第139話 近づいて来る(中編)
第139話 近づいて来る(中編)
H子が傷つかないよう、タブレットを机に置いておく。もしも持って動いたらその分床を這って追いかけてきて、どこかを擦ることになるだろう。窓を開けると外には中庭が見えて、上から見たら学校がカタカナのろの字ようになっていることが分かる。
(!)
再び懐のスマホが振動する。私は相手を見るまでもなく、すぐに耳に当てた。
「上野さん、立ち上がって歩いています。あ、はさみ、他の人のロープを切られました」
焦りが電話口からもわかる。H子に配慮してロープをほどいたのは間違いだった。椅子に縛り付けたままにしておくべきだった。
「そこから逃げてください。危険です!」
「はい」
息遣いが荒くなっている。走っているようだ。合流するか、1人で逃げるか。考えるまでもない。階段へ足が向かった時だ。再びスマホから藍風さんの声が聞こえた。
「あ、私を追ってきません。1人階段を下りて、あ、踊り場を曲がっていきました。もう1人はロープを解いています。逃げてください!」
「分かりました」
耳にスマホを当てて、タブレットをもう片方の手で持って廊下を駆ける。こちらだけが目的か。
「私はぎりぎりまでここで調べます。気を付けてください!」
「藍風さんも気を付けて!」
スマホを懐に戻す。今いるのは3年3組の対角にある廊下だ。おそらく10人がタブレットを何とかしようと追いかけてきているはずだ。追手にはタブレットのある位置は丸わかりだ。音と匂いで追手の方向が分かるとは言え、どこまで集団を誘導してコントロールできるだろうか。
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階段を下りる足音が廊下に反響して聞こえる。10人の内、1年3組の近くから下りてくるのは4人くらいだろうか。残りは3階の廊下を通って、今私がいる場所に近い階段から来ている。ただ、歩幅も位置も異なるが、歩く速度は一定だ。正確な位置はばらばらで分からないから音の大小で判断する。
匂いは、これもおおまかな方向が分かるだけだ。強弱も曖昧で、これ以上集中して嗅覚の精度を上げると体がもたない。結局、殆ど足で時間を稼ぐ他ない。幸いなのは歩いて近づいているということだ。
(来た)
1年3組近くの階段を下りた集団が1階の廊下を歩き始めた音が聞こえる。回り道した集団は階段の途中だ。
(まだ動く訳にはいかない)
作戦は考えてある。上手くいくと良いが。失敗したら接近を許して、走り回らなければならない。
廊下の窓ガラスに反射して4人が廊下の角を曲がるのが見えた。人数は予想通りだが、思っていたよりも早く来た。何も考えていないような表情で歩いている。もう少し…。
(よし、来た)
残りの6人も1階に下りはじめた。先ほど教室から拝借した卓上鏡に映っている。なるべく引き寄せて…。
(今だ)
廊下の窓を開けて、カタカナのろの字の中央にある中庭に飛び移る。そのままそこを突っ切って、予め開けてあった反対側の教室の窓から入る。
後ろを振り返ると、10人が一丸になって廊下を通って追いかけてくるのが見えた。上手く行ったようだ。後は追いつかれない程度に廊下を周回すれば、時間は十分に稼ぐことができる。
10人が塊となって廊下を歩いている姿を見ながら、やはり仮説は正しかったと考えた。藍風さんが電話してくれたとき、教室の窓は開けたままであった。最短距離で私とタブレットに近づくには、向こうも窓を開けて、そこから飛び降りればよかったはずだ。あるいは壁をつたってくるなどいくつか考えられたが、しかし、実際は階段と廊下を歩いて来た。つまり、10人の移動はある程度現実的な手段に限られていたわけだった。
だから、窓をくぐって中庭に出たときも、同じルートから追っては来ずに廊下を遠回りしてきた。周っている間に念のため鍵はかけておいたが、窓を通ったり、二手に別れて追ってきたりすることもなかった。分断された集団をまとめることができたのは幸運だった。
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何周したかも忘れ、朝になってもこのままだった時を考え始めたころ、藍風さんから電話があった。普段通りの冷静な口調で、この現象に対応する方法が分かったと伝えられた。
(戻ろう…)
上手く集団を誘導しながら廊下を歩き、階段に足をかける。不意に、足音が1つ減った。聞き違いではない。動きを止める。まだ、距離に余裕はある。
(おかしい)
足音がばらついている。更に1つ、また1つと消えている。嫌な予感がしつつ、廊下を歩く集団に目を向けると、女子高生たちの数が減っていた。どこかに潜んでいる。それにも増して悪いことに、ばらばらに動き始めている。あとは競争になるのか。
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