第92話 憂きもの(後編)
第92話 憂きもの(後編)
後片付けも終わり、夜も遅くなったので嶽さんの車で夕食をとることになった。店に行かなかったのは堂々と怪奇の話ができそうな所は開いていないからだった。コンビニに行くと、私のボロ具合と所々出血している姿を見たコンビニ定員がぎょっとした顔をした。そこまで意識が回っていなかった。申し訳ないことをした。改めて自分の姿を鏡で見て、服が勿体ないとも思った。
から揚げ弁当と野菜ジュースを買って(藍風さんも同じ野菜ジュースを買っていた)、近くの空き地に停めた車の中に入った。嶽さんと桾崎さんは夕食を持参していて、先に食べていた。来てもらったお礼に、2人ににコンビニで買ったコーヒーとジュースを渡して、私達も後部座席で夕食をとり始めた。
中は清潔だったが物が多く、森の香りが仄かにして、よく見ると荷台には何かの葉が何種類も落ちていた。後部座席も狭かったため、自然と藍風さんとくっつきながら食べることになった。傷ついた腕に温かさが優しく触れていた。
足元にも何かの道具の入った衣装ケースが置いてあったので、それの上に足をのせて膝を立てながら食べる形になった。藍風さんは足が細く、小さいから上手く隙間を利用していた。不格好に食べはじめると嶽さんが口を開いた。
「食べながら聞いてくれ。今日会ったあれは、憂きものだと思う。俺は詳しくないが、上野たちが大浮き球と呼んでいるモノの中なのか、まとわりついていたのか、ともかくそれと一緒に出てくるのは知らなかった。山にもいるがな」
そう言い終わってから嶽さんは一口コーヒーを飲んだ。助手席の桾崎さんが熱心に聞いているのが見える。私が素人だからだろうか、聞き慣れない単語が出てきた。
「その憂きものとは何でしょうか」
「憂きものは、あれだ、人を憂い、つまり不幸、心配、悲嘆、陰鬱、そんな気持ちにさせる。そうしてから、食う。そういうモノだ。あんなに凶暴だったのはすぐに捕食する必要があったのかもな」
「確かに、憂きものたちが近づくにつれて憂鬱な気持になりました。そういうことだったのですか…」
藍風さんも同じことを言っていたのを思い出す。ちらりと隣を見ると、藍風さんは小さくコクンとうなずいた。
それから食事をしながらこれまで起こった情報、対峙した時の情報をまとめた。報告書は私達から出すことになった。2人は別件でまた山に籠るそうだ。桾崎さんの学校の出席は大丈夫なのだろうかと心配に思った。食事も話も終わった時にはもう深夜業をするような時間になっていた。
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嶽さんと桾崎さんにお礼と別れを告げて、私達は家に帰ることにした。車内は寒かったのですぐに暖房を入れて、車を走らせた。藍風さんには寝てもらった。桾崎さんのことが気になったからではないけれども、学校には行けるだけ行った方がよいと思う。
藍風さんは申し訳なさそうにしていたが、無理を言ってというか、頼む形で休んでもらった。藍風さんはジャンパーを脱ぐと少し薄手の毛布を被って目を閉じた。すぐにすやすやと静かな寝息が聞こえてきた。体の痛みも、車を走らせるくらいなら、特に高速道路を走らせるくらいなら我慢できるものだった。
中間地点の、G県の端の方にたどり着いた頃、パーキングエリアに寄って休憩することにした。眠気もやや現れ始めたため、コーヒーでも買おうと思った。藍風さんものどが乾いたりしているだろうから、いつものように軽く肩のあたりをゆすると、これまたいつものようにとろんとした目で「おはよう…ございます…」と言われた。信用されているのか、無防備なのか。
自販機近くのベンチで少しの間、体を伸ばしたり、コーヒーを飲んだりなどをして一休みしていた。星は曇っていてあまり見えなかった。肌寒さを感じたが、それもまた心地よかった。藍風さんも遅れて自販機のところへやって来た。彼女はホットのお茶を買ってから私の隣に座った。
「あの、傷は…」
彼女はためらいがちに普段よりも小さな声で聞いてきた。
「もう何ともないですよ。安心してください」
本当はまだ痛いが。
「良かったです。あの、今日は…ありがとうございました」
ほっとしながらも、まだ何か言いたげにしているが分からない。大体言うことは言ってくれているから、こういうときは詰まってしまう。無理に知る必要のないことなのだろうか。それはともかくして、だ。
「こちらこそ、藍風さんのおかげで今日も助かりました。ありがとうございます」
いつのもようにお礼を言う。
コーヒーを飲み終わるまで、沈黙が続いた。風は吹いていなかった。缶をゴミ箱に捨てに行って戻ろうとしたとき、沈黙を破ったのは藍風さんだった。
「何か来ます。怪奇です」
「どのようなモノでしょうか」
「わかりませんが、近づいてきているようです」
わざわざその話をするということは強いモノなのだろう。戦おうか。こちらの戦力はほぼない。持っているのは嶽さんからもらった札と藍風さんの持っている分が数枚、幽霊瓶(これは役に立つ気がしない)だ。
(よし、逃げるか)
「藍風さ―」
彼女の手を引いて逃げようとした。しかし、できなかった。駐車場と自販機のある歩道の間の縁石辺りから薄く、膜のような物が張っていた。結界に閉じ込められたようだ。