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第263話 屋根からの訪問者(前編)

第263話 屋根からの訪問者(前編)


 問題は、私個人だけが飛ばされたわけではないということであった。その証拠に、藍風さんたちの部屋から物音が聞こえる。つまり、中に3人がいるようだ。


 入り口の取っ手に手をかけるが、開かない。蹴り破ろうと考えたところで、もし、例の足音の主が建物の中に入ってきているなら、遮蔽物がなくなることになる。籠城するのなら、ないと困る。


 (札を使うか…)

 懐に手を伸ばす。大体の場合、札を使えば何とかなる気がする。向こう側にいるのは音も匂いも紛れもなく3人のものだから、罠ということはないだろう。そう考えていざ使おうとしたとき、誰かが扉に近づく音が聞こえた。


 (これは…藍風さんだ)

 扉が開くと目の前には予想通り藍風さんが立っていた。その奥は現実の部屋であった。


 「上野さん、入ってください」

 その声には若干の焦りが感じられる。後ろでパニックを起こしている2人が理由だろう。


 「大丈夫ですか」

 私が中に入ると藍風さんは護符をそっと扉に貼った。


 「はい。今は。後で伝えます」

 藍風さんはそう囁いた。それから、2人の方に向いた。

 「上野さん、来てくれたよ。だから、大丈夫だよ」


 藍風さんは霊能力者ではない知人に自分の素性を隠していた。だから以前も私が先導して怪奇に対応したような振りをした。今回もそうである。


 城山さんは目に涙を浮かべながら、江崎さんと一緒に布団を敷いた部屋の中央に固まっていた。江崎さんも朗らかさが消えて、姿勢を低くしている。異界に飛ばされたら普通はこういう反応だろう。前回が謎の冒険心に溢れていたのだ。それは地の利のある場所だったからかもしれない。


 彼女たちが怪奇現象に遭遇した時には、必ず私がいたことになる。だから、次の反応は二択であった。私(本当は藍風さん)がいたときで助かった、となるか、私がいたせいで巻き込まれた、となるかだ。


 「怖いよぉー!」

 江崎さんが膝立ちになって飛びついてきた。その衝撃を受け止めたと思ったら、城山さんが横から泣きながら引っ張ってきた。思わずよろけて座り込むと、藍風さんと目が合った。


 「…」

 その目は、自分も演技して飛びつくべきか迷っているのか、それともこの状況でのんびりしていることに対して呆れているか、読めなかったがあまり見ることのない表情であった。


 「3人とも、落ち着いてください。まずはこの部屋を結界を張りますね。ほら、昨日買ったお守り、あれが守ってくれますよ」

 学業成就のお守りが怪奇に効くのか分からないが、とりあえず、離れてもらわないと何もできない。2人は荷物からお守りを出して、握りだした。藍風さんも真似をしている。


 結界を張るとは言ったが、既に藍風さんが護符で部屋を守っている。だから安全であるのだが、一応、部屋の様子を見ることにした。


 まず、入り口。下駄箱があって、お手洗いと小さな洗面所もある。扉には護符が貼られている。そこから敷居を挟んでござの敷かれた居間があり、一方には押し入れとクローゼットが、もう一方にはテレビ、掛け軸、壺が置かれている。居間の奥は縁側になっていて、肘掛け椅子2つと丸いテーブルが置かれている。障子の向こうには窓ガラスがあり、試しに手を掛けたが、開かない。この3面にも護符が貼られている。これだけ貼れば床や天井からでも入ってくることはないだろう。多分。


 居間には布団が敷かれており、座卓が隅に動かされている。天井は板張りで丸い蛍光灯がぶら下がっている。屋根の上を歩くソレは飽きもせず動き回っており、足音もだんだん大きく聞こえている。


 (さて…)

 異界に飛ばされたときの脱出法は正規の出入り口を探すか、異界の主的なモノを探して始末するか、時間になるまで逃げ隠れするか、藍風さんの訳の分からない能力で抜け出るか、といったところだろう。今のところ藍風さんは解決方法を思いついていない。ここに飛ばされたきっかけも、相手の正体も伝承も、分からない。


 (それなら、1つか…)

 屋根の上にいるソレを始末する。そのためには情報が必要だ。


 スマホは…当然圏外だ。テレビのスイッチを入れると、砂嵐だ。その音に城山さんがビクッと動いた。


 「ええと、屋根の上を歩いているモノを退治するのが、解決方法のようです」

 私が話し出すと2人は恐れつつも安堵の表情で私を見た。頼られているプレッシャーを感じてしまう。藍風さんはいつも通りだ。


 ダンッ!


 天井から大きな音が聞こえた。2人が驚いて身をかがめた。ここは最上階ではない。つまり、この建物の中に入ってきたということだ。足音はこの部屋の真上から窓際に向かっている。


 「そこにいて」

 3人にそう言って、ゆっくりと窓際に向かう。障子戸と障子戸のわずかな隙間に目を凝らす。…予想通り、外に出て降りてきた。


 ソレは、腐乱した死体のようであった。人間型で、全体が半透明の白い粘液で覆われている。両手足が窓に貼りついて、4足歩行している。人間の顔に相当する部分には目、鼻、耳、口のある場所に黒い穴がある。私たちがここに隠れていることは気づかれていないようだ。ソレの通った後は窓にべっとりと重い液体がへばりついている。


 窓際をゆっくりと離れる。正体も何も、分からない。知っている妖怪や都市伝説ではなさそうだし、幽霊でもなさそうだ。どうしようかと考え出した矢先、聞こえた。


 「アソボ…、アソボ…」

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