第十話 すれ違いの、その先に。
「ええっと……その……」
……うん、意味が分かんない。意味が分かんないんですけど、エカテリーナ様。
「……どういう意味でしょうか? 殿下が王の器だから、勉強は必要ないって……」
「王の器は、勉強で身に付くものじゃない。勿論、『王道』は学ぶ必要はある。だけど、今はまだその時期じゃない。殿下はまだ子供。子供でいられる時間は、そんなに長くない。そんな時間に、無理に詰め込んで教育する必要はない」
そう言って、エカテリーナ様はじっとこちらを見る。
「勉強は『勉学を強いる』って私は考える。強いられて得たものなんて、身に付かない。『王にならなければ』っていう強迫観念で勉強したっていい事にならない」
えっと……いや、まあ、『好きこそものの上手なれ』って言葉もあるし、間違っちゃいないんだろうけど……でもさ?
「……エカテリーナ様」
「なに?」
「殿下、この本を読んだって言ってたんですけど……覚えてます? エカテリーナ様にもお話したって」
「覚えてる。殿下が五歳の時」
「その……これぐらい、出来て当たり前って……」
「出来て当たり前。だって、殿下は優秀。そんな殿下が、出来ない訳がない。私は殿下の才に絶対の信頼を置いているから」
「……普通の五歳児には出来ない事は」
「勿論、分かっている。やっぱり殿下は凄い。私の目に狂いはなかった」
そう言って心持、胸を張るエカテリーナ様。ああ……
「……それは殿下に言って上げないとダメなんじゃないでしょうか……」
「そうなの?」
「そうなのって……」
「殿下は褒めて欲しいって言わなかったから。私が『当然』って言ったら『そうですね』って言ってた」
……殿下。ああ、いや、そりゃ仕方ないか。殿下もきっと褒めて貰いたかっただろうけど……エカテリーナ様との関係を考えると、素直に甘えるのは難しいよね。
「……ですが、殿下が勉強をしたいと自らの意思で望んだのであれば……」
「それはその通り。だけど、殿下は賢いから」
「賢いから、勉強は必要ないと?」
「そう。殿下は賢い。あの本を五歳で読めるぐらい賢いから……下手な家庭教師はつけれない」
「……殿下に教えられるものがいない?」
「それならまだいい。家庭教師、学友は殿下に近しい人間になる。今の王宮は複雑怪奇。アレンを王に、と望む声もある。ジーク殿下を王に、と望む声もある。殿下はまだ子供。その二つの声の狭間で揺れるには、後ろ盾が無さすぎる」
「……」
「本当は私が後ろ盾になるべきなんだけど……私の立場は微妙だから」
まあそうだよな。思いっきり当事者だし、エカテリーナ様。
「だから、今は勉強をする必要はない。正確には家庭教師や学友なんていう、『取り巻き』を作る必要はない。殿下が賢く無かったら、『教育』は必要。教えて、育まなければならない。それは王として絶対に要ること。でも、殿下は勝手に『学ぶ』。自分の好きな事をやっているのは、遊びと変わらないから」
……なるほど。なんとなく、理解は出来る。理解は出来るんだが……
「……ええっと……根本的な事聞いて良いですか、エカテリーナ様」
「なに?」
「エカテリーナ様って……どう聞けば良いんだろ? ええっと……殿下の事、愛してます?」
「愛してない訳がない。殿下は私のもう一人の子供って思ってる」
「……」
「……殿下がそうじゃないのは分かってる。殿下からしてみれば、私はリリアーナ様が亡くなって、その後釜に座った女狐。殿下の地位を脅かす悪い女」
悲しそうに眼を伏せて。
「……でも……殿下の事を、疎ましく思った事は一度もない。本当に、愛してる」
「……それ、殿下に言わないとダメなヤツです」
「そうなの?」
「そうですよ。だって、言われないと分からないじゃないですか!」
「でも、殿下は賢い」
「賢くたって殿下はまだ七歳ですよ?」
「……」
「七歳の子供が、たった一人、親の庇護も無い中で必死に頑張っているんです。その……想像ですけど……」
あの本を、五歳の子供が読んだのだ。暗記したのだ。きっと、大変だっただろう。難しい言葉もあるし、理解し切れない所もあっただろう。
「……それを、エカテリーナ様に報告したんです。『読めたよっ!』『頑張ったよっ!』って……報告したんです」
「……」
「……きっと……褒めて欲しかったんじゃないかなって……私は思います」
「……そう……なの?」
「……殿下?」
「……王になる人間が何を軟弱な、と思われるかも知れませんが……」
そう言って、目を伏せて。
「――褒めて、欲しかった。『凄いね』と……『頑張ったね』と」
ただ、手放しに。
ただ、無条件に。
「……褒めて……貰いたかったです」
「……」
「……」
「……私が、殿下を褒めて良いの?」
「……逆にエカテリーナ様、なんで殿下を褒めたらダメなんです?」
「『母』って」
「?」
「『母上』って、呼んで貰って無いから」
「……」
「……さっきも言ったけど、私は殿下に取ったら大事なお父さんを盗った女狐かなって。だから、『母』として認めて貰って無いのかなって。だから……そんな私が、殿下を褒めたらダメなのかなって」
「そ、そんな事はありません!! 母上が亡くなり、ふさぎ込んでいた父上を救って下さったのはエカテリーナ様です! 感謝こそすれ、そんな事を思った事はありません!!」
「……でも」
そう言って、エカテリーナ様は殿下をじっと見やり。
「――『母』って呼んで貰って無い」
「……殿下」
顔を真っ赤にして、殿下が視線をうろうろと左右に振る。やがて、少しだけ覚悟を決めた様に、殿下は視線をエカテリーナ様に向けた。
「……申し訳ありません、エカテリーナ様。私の……やはり、私の母は腹を痛めて産んで下さったリリアーナ母上です。私が『母上』と呼ぶのは……リリアーナ様だけです」
「……そう」
「で、ですので……その、お許しいただければ……え、エカテリーナ様の事を」
――エカテリーナ『母上』と。
「……そ、そう呼ばせて……頂いても宜しいでしょうか……」
「……」
「産みの母はリリアーナ様です。ですが……エカテリーナ様を、育ての母として」
――お慕いしても、宜しいでしょうか、と。
「……アリス」
「はい」
「どうしよう。物凄く、嬉しい」
「ならばすることは一つですね」
「一つ?」
「愛しい子供が、あんなに照れ臭そうにしているんですよ? 『母上』なら」
抱きしめて、差し上げて下さい。
「照れ臭い顔を見せない様に、包み込んであげて下さい。七歳児の、ましてや男の子なんてがきんちょですので。照れた顔、見せたく無い筈なんですよ。ヤですね、男って」
そう言って肩を竦めて見せる私に、エカテリーナ様は小さく微笑んで――
「……え? え、エカテリーナ様? 今っ!!」
「……恩に着る、アリス。さあ……おいで」
――『ジーク』、と。
「……ヤバい」
エカテリーナ様の胸で泣きじゃくる殿下を抱きしめて、慈愛に溢れる微笑みを浮かべるエカテリーナ様を見ながら、心の中で陛下に謝罪をする。あの笑顔、反則だろう。そりゃ、陛下も簡単に落ちるわ。つうか『わく学』、マジでこういう所だぞ! こんな魅力的なキャラ、モブで置くな!
「……ま、取り敢えずめでたし、めでたし、かな?」
泣きじゃくる姿は見られたくないだろう。幸せそうな二人に挨拶しないのは不敬とも思ったが、空気を読んだ私はそのまま部屋を中座した。
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