第53話 笑い声(前編)
第53話 笑い声(前編)
有休中は自由に時間を使えるがあっという間に時間は過ぎてしまう。区切りをつけたい。ずっと本ばかり読んでいても頭に入らない。そう思った私は自転車で少し遠くをぶらつくことにした。ある程度の方向だけ決めて、細い路地や畦道を漕いでいった。町に入ればマイナーな観光地?を見て、スーパーマーケットで昼ご飯を買って、近くの公園で食べた。寒かったが日が出ていれば自転車をこいでいるうちに温かくなった。公園には石に化けていた獣の怪奇があった。こちら側に見える姿は石だが、重なっている像は獣だった。目的は分からないが、そこにうずくまっているから獲物を狙っているのか、日光浴かだろうか。だったらこちら側に姿を現さなければよいのにと思ったが、もしかしたら隠れることのできない怪奇なのかもしれない。
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夕方ごろ、文松中学校に藍風さんを迎えに行った。依頼のためだった。そこまで緊急性はないどころか小物とも思えるようなものと言う話だったが、この後の予定は既に立っていて、また興味のあるものだったから少し無理に受けたということだった。
「お疲れ様です」
透き通った声が聞こえる。藍風さんだ。制服の上にコートを着ている。少し寒そうにしている。日が傾くとすぐに寒くなる。藍風さんは慣れた手つきで荷物を後ろに置いて、座席に座ろうとして、少しだけいぶかしげな表情を浮かべた。
「どうかしましたか」
「大したことではありません。席が少し後ろになっていただけです」
シートの位置を戻して、手慣れた様子でシートベルトをする。甘めの柑橘系のような果実の香りが車内に広がる。
「そういえばみーさんが乗った後でした」
車を学校から出して、高速道路の入り口を目指す。
「みーさんがですか」
「はい。この間家に来てですね、怪奇がらみのことと、後は酒盛りですね」
「そうですか」
藍風さんは普段無表情に見えるが、何かを期待するような雰囲気をわずかに感じた。
「藍風さんは冬休み、予定以外はずっと文松町にいるのですか」
ふと気になって聞いてみる。年末年始なら親戚のところにも行くのだろうか。それ次第で予定のものを急いでこなさなくてはならなくなる。
「いえ、私は家にいると思います。親戚も近くにいませんので。上野さんは何かご予定はありますか」
「私も同じです。親戚はいないので自宅で年越しそばでも作って食べようかと思っています」
「クリスマスは何か予定ありますか」
運転中だから見ることはできないが無理に会話をつなげようとして、焦っていると思う。
「その日は藍風さんといると思いますよ。2日前から予定がありますよね」
「そうでした。忘れていました」
いつも冷静な割には珍しいこともある。
「それより、お友達とパーティーをしたりしなくてよかったのですか。別日にずらしても私は大丈夫ですよ」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
落ち着きを取り戻したようだ。声の上ずりが元に戻っている。
高速道路に入ってからはあまり話すこともなくなった。藍風さんが窓の外を見ている間私は今回の依頼内容を考えていた。
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今回の依頼は町からだった。筆橋町は文松町から近い田舎寄りの町で、特に何があるというわけではないところだ。そこで最近、夜中にある通りを歩いていると人の笑い声が聞こえるという。人の声と言っても聴く人によって異なる声に聴こえるようで、内容も人それぞれだ。複数人に同時に聴こえたときでも声、内容共に違っていた。
1人目は20代女性。低い男の声で「カツラ、カツラ…」と繰り返し聞こえた。知り合いに桂さんもカツラの人もいないらしい。
2人目は30代男性。女の子の声で「ソウジャナイ」と数回聞こえた。思い当たることはないそうだ。
3人目は60代男性。高い男の声で「アシタアリマス」と繰り返し聞こえた。翌日は特段何もなかった。普段は補聴器をつけているが、それ抜きでもクリアに聴こえたらしい。
4人目は60代女性。低い女の声で「アビボエアチ」と繰り返し聞こえた。3人目と同時に聞いていた。
他にもいたが、特に共通点は町民であることくらいだった。町が話を聞き取れなかった人も含めるともっといるのだろう。住民の安全のため、また、住人が気味悪がっていなくなっては困ると町長が協会に依頼してきた。
この怪奇の厄介なところは見えないが声が聞こえるというところだ。それが原因で大したことなさそうな割には対応されずにいたようだ。
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高速道路を降りてから筆橋町に入り、そこで夕食を取った。この辺りには店の選択肢があまりなく、結局ファミレスしか見つからなかった。向かいの席に座って私も藍風さんもナポリタンを食べた。
それから現地近くの駐車場に車を停めて、2人で並んで歩き、通りまで向かった。コートなしでは寒い夜だった。曇っていたので星が見えることもなかった。街灯は寂れていて時折点滅していた。私も藍風さんも懐中電灯を使って歩いた。私は夜目が利くが、他の通行人や車から見えないと危ないからだ。そんな調子で通りを10分ほどかけて黙って歩いたが声が聞こえることはなかった。