第3話 初仕事
第3話 初仕事
怪奇を感じられるようになってみて、ずっと怪奇を感じ続けるのも不都合であるということが分かった。例えば、車の運転をしているときに、急に飛び出してきたのがこの世のものなのか、そうでないのかわからない。一瞬で判別していると非常に集中力を使う。しかし、知ってしまったものは見えていないのはそれで気になる。藍風さんにメールで相談したら、
「目を細めたり、伊達眼鏡をかけて微妙にぼやけたり、ずれるのがこの世のもの、逆にはっきり見えるのが怪奇です。慣れていれば普通に区別できるようになります」
と、返事をもらった。その日から伊達眼鏡を買って運転中はかけるようにした。
それから、怪奇を感じる練習をしている。普段行き慣れている場所で集中すると、案外変な臭いがしたり、寒気がする。逆に、いかにもな場所には案外いなかったりする。当然いたりもする。念のためもらったお守りを持って行っているが、感じられることを安い怪奇に知られるのもあまりよくないです、と後で言われた。
仕事は相変わらずだった。仕事自体は楽しいが、どうしても静かに嫌われているのか空気が重い。連絡が回ってこないようにされているが、上手で、上役からは見えないようにされている。黒い羊は殺されてしまう。そんな日常も、非日常とかかわってしまったことで、今までよりも少し気が楽になった。藍風さんからは水曜日に依頼の連絡がきた。週末は特に予定がないので、OKし、それを楽しみにして、平日の閉塞感から逃れた。
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金曜日の夜に藍風さんを自宅まで迎えに行った。重たい荷物があるということで、男手があった方がいいかと自分から申し出た。街中で動きやすい格好で来てください。と言われていたので普段着にスニーカーを履いていった。あらかじめ貰った地図通りに行くと、駅からほどなくして藍風さんの屋敷は見つかった。
(大きい…)
そこは純和風の屋敷だった。屋敷は塀で周囲を囲まれており、立派な門があった。インターフォンを押すと「しばらくお待ちください」と鈴のような声が聞こえて、ほどなくして制服姿の藍風さんが現れた。
「どうぞ、お入りください」
「お邪魔します」
開かれた門をくぐり、中に入ると殺風景な庭が広がっていた。家屋は2階建てで大きい玄関と縁側が目立った。
「玄関で少し待っていてください」
一人暮らしなのだろう、玄関には靴がそれほど並んでいなかった。自転車は玄関の中におかれていて、そういえば庭には何もなかったと思いだした。玄関からは左手に廊下が見えて、そこから通じる扉は閉められていた。右手には障子戸の小部屋があった。立派な家なのに生活感があまりない。
「お待たせしました」
藍風さんはショートパンツにTシャツを着て、紫色のパーカーを羽織っていた。細身で小柄なスタイルに似合っている、と思った。隣には大きめのリュックサックがあった。
「それが例の物ですか」
「そうです。少し重たいですがよろしくお願いします」
少し持ってみると、多少重いが自分には大したことはない。
「これくらいなら大丈夫ですよ。もう行きますか?」
「そうですね。よろしくお願いします」
私と藍風さんは文松駅まで歩いて向かい、そのまま電車でG駅行きの電車に乗った。G駅はG県で最大の駅で周囲には大抵の店が出そろっている。近場には観光名所もあり休日には老若男女が大勢利用している。電車はちょうど空いている時間帯で、2人掛けの席に座ることができた。藍風さんも隣に座ってきた。
(隣に座るんだ…)
他に席が空いているのになんか気恥ずかしい。藍風さんは一言断ると学校の宿題を始めた。ちらりと見ると習ったはずなのに意外と忘れていた。手持無沙汰になった自分は今回の依頼の内容を思い出していた。
