第241話 もこもこ(後編)
第241話 もこもこ(後編)
数時間の間、私はタブレットで本を読んでいるうちに、もしかしたらその日は現れないのではないかと考えていた。不規則的に出現するモノの場合、これが面倒でソレ(の正体がまず分かっていないからまず厳しいが)の専門家でもあれば引きずり出して対応、あるいは出現日時を予測して対応できるが、私たちができるのは出てくるまで待つことだった。一応餌に田中さんの身代わりを置いて、呼び出そうというアプローチはしていた。
ただこのときは運のよいことに、ごく当たり前のように現れてくれた。藍風さんが、気配が強くなったと言ってから少し経って、田中さんの掛布団が、説明通り、何か所もランダムにもこもこと凹みだした。
「片付けましょう。藍風さんは後ろにいてください」
「はい」
そっと立ち上がり、ゆっくりとリビングから寝室へ忍び寄る。スマホに送られてくる映像に変化はない。これだけやられていれば起きるのも無理はない。しかし、なぜ起きたらこの現象が治まるのだろうか。それは、後でいい。今は、目の前のことだ。
「行きますね」
藍風さんが小さく頷く。寝室のドアノブに手をかけて、スマホの映像はなおも変わらないのを確認して、捻って、重いドアを押し開けた。
そこにいたのは、強いて言えば灰色のクラゲが横向きになった姿だろうか、何十本もの細長い触手の先端は膨らんでいて、円錐の先端が丸くなったような突起がついていて、掛布団を包み込むように配置されて、それぞれ同じところを突いているようだ。その触手の大元はクラゲの傘のような広がりを見せて、その裏に目玉が3つついている。こちらを見た。
触手の動きが止まった。逃げるのだろうか、攻撃してくるのだろうか、その一瞬のうちに、ペンライトで光を当てると、ソレは水パイプの中に吸い込まれていった。慎重に近づいて、札を貼って、終わった。
「終わりましたね」
後ろから藍風さんの声が聞こえる。振り向くと、彼女は仕掛けに使った本を持っていた。私が水パイプ、水タバコをやるときの器具を専用の袋にしまい、口を結ぶと、「それくらいなら外から札を貼らなくても大丈夫です」と教えてくれた。
仕掛けは単純なものだ。ドアを少し開けて、カラーボックスをぎりぎり倒れそうな角度で立てかけて、その先にモップを置いて、先端にシーツを巻いて、それで姿見を隠す。後は扉を閉めて、箱が倒れれば、次に開けたとき、箱とドアがぶつかってその勢いで姿見が露わになり、ライトを点けて、ソレが鏡に反射した光に当たって、水パイプに吸い込まれていく。端から姿見をむき出しにしなかったのは、ソレがいる場所を映してから数秒以内の鏡でないとならなかったからだ。よく分からない部分があるのはいつものことだ。
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私が仕掛けに使った支部の備品を片付けて車に載せている間、藍風さんが田中さんと協会に仕事が終わったと連絡をしていた。最後の荷物、姿見を車に入れて室内に戻ると、藍風さんの電話もちょうど終わったようであった。
「田中さんが、朝食を買ってきてくれるそうです。その代わり、明るくなるまでここにいてほしいそうです。大丈夫でしょうか」
藍風さんはじっとこちらを見ている。
「はい。大丈夫ですよ。アフターサービスみたいなものでしょう」
「分かりました。私が電話をしますから、上野さんは少し休んでいてください。…私は運転中でも休めますから」
「それなら、そうさせてもらいます」
私は、田中さんの家で堂々と横になるのも何か違う気がして、車に戻ってそこでシートを目いっぱい倒し、毛布を被った。荷物があって少し狭かった。優しい香りが少し車内に残っていた。
朝食はありがたいことに、鮭の入った弁当だった。缶コーヒーも付いていた。よくある質問、どんなモノだったのか、どうやって退治したのかなどに答えて、朝食の礼を言って、田中さんの家を後にした。高速道路に入ってすぐ、藍風さんは眠り、私は車を走らせた。
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文松町に着くと、藍風さんは自然と目を覚ました。彼女を家まで送り、門の先へ消えるのを見送って、私は家に帰った。怪奇の対応に使ったものは余裕を持って借りていたから、特に気にする必要もなかった。玄関を開けて、硬貨虫の面倒を見て、
それから布団に入った。日本でする仕事はやはり精神的に楽だった。




