第80話 無名駅(後編)
第80話 無名駅(後編)
「これ、どうなっているんですかねー」
みーさんは黒い人型の腕をペンでつついて反応を見ている。腕はそれに合わせてピク、ピクとわずかに動いてはいたがすぐに静かになった。
「それ、多分触っても大丈夫ですよ。さきほど殴られましたから」
ナイフとモップの向きを元に戻しながら説明する。このままだと刺しにくい。
「え、怪我していないですか?怪奇は理屈を超えるから、何が起こるかわからないですよ」
心配させてしまった。少しだけ嬉しいが。
「まあ、平気でした。この人型は、何と言えばいいのか…、構造が人に似ています。だから、大丈夫、だと思います」
はっきり言えないのが怪奇の怖い所だと思う。特に、名の知れていないわけのわからないモノだと、その通りわけがわからない。
「そうですよねー。やらなきゃ終わらないですからねー」
みーさんは目を閉じてそれに触った。私もロープの向こう側を処理しながらみーさんの次の行動を待つことにした。
「あ、上野さん。分かりました」
3体ほど倒した後だった。結構すぐに終わったようだ。
「どうしたら良いのでしょうか」
「ちょっと言いにくいんですけど、さっきの石の山、あれの中に木で作られた人形があるんですね、それを壊せばこの結界から出られます。あれが中核です」
また戻るには遠いし、黒い人型も増えている。先に壊しておけばよかった。
「そうですね…。もう一度向こうに行くのは、どうしましょう。黒い人型が相当増殖していますが」
「えーと。言いにくいんですけど、私は鈍いですから…」
鈍いといっても普通以上の体力と走力はあるように見えた。これらの怪奇を撒くほどという意味だと思う。
「私が行きますが、この数は…。あ、ちょっとその腕借りていいですか」
いいことを思いついた。
「いいけど、何に使うんですか?」
「火が点くかなと思いまして」
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私がライターを取り出したところでみーさんにストップをかけられてしまった。
「ちょっと待ってください。火って点けてどうするんですか?」
そういえばどうするか言っていなかった。
「これに火を点けて向こうに投げたら、延焼で人形も燃えないかと思いまして。それが駄目でも数は減りそうですから」
「え…。うーん…」
「もしかして、人形を回収したいと思っていますか」
「一応、仕事柄ですよー?ただ、少ーし、もったいなくないですか?」
そうだろうか。命の方が勿体なくないだろうか。
「…」
「ほら、一つが分かれば他のにもつながるかもですしー」
「…」
「協会に報告するときの報酬の足しにもなりますから」
「…」
「方法がないならしかたないですねー」
分かってくれたようだ。気持ちはわからなくはない。貴重なものを捨てなくてはならない感じだろうか。考古学者にとって、調べる前に遺跡が燃えてしまったような感じとでもいえば、もっとみーさんの心情に近いだろうか。
ライターを再び取り出して、腕に近づけて、点ける。生の人間なら水気が多いから燃えないだろう。しかし、これは怪奇だから…。ダメだった。火が移らない。炭のような色をしているのに。このくらいの火でどうこうするのは無謀すぎた。隣でみーさんがこっそりほっとしている。
するしかないか。みーさんには世話になっている。彼女だけでも無事に帰さないといけない。窓から見ると、ぎりぎり行けるか行けないかの量だ。
「みーさん、ナイフは持って行きますから、モップで頑張ってください」
「それくらいはやりますよー。本当に、気を付けてくださいね」
「ありがとうございます。まあ、何とかしますよ」
靴ひもをしっかり結びなおし、立ち上がる。モップで目の前の黒い人型を押し飛ばして、隙間を作り、そこから外に出る。
窓越しに見た通り、多い。急いで避けながら走る。左の丘の方はまだ数が少ないからそちらを経由して行こう。電車の近くのはみーさんの方に誘引されているようで動きはあまりない。駅舎を越えてからは私の方にエイムが向けられる。
(危ない)
右方に現れた人型の腕を避ける。次は、もう一度右か。音で分かる。だけれども、避けられるかは別問題だ。かすった。それに、この状態で長く居続けられない。
走って、避けて、戻ってはナイフで突き刺し、石を投げて、同士討ちさせて、そうして何とか石の山までたどり着いた。生きているのが奇跡だ。石の山に蹴りを入れると簡単に崩れた。そのまま足で探ると…。
(あった…)
木製の人形だ。黒い。何の木だろうか。一瞬考えたがすぐにすることを思い出した。人形にナイフを突き立てた。寸でのところで襲ってきた黒い人型が急に消える、ということもなかったが動きが非常に緩慢になり始めた。辛うじて翻し、人形は懐に入れて、徐々に数が減っていくのを見て…。
(これ、私もまとめて消されないか…)
そんな気がする。なりふり構わず全力で電車に戻る。みーさんが呼んでいるのが聞こえる。ロープは既にほどかれている。あんな声も出るのか、大声でなくても聞こえるのに。じゃなくて、逃げなくては。
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みーさんの伸ばした手を掴み、電車に飛び込んで、何とか間に合った。後ろを振り返ると、もう駅舎が飲み込まれて行くところだった。危なかった。吐きそうだった。飲まなければよかった。
すぐに景色が変わり、やがて「笠登」と書かれた看板が見えた。戻ってきた。スマホの電波は先ほどと違って入っていた。。時間がすぐに修正されて、丁度笠登駅に着く時間になった。みーさんと私はお互いの無事を確認してようやくほっとした。早く寝たい。体中が痛い。