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G駅から歩いて10分ほどのと場所にある路地があって、そこは人通りが少ないながらも駅から某塾をつなぐ最短経路である。その塾生の間でここ一月ほど「ずるこさん」が出るという噂が立っている。初めに目撃したのは中学3年生の塾生だった。彼女は遅くまで塾で勉強をしていて、帰りの電車が他の人より遅くなった。急いで駅に向かうのにその路地を通ると、向かいから自分と同じくらいの背の女性が何かを引きずってこちらに向かってくるのが見えた。気味が悪く感じた彼女は目を合わせないように通り過ぎようとしたが、しかし、好奇心が勝り、ちらりとその少女を見てしまった。彼女の目に入ったのは、ひきつった笑みを浮かべながら成人男性の死体を引きづっている少女がこちらをニタリと見つめている姿だった。
彼女は気絶しているところを通りがかりの人に助けられたが、その日から一週間ほど高熱を出してうなされたという。快復後彼女は塾へ行きたがらなかったが、受験に熱心な家庭だったのか、親の送迎を条件に今まで通り通い続けることになった。それでも彼女は不安で、たまらず塾の友人にその件を相談したところ一気に話が広がってしまった。自分も聞いたことがあるという者や、遠回りしてその道を通らないようにする者が現れるなどが出るほど塾内でうわさが広がった。誰がつけたのかその女性は「ずるこさん」と呼ばれるようになり、信じていなかった塾生達も2人目の目撃者が出たことでパニックになった。
塾側もうわさを聞いて不審者がいないかその道の見回りをしたが、そんな人はおらず学生の悪い噂だと片付けた。それでで塾生は安心できるはずもなく、塾生だったら別の路地にも出会うことがある、塾をやめてもついてくる、ずるこさんは次の獲物を探していて男なら殺されて引きづられ、女なら殺されて食べられるなど収拾がつかない状態であるという。
依頼者はその塾に通う子を持つ母親で経済的に余裕があるのだろう、塾に行きたくないと駄々をこねた子供からうわさを聞いて今回依頼をしてきた。
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しかし、こうした噂はどこにでもあるものだ、と思った。有名な口裂け女も確か塾に行くことがかかわっていたはずだし、時代が変わっても人の考えは変わらないものだ。ただ、これが依頼として受理されたということは専門家が(会ったこともないが)噂ではなく、怪奇であると判断したからで油断はできない。何故藍風さんが対応することになったかは知らないが、わけのわからなさから伝統的な除霊師よりも向いていると思われたのだろうか。
考えているうちにあっという間にG駅についた。私と藍風さんが駅を出ると金曜日の夜ということもあって辺りはにぎわっていた。
「こっちです」
藍風さんは懐から取り出した地図を見せながら私に言った。隣に座っていた時は感じなかったのに、風の流れができたからなのか辺りの臭気が引き立てたのか、藍風さんの方からからふわり、と甘い匂いがした。
「近くまで来ても特に何も感じませんね」
確かに、そういわれて集中しても何か特別なものは見えなかった。いつも通りのモノが見えただけだ。
「考えていたのですが、」
藍風さんが言った。
「この怪奇は塾生の間でうわさが広がっていますが、他ではあまり広がっていないようです。塾に通っている人しかわからないその路地の不気味さが説得力を持たせていたのか、塾自体に何かあるのでしょうか。それから、大人が見回りをしても誰も出会っていないようですし、何かしらの指向性があるのでしょうか。怪奇に理屈を求めてもどうしようもないんですけれども」
「そういうものですか。ずるこさんは出会った人を殺すとうわさされていますが、見かけた人は目が合って熱が出ただけですし、何がしたいのでしょうか」
「目的があるのではなく、ただ徘徊する装置のようなものかもしれません」
なるほど。ゲームのNPCみたいなものだろう。そんな話をしているうちに例の路地に着いた。周囲は暗く、ひんやりとしているように感じた。街灯が少ないが歩こうと思えば歩ける程度だった。
「結界を張るので、ずるこさんの気配がないか見てください」
藍風さんはそういうと、懐から怪しい模様の書かれた紙を取り出し、路地の角に貼り始めた。私は集中して怪奇の気配を感じようとした。周囲の冷え込みが一段と強くなった気がする。遠くでクラクション音が聞こえる。路地の隅に捨ててある弁当の原材料名がはっきりと見える。しかし、特段怪奇らしいものは感じられなかった。
「お待たせしました。いないみたいですね」
