第256話 勝手な契約(中編)
第256話 勝手な契約(中編)
Sさんの家はどこにでもある少し広めのワンルームだった。表向きは警戒を解いたように振る舞っていたが、実際は五感をフル活用してSさんの挙動や心理を少しでも暴こうとしていたし、部屋にある罠や刺客を少しでも探そうとしていた。出されたお茶なども飲むふりをして臭いを嗅ぎ、少し口に入れて毒がないか確かめ、それから逆に怪しまれないように飲んで、と神経を遣った。
「それで、依頼させていただいた話なのですが、本当は、あの話の逆なのです」
Sさんが憔悴しきった様子で言った。
「逆、ですか」
「はい…。私たちは、まあ、人間に化けているわけですが、これも生存戦略の一つと思って下さい。そうやって人間社会で、人間と同じようにして生きた方が都合が良いのです。何も悪いことは誓ってしていませんから」
「なるほど」
「私は依頼の話の通り、誰かの寿命をそれなりにもらって、その代わりに残りの余生を楽しく過ごさせることができます。不治の病に侵された人、短く太く生きたい人、何かを守るために後はどうなっても良いと考える人…、そういった人と私との間で、双方が納得のいく内容で、レートに基づいて契約をするのです」
「その方法は、誰かを傷つけるようなことはありますか」
私の質問で、Sさんは慌て出した。
「まさかありません。私がしているのは、どう説明したらいいのか…、契約した相手を元気づけて前向きに、体の細胞を活気で満たして、やる気を出させるようなものです。決して誰かの財産を奪ったり、大金が当たるようにしたりすることはないのです。…日常生活であった良いことと悪いこと、足して0くらいだとして、その悪いことを悪いと感じなくして、起こらないようにしていればプラスになりますよね。そうすると人間、もっとプラス思考になるのです。そのお手伝い、ちょっとした幸運です」
Sさんの説明を聞く限りでは、ソレを寿命と引き換えにでも欲しいと考える人はいると思う。
「死に方はどうなっているのでしょうか」
「それは、もちろん、寝ている間に苦しまず、ですよ。それに、余程のことがなければ期限前に死ぬこともないですから。そうやって集めた寿命を使って私はどこかの誰かとして生きていき、時が来たら別の誰かとなるのです。最近は戸籍やら書類やらで面倒になりましたが、ずっと年を取らない人物の方が不審でしょう」
Sさんは少し落ち着きを取り戻し、どちらかと言えば自信ありげに話している。
「それで、肝心の依頼はどういったものでしょうか」
つい話が気になって逸れてしまっていた。一昔前の自分なら…、と考えると人によっては救いにもなるのかもしれない。
「それですが、その五年前に勝手に契約されていたことを、つい先日知ったのです。私はごく普通の人間として過ごしていた訳ですから、あの暑気払いの日以外に記憶を飛ばすようなことはなかったのです。だからその日にこの―」
SさんはポケットからSu○caくらいの大きさの黄色い厚紙を出した。
「契約書、右が私の血、左が相手の血です。これを勝手に作られたとしか考えられないのです」
Sさんが話しながら裏返しにすると、そこには何か、私にはただの曲線の羅列にしか見えないが、それが血で書いてあった。
(嘘は…ついていないようだな…)
視線、呼吸、心拍、汗、手足の動かし方…、怪しいところはない。その全てが元の姿とSさんとしての姿で同じだ。
「問題はこの契約書、法外、と言っても法ではないですが、とにかくこれっぽっちの寿命でこんなに取られたらこの先、生きていけないのです。これがある以上反故にすることはできませんし、本当に、一体どうして…」
Sさんは頭を抱えた。少ししてから顔を上げると、
「だから、私たちのこの契約について詳しい人間があの日、私に無理矢理この契約を結ばせたはずなのです。その相手さえ分かれば…」
(つまり、不当な契約、この場合私が思っているよりも重大なものだろう、それを人間側が強制的に結んだ…と。それでSさんの生活が壊れそうである…と)
本来なら怪奇と人間の間でこういう話が起こるのは、大抵怪奇側が騙して、強制して…というのが相場だろう。だから、非常に疑わしい。しかし、そうであるからと言ってすべて否定するのは、違うと思う。全ては客観的に。前職で自分がどういう立場に追い込まれたかを思い出してしまう。
それに、仮に法律があったとして(まず怪奇の存在が世間に認知されるという仮定ありきで)、恐らく怪奇側に不利なように話が進むと思う。一般に力が強い方が負けるはずがない。だからその契約は人間が有利なように取り扱われるだろう。何となくそう思う。Sさんは(言っていることが本当なら)怪奇として真っ当に生きているように思える。それを騙して、あげく人生(?)を搾取しようとしている人間がいる。人間であるという立場を利用して、弱者の振りをして、そこに隠れて…。
そうすれば、世間はそちらの方が話が楽だから、そうする。レアケース、Sさん1人はどうでもよいのだろう。当事者ではないから。Sさんはすがるような目で見ている。怪奇を専門にするとは言え、退治するほうが主な協会に連絡を取った辺り、必死なのだろう。まして、前任者は使えなかったのだから。
「つまり、私がその契約した相手を見つければよいわけですね」
「やってもらえますか!」
全身からありがたいという気持ちが漏れているのが分かる。
「そうですね。もう少し詳しい話をお願いできますか」
だが相手は怪奇だ。人間の常識で考えてはならない。隠匿が上手いモノかもしれない。
夏のホラー2020参加作品「九割九分の小飛翔虫」も、もしよかったらよろしくお願いします。
前話と少しだけ重なるところがあります。




