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第217話 アックス(後編)

第217話 アックス(後編)


 肉の焦げる臭い。プラスチックの溶ける刺すような臭い。それらが混ざり合って、幽霊のいるオーブンから、ほんのりと寒さを感じる部屋の中に漂ってきた。イーサンが十字架をソレの前に突き出して聖書の一節を唱え始めた。


 ヴァァ…


 ソレは唸り声を上げながら、オーブンのすぐ近くの床に落ちるようにして、這いだした。しかし、その場から動くことができないようだ。確実に効いている。


 音に集中すると、計器類が作動する機械音の中に落ち着いた呪文のような言葉が聞こえ出した。ハッサーンの声だ。諸々の音から判断して、カミラは比較的落ち着いているようだ。向こうは大丈夫だろう。


 ガァァア…!


 唸り声は徐々に大きくなっている。それに合わせるように、イーサンの声も大きくなっている。いつの間にかソレの手には日本ではまず見かけないような巨大な斧が握られていた。


 (あれが凶器か…)

 あれで叩き切られたらひとたまりもない。イーサン任せにばかりしていたら、万が一の時に死んでしまう。一歩、後ろに下がって、札を手に隠す。イーサンが撒いた聖水の線を越えたら私も仕掛けよう。今イーサンに話しても彼の頭に入らないだろう。後で説明はすればいい。


 幽霊がじわり、じわりと動き始めた。イーサンの鼓動は激しさを増しているが、これくらいならまだ大丈夫だろう。彼が焦り始めたら本当にまずいときだ。上の階は…、おかしい。


 (2人とも、相当緊張している?)

 ハッサーンの呪文は同じ調子で続いているのに、おかしい。ビルかジェラルドに知らせた方がよいだろう。しかし、ここを離れても良いだろうか?イーサンを、五感を研ぎ澄ませて観察する。…大丈夫だろう。ゆっくりと、邪魔にならないように後ずさりして、台所から出る。すぐに体を半回転させて、リビングへと急ぐ。



 「上はどうなっていますか」

 ジェラルドに問いかける。彼は渋い顔をしながら屋根裏部屋の監視モニターを凝視していた。


 「部屋の温度が下がり続けている。ちょっとまずいかもね」

 私がリビングにいることに驚いていない。…モニターで見ていれば分かる事か。私も同じ画面を見ると、そこには2つの暖かいスポット、つまり2人以外が冷え切っていた。台所も冷えているが、それどころではない。


 「助けに行った方が?」

 そう言いながら隣の計器を見ると、針が激しく揺れていた。


 「まだ大丈夫だと思うよ。呪文が聞こえているし」


 「それが、2人とも焦っているようです。心臓の鼓動と呼吸が荒いのが聞こえます」

 私がそう言うとジェラルドと、少しだけビルも驚いた顔をした。


 「本当?それなら、この声は何?」

 ジェラルドは不思議そうに説明を求めた。


 「何か、幽霊が真似ているか…」

 それなら、私には分かるはずだ。怪奇が言葉を発すれば、それは2つの音として届くはずだ。普通の音と、怪奇が出す音として。しかし、この呪文は違う。


 (何故だ?)

 呪文を唱えているであろうハッサーンの呼吸は乱れている。しかし、呪文は変わったように聞こえない。カミラも…、同じ理由で違う。


 「どうする?」

 ビルが尋ねてきた。…もしかしたら、そうなのだろうか。


 「録音したものです。今すぐに行った方がいい」


 「分かった。行こう」

 ジェラルドの決断は速かった。一緒に階段を駆け上がる。ビルは…、万が一のために待機しているのだろう。ここからでも寒さが伝わってくる。上がって…、着いた。ジェラルドが扉を蹴り破ると同時に、懐から何かの儀式に使うような刃の湾曲したナイフを取り出した。幽霊は…、いる。ごく普通の子どもの幽霊が、ベッドの脇に立っている。2人は金縛りか?棒立ちしている。呪文は、足元にあるICレコーダーからだ。


 (あれか…)

 あのおかげで2人は辛うじて守られているようだ。すぐに、幽霊の方に目を移すと、ジェラルドが既に切りかかっていた。その刃は、2人を抑え込んだ力を持つはずの幽霊の守りを、やすやすとすり抜けて、切りつけた。


 その一撃だけで、幽霊が苦悶の表情を浮かべながら消え始めた。と同時に、カミラとハッサーンは体の自由を取り戻した。


 「助かったよ」「ありがとう」


 「いや、いいんだ。よかったよ」

 ジェラルドがそう返事をすると、幽霊は断末魔を上げて消滅した。


 「イーサンも済んだみたいだ」

 ハッサーンが言った通り、下に耳を澄ますと静かになっていた。

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