第267話 会社(後編)
第267話 会社(後編)
私が使い慣れていない英語で説明するのをツァップさんのお父さんは頷きながら聞いている。お母さんは上品に紅茶を飲みながらこちらに耳を向けているが、そこまで本腰を入れていない。そもそも私が説明をする必要はあるのだろうか。ツァップさんがどうしたいか、どう説得するか、それをご両親がどう思うかが肝であるはずだ。
何となく理由は分かる。娘が異国の地に本腰を入れて残ることに何とかして抵抗したいのだろう。しかし、娘に対立したくない。そこで、何か他の理由を用意して、踏みとどまらせたい。スケープゴート。そういうことだと思う。別に、悪い人間であるわけではなくて、ただ頭に血が上っているのだろう。みーさんならこういうことを上手くやってのけそうだが、私はどうしても対抗的になってしまう。
「ですので、私たちはこのように実績があります」
ここが日本なら長幼の序とやらで高圧的に来られるのだろう(最もそれはその人の考えで、他人に押し付けるものではない)。ここはキリスト教圏だから、多少はあるだろうか日本ほどではない。ただ、地の利が、圧倒的に良くない。
ツァップさんが口を挟むとお父さんは少し柔和になり、また内心不機嫌になる。もう、本人がしたいと言っているのだから、それでよいのではないかと思う。
「だからね、私は信用しているの。一緒に仕事をした人ばかりだから大丈夫。こっちにもたまに戻るから」
「たまにって、こういう仕事がしたいならこっちでもいいだろう? 私は詳しくないが、どこか探してあげようか?」
私が論理的に説明すればするほど、相手は感情的になっていく。普段はそうでないのだろうが、ここまで人を連れてきて、粗が見つからず、収まりがつかないのだと思う。それならばもう認めればよいだけなのに、それができないから、それをぶつける先として私がいる、しかし娘の前ではできない、だから尚更、というところだろうか。
私も彼がツァップさんの父親でなかったら、もっとやりやすいのだが。将来的に何かで会いうるだろうし、ツァップさんとも禍根を残したくはない。ツァップさんとご両親の間に禍根を残したくもない。だからこそやりにくい。
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用意した説明を終えて、お母さんが入れてくれた紅茶を一口飲む。このままだとツァップさんに諦めてもらうか、ツァップさんがご両親と仲違いをするかだろう。そう思った先、ツァップさんのお父さんがついに余計なことを言い出した。
「君、五感が優れているそうだが、それでどうやって怪奇から味方の身を守るのだ?」
「それは、物理的な手段です。私はどちらかと言えば後方で力を発揮します。戦うのは別の人物の専門ですね」
それでも前線に出ることは多いが。
「それなら、そういう怪奇以外の、人間相手にはどうなっている? 君の力は役に立つのか?」
対人。確かに心配するのは間違っていないと思うが、関係のないことだろう。
「まあ、もしそれで納得いただけるのであれば、実際に御覧に入れましょうか」
ただ、この機会を利用しない手はない。
「それじゃあ、やってもらおうか」
よし。言質を取った。
殴り合うつもりなどない。相手の方が体格が良く、五感が優れていることと攻撃がつながらないのだと思う。念力でもあれば話は別だが。
改めてツァップさんのお父さんを見る。五感を集中すれば、外を歩く人の足音、紅茶の洒落た香り、香水、窓の向こうにいる虫、舌に残るわずかな柑橘系の味…。
「まず、あなたは私が来た時から興奮していますね。今、そう言われて、ドキリとしました。右足は義足です。詳しくは知りませんが、最近、今まで通りに動いていないのではないでしょうか」
音を聞けば分かることだ。
「今、左手を前に出そうとしました。額の傷、右眉の上のは上手くファンデーションで隠れていますね」
見れば分かる。
「それは推測とコールドリーディングで分かりそうなことだね」
冷静さを取り戻したお父さんが実にもっともなことを言う。
「それから…、糖尿病に加えて…肝臓が悪いですね。もしかしたら、失礼ですが、初期のガン、ということはありませんでしょうか」
「確かに糖尿病だが、ガンと言われたことはないな」
心の中でやったと言ったのが聞こえたようだった。私がペテンだということにすれば、もっともらしくツァップさんを自分の元に戻せる。
「それなら、専門病院で診てもらってください。その結果で判断してもらえばよいでしょう」
それでお互い納得、ウィンウィンだ。
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夕食後(マルゲリータを食べた。イタリアに近い分、何だか特に美味しかった)、ホテルでくつろいでいるとツァップさんから電話があった。病院に行ったお父さんから、精密検査が要ると言われたと伝えられたそうだ。時間外でも診てもらえるのはやはり有力者なのだろう。その結果、一応ツァップさんが日本に居残るのを許してくれたそうだ。
ごくわずかな臭いでそれだろうと思っていたが、合っていてよかった。確信はなかったが、言ってみるものだ。