結界を張り終わった藍風さんがこちらに向かってきた。
「どこにでもいるようなモノさえいないようです」
「おそらくずるこさんの存在が低級な怪奇を遠ざけているのだと思います。何もいないことがずるこさんの存在を確かにしています。今感じられないのは何かしらのきっかけがないと出てこないのでしょう」
それから藍風さんと私はきっかけを探して塾から駅までを捜し歩いた。路地に貼った結界は人払いも兼ねているらしく、私たちを不審に思う一般人が来ることはなかった。しかし、何がきっかけかもわからないまま探すのは難航を極めた。
きっかけ。最初に出会った塾生は夜遅くに一人で路地を通った。二人目は噂がたってからも塾通いを続けていて、かつ、その路地を恐れていなかった。大人は見つけていないし、塾外でも噂が立っていない。何が原因なのだろうか。考えてもやはりわからない。
「あ、」
隣で同じように考えていた藍風さんがそうつぶやいた。
「何でか分かりませんが、出てきました」
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路地の向こう側に突然女性が現れた。何か引きづっている。集中して見るとその像が二重に重なって見えた。こちら側と向こう側の姿が見える。怪奇、ずるこさんだ。それはその名の通りずる、ずると何かを引きずる音を立てながらこちらにゆっくりと近づいてくる。距離にしておよそ200mくらいだろうか?
「結構早く現れましたね。もう少し近くに来るまで待ちましょう」
藍風さんは冷静に言うと、警戒しながらそれを見つめた。私は用意していた荷物を取り出して構えた。こんなものが効果あるのだろうか。考えているうちにずるこさんはだいぶこちらに近づいてきた。引きずっているのが人の死体に見えたとき、改めて恐怖を感じた。しかし引き下がることはできない。
(そろそろか…)
私は、構えていた電気スタンドを強く握った。本当にこんなもので大丈夫なのか?殺されないか?藍風さんのよくわからないやり方は理解できない。ただ、藍風さんは信用できる。ずるこさんはもう目の前だ。
ずるこさんがこちらをニタリと見た。背筋が凍りそうだ。私は、思い切って電気スタンドを引きずられていた死体目掛けて叩きつけた。
「アア…ア…ア」
その瞬間、ずるこさんは野太い声を発するとその場に倒れ動かなくなった。利いたようだ。
「お疲れ様です」
藍風さんはそう言うとずるこさんと死体に札を貼り、ふぅ、と深呼吸をした。
「しかし、どうして電気スタンドで殴ると動かなくなるのですか?それも本体ではなく死体の方を」
「すみません、わかりません。ただ、ずるこさんとは勝手に名付けられたものなので本当は死体に見える方が本体のなのかもしれません」
そうなると、女性に引きずられている男性の怪奇、ということだったのだろうか。そのうちにずるこさんは姿が見えなくなった。
「上野さん」
藍風さんが話しかけてきた。こころなしか緊張しているように見える。あんなモノと会った後だから無理はないのかもしれない。
「私の言ったやり方を信じてくれてありがとうございます」
白い頬がかすかに紅く染まっている。
「いや、こちらこそ」
何がこちらこそなのか分からないが、気恥ずかしさをごまかすようにそう言った。
藍風さんは協会に連絡した。依頼者への連絡と謝礼の手続きを代行してくれるようだ。
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その後、私達は帰りの電車に乗って、文松町まで帰った。藍風さんは隣に座って窓の外を眺めているようだった。途中でふと窓の外を見たときに暗闇に映る藍風さんと視線が合ったような気がした。文松駅に着いたときにはもう深夜だった。女子中学生を一人で歩かせるわけにはいかないので、私は家まで彼女を送った。ちょうど家に着いたときに彼女の携帯が鳴った。
「はい、藍風です。お疲れ様です」
「はい、ありがとうございま、え、いや、来週ですか、急に、私は大丈夫ですけど」
「いや、そんなのじゃないです、え、はい、聞いてみます」
藍風さんは電話を切るとこちらを向いた。どうやら電話口の相手と話がまとまったらしい。
「あの、来週、一緒に協会に行ってもらえませんか」