべて。
まるで、『お似合いのカップル』を見ているような、そんな気になって。
「……声、掛けられなかった」
ティアナ様のあの目を見てしまったからかも知れない。愛しい男を見る、『オンナ』の目を。何時だって慈悲深く、にこやかに笑んでいるティアナ様の、あんな情熱的な目を見てしまったからかも知れない。
「……声が……掛けれなかったんだ……」
ポツリと、呟くようにそう言う私に、エリサはバスケットの中からクッキーをもう一つ取り出して。
「――ふーん。良かったじゃないですか、アリスさん。ジークさん、幸せそうだったって事でしょ? 邪魔しなくて良かったですね~」
冷たい視線で私を見ながら、何でもない様にそう言った。
「…………え?」
「あれ? 私、なんか変な事、言いましたかね?」
「へ、変な事って……」
「あれ? だってアリスさん、前からジークさんには幸せになって欲しい、みたいな事言ってませんでした? アリスさんから見てもお似合いのお二人だったんでしょ? それじゃ、ジークさん、幸せになれるんじゃないですかね?」
「それ……は……」
……確かに、私は常々言っていた。『ジークには幸せになって欲しい』と。もし、ジークが本当に好きな人が出来たら、喜んで身を引くとも。
「でも……ティアナ様は……副王家の方で……ジークとは……」
「あー……副王家の人でしたね。それじゃ流石に政変とかになるかも知れないですね~。それはちょっと勘弁願いたい所ですけど……ですが! こう、『乙女ゲーム転生もの』って感じしません? 私、結構なろう系も好きで読んでたんですけど、悪役令嬢に転生した女の子がヒロインと攻略対象くっつける為に奮闘する話も好きだったんですよ! 障害の多い恋愛って燃えますよね~。まあ、それじゃ一肌脱いじゃいますか! ジークさんの幸せの為に!!」
「……」
「……アリスさん?」
「……や」
「はい?」
「……それは……いや……」
「なぜです? ジークさんの幸せを願っていたんじゃないですか?」
「それ……は……」
声を詰まらせる私に、エリサは冷たい視線を解いて困ったように顔を歪めて見せた。
「……すみません、ちょっと意地悪言いました。流石にジークさんが可哀想だったので……つい」
「……可哀想?」
「可哀想ですよ。アリスさん、鈍感系主人公かなんかなんです? まさか、ジークさんの好意に気付いて無いって訳じゃないんでしょう?」
「……そ、それは……で、でも! ジーク、まだ十五歳だよ? わ、私はもう、日本時代もカウントしたら、三十を超えているんだよ? も、もし結婚が早かったら、ジークぐらいの子供が居ても――」
「ストップ」
「――おかしく……え?」
「私は『藤堂里香』の話はしていません。私がしているのは『アリス・サルバート』の話ですよ? そして、『アリス・サルバート』さん? 貴方はいくつですか?」
「……十五歳、だけど……で、でも!! それは――」
言い募ろうとした私を、エリサが視線だけで押し留める。その視線の『圧』に私は思わず言葉が詰まる。
「――もし、そんな理由でジークさんの思いに応えてあげれないなら……ジークさんを解放してあげて下さい。あんまりに可哀想過ぎですよ、ジークさんが」
「……」
「……すみません、厳しい言い方をしますね、アリスさん」
冷たい、視線のままで。
「ジークさんとお付き合いするつもりはない。でも、婚約者としてジークさんを手元に置いておきたい。ジークさんはジークさんでアリスさん一筋。すっかり安心していたら、急に横からジークさんを奪いに来た女の子が居ました。奪われそうになると、盗られそうになると、急に惜しくなりました。別に欲しくて欲しくて仕方無かったわけじゃないし、なんなら今まで、幸せを願っているとか言っていたくせに――本当に、盗られそうになると、やっぱり惜しくなりました」
「――っ! ちが!!」
「違いませんよ。結局、アリスさんにとってジークさんは『そんなもの』なんですよ」
そう言って、小さくため息を一つ。
「――ジークさんは貴方の『おもちゃ』じゃないですよ? 勿論、『ただのゲームのキャラ』でも無いです。そこの所、アリスさん」
ちゃんと、分かっていますか? と。
優しく諭す様なエリサの言葉に、なぜだか分からないが、私の瞳から涙が零れた。




