第171話 ツチブタ(中編)
第171話 ツチブタ(中編)
矢子動物園の駐車場に車を停めて、ドアを開けると独特の獣臭がはっきりと分かった。良い香りではないが、悪い臭いでもなく、におい、がしたと表現するのが適切だろう。わくわくするようなにおいだった。
入場口の手前で電話をかけると少ししてから担当者が現れた。その間、これと言ってすることもなかったから藍風さんと柵の中を見ていた。入場券を買って門をくぐっていく人たちが怪訝そうな目で私達を見ていた。子供が私達の方を指さして興味深そうな目で見ているのをその親が半ば引きずるようにして止めていた。
関係者用の出入り口から入って、動物の展示されているエリアから少し離れた道を進んだ。暖かい日差しが差していて、動物園を訪れる絶好の日和だった。依頼内容を誰かに聞かれるところで話すわけにはいかない、そういうわけで歩いている間はほとんど無言だった。スタッフルームに入ってから依頼内容の再確認と質問を行った。
普段決して入ることができない、動物園の裏側を見ることができたのは少し楽しかった。通り道は多少狭く、色々なにおいがした。どのにおいがどの動物のものか当てることができたら何かの役に立ったかもしれないが、残念ながらできなかった。どこまで嗅覚を鋭敏にするか迷ったが、人並みに留めた。利かせすぎても微妙な匂いを感じる前に他のにおいにかき消されるからだ。
ツチブタの檻にはツチブタが2頭寝そべっていた。やはり独特のにおいは強かった。
「上野さん、何かいますか」
藍風さんがそう聞くということは、彼女には見えていないということだ。
「…見えないですね、私も。気配を感じませんか」
檻の中の隅々まで注意を向けても話に出ていた怪奇は感じない。少しだけ嗅覚を尖らせたが怪奇の臭いはしない。すぐに元に戻す。
「かすかにですが、左のに感じます」
藍風さんが指さしているのはこちらを向いて目を瞑っている方だ。改めて檻の隙間から、その毛の上を撫でるように強拡大にして観察する。
ノミがいるのは大丈夫なのだろうか。小さな怪奇がいる。綿棒のような形のモノがほんの少し毛に絡まっている。これは関係なさそうだ。犬にも付いていたのを見たことがある。後は…ない。
「藍風さん、今細かく見ましたが特別なモノはいないようです。今回カメラ等は役に立たなそうですし、どうしましょうか」
「そうですね、ずっと見ているのは遠慮してほしいと言われましたし、兎なら抱っこして待っていることもできたと思いますが…」
右のツチブタが後ろ脚を動かして立ち上がるそぶりを見せて、また寝そべった。呑気なものだ。
「一時間おきに見に来るくらいでしょうか」
「その辺りが適当ですね」
担当者に連絡をするとそれならよいと連絡をもらった。私達は一旦外に出て、時間を潰すことにした。
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ツチブタの(展示側の)檻に、特段妙な怪奇はいなかった。登山服風の格好で園内をうろついていると怪しさを与えてしまうかもしれないから、用事のある場所以外に基本的に立ち入ることはなかった。通り道にあったキリンの柵の中に、しれっと岩の怪奇が居座っていた。見える人が見てもただの岩にしか見えないのだろう。
一時間後、再びツチブタを見に行くと、ソレはいた。報告通り、黒人男性の頭だった。口から何本も細長い舌が生えていて、それを触手のようにして床を這っていた。
「あ、いましたね」
すぐに見つかると思っていなかった。こちらに攻撃をしてくるかもしれないから、札を構えてソレの動向を注意深く観察する。
「では、早速終わらせます」
私の後ろで藍風さんは荷物から水色の風船と杉の葉、錫メッキの六角ナットを取り出すと風船の上に葉を三角に並べて、ナットを風船の口に置いた。
怪奇は引きずられるようにこちら側に来て、反対方向に移動しようと舌を動かしていたが、途中で力尽きたように動きを止めた。その途端、姿が消えた。藍風さんは杉の葉とナットを風船の中に押し込んで、札を貼って、専用の袋に入れた。
担当者に依頼されていた件は終了したと伝えると、初めは少し驚かれたが、やがて信用されたらしかった。私達も依頼者も、無事に依頼が終了したと協会に連絡を入れた。ついでにチップとフリーパスをもらった。
ホテルは既に押さえてあったから、藍風さんと話してそのまま泊まることにした。宿泊費は自腹になったがチップで賄うことができた。ホテルに着いた後は部屋の確認をして、シャワーを浴びてにおいを落として、それから普通の服に着替えた。動物園に行ったくらいなら気にならないが、裏側はにおいの強いものが散らばっていて、服にも靴にも飛び散っていたからだ。
夕食は近くの定食屋で2人ともハンバーグセットを食べた。店で食べると美味しいのは肉の質が違うのか、鉄板の上で熱々だったからなのか。それからホテルのコインランドリーで動物園で使った服と靴を2人分洗濯して乾燥させ、車には消臭スプレーを撒いておいた。
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