第165話 敬意(後編)
第165話 敬意(後編)
私は迷った。仮に、仮に地元の住民がかつてのように桜姫に対してお供え物をして、花をきれいに咲かせることに感謝の意を示すようになるのならば、桜姫も状況が良くなって、心変わりするのだろうか。しかし、地元住民は余所者の介入を望まない可能性が高い。変な期待を持たせてしまうのが申し訳ない。それに、そうしたいという意志はどうなるのだろうか。
「みーさん、仮に協会を通して住民に話をした場合、どのくらいかかるのでしょうか」
「協会にですかー?結構高いですよー。ネゴシエーターに頼むとこのくらいー」
みーさんが立てた指の数に追加された単位を付け加えると、それなりの額だ。どうしようかと考えて少し黙っていると、藍風さんが口を開いた。
「それに、怪奇の存在を信じる人ばかりではないです」
みーさんも頷いている。
「そうだよねー。だから、下手に突っ込みを入れると却って反発されるかもしれないしー」
それから話し合っても、決定的に有効な案は出なかった。依頼ではないからかけられる労力も限られていた。私達は慈善家ではない。私はともかくとして、藍風さんとみーさんが私に付き合って一緒に考えてくれているだけでも優しいと思う。
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喫茶店で2人と別れ、途中でスーパーマーケットに立ち寄った。特に買うものがあるわけではなかったが、折角だから値引きされていたコーヒーと惣菜を買った。買い物を終えて家に帰ろうとしたときにベンチにネコ大のカエルの怪奇がいるのを見つけた。
そのベンチで話した岩原さんのことを思い出した。彼は自称異世界人の怪奇で、話も通じたし、向こうの世界では人権もあったはずだ。普通の人に見えない以外は普通の人だ。最も、言っていたことが全て本当ならばだが。彼が桜姫と同じ立場なら私はどうするのだろうか。言っていることが嘘で、ただの妖怪や幽霊だったとしたら考え方は変わるのだろうか。
家に帰ると、岩原さんから貰った硬貨虫は水槽の隅で静かにしていた。私は桜姫にどうしたいのかを聞くことに決めた。藍風さんとみーさんに伝えると、特に反対されることもなかった。藍風さんは着いて来ようとしてくれたが、何度も睡眠リズムを崩させるのも悪いし、桜姫が出てきてくれるか分からないからと遠慮した。
夕食を済ませて風呂に入ったころには筋肉痛も軽くなっていた。後に備えて仮眠を取った。
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夜中に起きた後、眠気覚ましにコーヒーを飲んでから自転車で例のけもの道へ向かった。道は静かで少し寒く、すれ違う人もおらず、数台の車とすれ違うほか特に何もなかった。けもの道の入り口に自転車を隠し、暗いはずの山の中を進んでいった。
桜は少し日が経っただけでもう花が落ちていた。教えられたとおりにこの間の日本酒の空瓶にこの間と同じ日本酒の瓶を空けて注ぐと、いつの間にか木の陰に桜姫が現れた。
「あら、田中さん、私は死ねるのかしら」
第一声がそれだ。
「まあ、その辺りの話をしに来ました。折角ですから飲みませんか」
椅子代わりの石に座るように勧めると、桜姫は静かに腰掛けた。この間と別のお猪口を渡し、日本酒を注いでいく。
「あのときと同じお酒ね。これ、美味しいから好きよ」
桜姫が口を付けたのを確認して私も自分の分を準備する。少し時期を過ぎでいたとはいえ、桜を見ながら日本酒を飲むのは良いものだ。
「それで、話って何かしら」
私は先に話に出たことを桜姫に伝えた。話している間の桜姫の表情は変わらなかった。酒の良さに少し微笑んでいるような、悲しいような、入り交ざった人間のような顔だった。怒りを内に隠しているような、あきらめのような、よく分からなかった。
「そこまでして、残りたいとは思っていないですよ、もし、田中さんに助けてもらっても、また時期を過ぎたら繰り返しになるでしょうし、彼らのためになることをしてももう無駄ですから」
「そうですか。でも、私が手助けをすることも難しくなってしまいましたから、申し訳ありませんが――」
「ええ、悪いですから、田中さんが迫害されても、だから、私はこのまま死んだように生きるだけです」
申し訳ない。
日本酒を飲み終えると、桜姫は多少は満足したようであった。再び会いに来ると伝えたが、桜の花が散るからしばらくは出てこないと言われた。こっそりと札を渡そうと考えなくもなかったが、効果があるのか、ただ無為に痛みを与えてしまうのではないかと思って、懐に手を入れて取り出すことはできなかった。
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