第192話 廃坑(中編)
第192話 廃坑(中編)
しばらく車を走らせるとビル群を抜けて、車線も減り、それに伴って混雑もなくなった。窓から見える景色は住宅街となり、それから緑の多いものへと変化した。その中でも人家が密集している、その地域の中心と思われる場所で食材の買い込みと昼食を済ませた。ツァップさんはチェーン店のくるくる寿司を食べたいと言っていたが、生魚に当たったら大変だからと説得して、定食屋で食べた。その代わり、今度みんなで寿司屋に行くことになった。そう言えばドイツの方に生魚を食べる風習はあるのだろうか。
それから川沿いに作られた山道を上っていった。午後の日差しに少し窓を開けると、川の音と鳥の鳴き声、水の匂いとこれから成長する草木の匂いが入ってきた。風に乗ってアイリスのような香りが隣から強くやってきた。ツァップさんは左を向いて外を眺めていた。金色の髪がふわふわと揺れていた。
一旦横道に入って進んでいくと、もう対向車を見ることはなくなった。そこからさらに荒れた道を行くと(エンジンが限界のような悲鳴を上げていた)、行き先がチェーンで塞がれて、「立ち入り禁止」と書かれた看板が置かれている場所に着いた。その横には藪草に隠れて色の落ちた、鉱山の看板があった。鍵の隠し場所は事前に聞いていたから(いくら忘れたときに戻るのが面倒だからと言って、この管理は杜撰としか思えない)、チェーンを解いてその先へ進んでいった。
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沢が近くに走る小高い開けた場所に車を停めて、私達はそこから廃坑まで歩いていった。私が何度か立ち止まって周囲を見渡しているとツァップさんが尋ねてきた。
「何しているんデスカ?」
私の姿は不思議に見えたようだ。
「ああ、一応ですが熊、あとは猪が近くにいないか確認しています」
鼻が利くとこういうときに便利だ。そもそもここが生息地域なのか知らないが、ついでに怪奇の臭いも探ることも兼ねてやっている。
「今のところいないですね。妙な怪奇の臭いも」
「怪奇?どんなデスカ?」
ツァップさんも目を閉じてすんすんと匂い嗅ぎ始めた。
「例えば、動物に似たモノですとか」
「妖怪?分からないデス…」
それはそうだろう。そのかわりに―。
「でも、気配はしマス。廃坑に事故で亡くなった幽霊たちがいマス」
続けてツァップさんは英語で落盤事故、と言った。
「それは敷次郎と別のモノでしょうか」
先に進みながら話を続ける。
「別デス。敷次郎がどんなのか、分からないデスけど、そんな気配はしないデス」
気配がどんな風なものなのか未だに分からない。船のソナー的なものなのか、波動的なものが目に見えるようなものなのか。人によっても違うらしいからますます感覚がわからない。
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廃坑にはツァップさんの言う通り、もう消えかかっている頭や腹の潰れた幽霊が、入り口近くで恨めしそうにこちらを見ていた。言われていなければ探そうとも思わないくらいだった。
そこから私が先頭に立って、五感を研ぎ澄ませながらその中を進んだ。有毒ガスが籠っていたら(管理者は大丈夫と言っていたが)死ぬからだ。自分たちの出す音の他はどこかから漏れこんだ地下水が時々天井から落ちる、寂しげな音が聞こえていたくらいだった。壁はじっとりと濡れており、床はぬかるんでいなかったが、空気はじとじととして、土と鉄の焦げる臭いが重く存在していた。敷次郎はいなかった。日の出ているうちに一通りの(物理的な)安全を確認して、一旦車に戻った。
夕食はミートスパゲッティとコンソメスープ、デザートにミカンを食べた。お湯で作れるものあるいは温められるものだとレパートリーが狭まりがちだが、誰かと一緒だと色々とアイデアがもらえる。地味に楽しみに感じている。
それから、ツァップさんの勘を元にもう一度廃坑に行く時間を決めて、一度仮眠を取ることにした。こういう場合、交代で休みを取ってもう一人が調べに行くことが多かったのだが、このときは2人で一緒に行くこととなった。ツァップさんを車の後ろに寝かせて、私は助手席を倒してそこで仮眠を取った。慣れた。ツァップさんは実にすやすやと眠っていた。




