第94話 違和感(前編)
第94話 違和感(前編)
いつもの様に怪奇の記録を取ろうとしたが、くたびれているのだろうか、思い出せないことが多い。いつもなら鮮明に覚えているのに、記憶が途切れているように所々に空白がある。幸い手元にメモは残してあったから何とかなったが、どうにも釈然としない。ICレコーダーを回しておけばよかったと思ったが、怪奇の音が物理的に録音できるとは限らないから、結局記憶か記録しなければならないとすぐに思い直した。
一段落してから早めの昼食をとって、少しの間息抜きに特に何をするわけでもなくゆっくりしていると部屋の隅からガンガンと音が聞こえた。
(何だろうか)
物が落ちたのだろうか。棚の方だ。いくらかの本、小物、薬、それから水槽がある。厚めの布がかけてある。下には何も落ちていない。
(怪奇だろうか)
隣の家から音がしたにははっきりと聞こえすぎている。布の目を針の穴を通すようにして遠くから覗くと怪奇の姿が見えた。ただ、視野が狭すぎて正体は分からない。
手近にある粘着ローラーの柄を伸ばす。懐に札を用意して、手元に重い辞書を置いて、柄の方でそっと布をどかす。そこにいたのは…。
(ああ、何だ、硬貨虫か)
また餌を催促して跳ねたようだ。それとも運動不足だろうか。硬貨虫は寒さを感じているのか、感じていないのか、水槽の中に古くなったタオルを入れておいたらそこに潜っているのをよく見かける。
家の外に散歩?に行って逃がしでもしたら協会に相当搾られるだろう。リードをつけられそうなくびれもない。家の中で放し飼いにしたら何を食事にされるか分からない。スマホやPCを食べられたらと思うと恐ろしい。
幸い懐いて?いるようだから脱走することはないが、怪奇は何が起こるかわからない。台所に行って冷蔵庫から餌になりそうなものを…。
(おかしい)
餌は金属だったはずだ。どうして冷蔵庫を開けたのだろうか。再び水槽を叩く音が聞こえたので、近くにあったS字フックを水槽に入れる。硬貨虫は早速S字フックにもぞもぞとへばりつき始めた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ようやく分かった。怪奇に関する記憶が部分部分欠けている。それだけではない。よく考えるとおかしい。日記を見返して恐らくだがその原因が分かった。みーさんと一緒に笠登駅に行ったときだ。
完全に記憶から抜けていたのに日記に書くことができていたのは、書いた後に何かが起こったのだろう。その辺りの日常の記憶も曖昧だ。みーさんにも多分影響が出ている。同じ話を2回聞いている。笠登駅に行った直後の話だから同じモノが原因だろう。
普段あまり日記を読み返さないことが幸いしたのかもしれない。記憶の綻びもいい加減になっているような気がする。しかし、肝心なことを忘れている可能性がある。まずは現状のすり合わせをみーさんと行わなくてはならない。
普段滅多に使わない電話をかけると、運よく一発でつながった。
「もしもし、上野です。今いいですか」
「いいですよ、どうしましたー?何かのお誘いですかー」
電話から聞こえる声はいつものように時々間延びしていた。しかし少しだけテンションが高いように聞こえた。酒でも飲んでいるのだろうか。
「みーさん、笠登駅に行ったとき、正確にはその前ですけれども、異界に迷い込んだ原因の黒い人型の人形をどうしたか覚えていますか」
「あれは、上野さんが持って帰ったんじゃなかったですかー?あれ?」
「私が書き留めておいた記録には、持ち帰った後、私と相性が悪くみーさんに預けたと書いてあります」
「あれ?そうだっけ?」
「私はその辺りから怪奇絡みの記憶に穴が空き始めています。それ以外の直後のものも同じです。みーさんはどうですか」
「うーん、あの後依頼は受けていないからそんな気は…あー、ありますねー」
「私、同じゲームの同じアプデの話を2度されましたよ」
「そんなこともあったかなー。うん、笠登から帰った後、同じ動画を作りましたねー。ああ、あれってそういうことかー。ボケたのかと思ったんですよー」
他にも思い当たる節はお互いにあったが、まず元凶の可能性がある黒い人型の人形を探す事に決めた。私の記憶ではみーさんが持っていた。みーさんの記憶では私が持っていた。取っ掛かりになる物がないか自宅のあちこちを探し、カバンの中をもう一度探し、ついでに車の中を探していた時にみーさんから電話がかかってきた。何かを入れたはずなのに中身のない封印用の袋がカバンの奥にあったそうだ。言われるまで全く気付かなかったらしい。大方これだろうしということになった。
荷造りを済ませてから中身についてのすり合わせと、中身の捜索と、ツァップさんに見てもらうために(得意分野かも分からないがみーさんの勘、だそうだ)支部に行くことにした。時間に余裕はあるからこういう立ち回りができるが、この場合の交通費は協会と私、どちら持ちになるのだろうかとつまらないことを考えながら電車に乗った。
支部への道筋は覚えていた。何を忘れているのか覚えていないか分からないから怖い。支部の扉を叩いてから開けると、みーさんとツァップさんが既に中で待機していた。