第60話 猿馬(前編)
第60話 猿馬(前編)
ついに朝食の魚がかぶり始めた。ないよりは断然ましなのだが、いつの間にか贅沢になっていたようだ。外は朝から雪が降っていた。これはこれで風情があってよいのだが、運転が心配だと思った。
昼食を女将からもらって外に出ると、案外暖かく感じた。雨よりも雪の方が好きだ。藍風さんと監視カメラを交換しながら現場の確認を行って、昼食を取った。昨日とおかずが違った。ありがたかった。
「今日も収穫がなかったらどうしますか」
藍風さんから不意に聞かれた。
「そうですね。私達はずっと張り込んで調べるのには向いていないのかもしれません。そういう特定のモノに強いわけでもないですよね。見切り時はいるでしょう」
「そう言ってもらえると助かります。折角の依頼なのにすみません…」
進展がないのを気にしていたようだ。それから、正義感でやっているわけでもないようだ。
「それはお互い様です。私は一人ではほとんど何もできませんし、怪奇に詳しくありませんから、助かっていますよ」
「ありがとうございます」
多少でも気持ちが上向きになればよいと思う。
その後は桾崎さんの話になった。どんな人物なのかお互いにあまり知らないが姿は見たことがある(私は会ったことがある)程度の認識だった。弦間さんの弟子と言うことは陰陽道に通じているだろうと考えていた。
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食後、一旦別のアプローチをしてみることにして、現地の確認を流しながら行って、下流から合流地点まで向かった。そこから更に下流に行って橋を渡り、反対側に進んだ。
川と橋は逆側から見ると、何回か見ていたはずなのに雰囲気が違っていた。こちら側は林道だから途中途中で車から降りて、林の中を突っ切っていかなくてはならなかった。雪で足場が固まっていたからまだよかったが、気温がもう少し高かったら溶けて土と合わさってぐちゃぐちゃになっていたと思う。
とはいえ雪は雪で恐ろしく、藍風さんは草の上に雪が積もった所に足を引っかけて転びそうになった。寸でで腕をつかんで事なきを得た。その後からは棒で足場の下がしっかりしているか確認しながら進んだ。視界が開け川が見えたところで、対面の川原に猿馬が見えた。
「藍風さん、猿馬が向こうの河原にいます。あの大きな石の近くです」
説明するときに自然と顔と顔が近くなる。
「どこですか、あ、あの辺りですか。やっぱり私には分からないです」
「今は、止まっています。何もしていないけれども、時々辺りを見回しています」
「もう少し見ていてもらえませんか」
「はい。そうですね、この姿勢は警戒を示していると思います。雪のせいであまりはっきりは見えませんが、中度の警戒と言ったところでしょうか。ああ、顔も体もそうしています」
馬や猿が警戒しているときに見せる表情や、格好そのものだ。やはり元となったものの性質を受け継いでいる様だ。
「ということは依頼の怪奇は形あるモノのようですね。後は姿を確認できれば良いのですが…」
「あ、移動します。川上に進んでいます」
追うようにして私達も川上へ進んで行く。しかし、足元の確認や道がないということもあって、大岩を迂回して再び川が見える位置に来た時には猿馬はどこにもいなかった。
「見失いました」
「収穫はありました。怪奇は形あるモノのようですから、例えば誰かが川や橋に近づいてもそれを追い返すなりすればよいです。ガス状のモノだったりしたらどうしようもありませんでしたから」
藍風さんは嬉しそうだった。大岩にはヤモリのような怪奇が3匹くっついていた。ということは対岸の方に依頼の怪奇が現れる確率が高そうだ。
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林道の一番奥にたどり着いてから折り返し、今度は町の方まで向かった。桾崎さんを迎えに行くためだった。初めて走る道に雪が積もっているのはとても緊張した。特に対向車が走っていると一層だった。大通りまで出ると雪は溶かされていて、比較的運転がしやすかった。駅前に着いた頃にはもうすっかり暗くなっていた。少し待つと電車が来て、大荷物を持った桾崎さんが現れた。
「こんにちは、上野です、よろしくお願いします」
車から降りて挨拶をする。荷物をトランクに入れるためでもある。
「桾崎です。よろしくお願いします
桾崎さんは大き目のダウンジャケットを着ている。より一層本人が小さく見える。というか、今更だが、大丈夫なのだろうか。荷物を預かり、トランクに入れてから後部座席を勧め、自分も乗り込む。
藍風さんが助手席から少し身を乗り出して、桾崎さんと挨拶をしてから旅館まで向かった。道中、藍風さんはこれまでの経緯を淡々と、しかし分かりやすく話していた。桾崎さんは何だか熱心に聞いているようだった。
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風呂に入ってから夕食を食べた。今日は辛口の日本酒だった。桾崎さんが何となく興味を持っていそうだったので飲まないように言っておいた。それから、藍風さんの部屋に集まって映像の確認をした。同じ映像の中、雪が高速で地面に叩きつけられているのを見ていると、その中の一つ、上流から2番目のところに設置したモニターに影が見えた。正確にはそこだけ雪がつくるラインが消えていた。