第124話 くぼみ(中編)
第124話 くぼみ(中編)
魚の半身からいくつもの目玉がむき出しになっている様を公園の外で見ながら、札をしまってある懐に手を入れる。
(どのタイミングで使うべきか…)
あの怪奇が確実に原因とはまだはっきりしていない。無益な殺生はわざわざしたいとは思わない。
目玉は動かない。魚も動かない。どちらも何かを探すように動くこともない。ただ公園の中に敷かれた歩道に佇んでいる。電話ボックスに設置された鈍い明かりがそれを照らしている。
「外れかもしれません。偶にあることです」
その通りだと思う。たまに。藍風さんはいつからこのようなことをしてるのだろうか。
「そうですね。それなら藍風さんは一旦車に戻ってください」
「はい、…そうします」
まだ魚の怪奇を見ていたいらしい。
しかし、すぐに魚の方からずり、ずりと何かが這うような音がし始めた。すぐにそちらを向くと―
「目玉が泳いでいる…」
目玉が魚から離れて、歩道を一群になって泳いでいる。カタツムリ並みの速度だ。
「泳いでいますね。気配が変わりました」
「どうしましょうか」
「あのような細かい怪奇には札は効きにくいです。数は減らせてもいくつか残ると思います」
確かにそうだ。捕まえて何かに入れてからなら効くかもしれないが。
「何か、対応の仕方は思いついていないでしょうか」
「…すみません。可能な方法はまだ…。それ以外なら例えば、ニュージーランドにある、とある牧場の羊の数をちょうど半分にしたらあの怪奇は消えます」
「…確かにそれは不可能ですね」
相変わらずだが、意味が分からない。どうやったらそれがわかって、この怪奇と羊の数にどういう因果関係があるのだろうか。それから法則も何もない。
目玉の群を追うとやがてある一か所、街灯の下で動きが止まった。この位置が魚本体と目玉の両方を視野に入れられる限界だ。これ以上離れるなら片方ずつに分かれて行動する必要がある。そのことを藍風さんと話そうと思ったときだった。
目玉が再び動き始めた。軸を地面と鉛直にして回っている。目が回っている。一つ一つの回転速度は速度はまちまちで、回転方向もまばらだ。見ていると目が回る。キュルキュルととても小さな音が聞こえる。
回転は次第に収まっていく。そうして、回転が止まると、街灯の下の歩道に今まで見た痕跡のようないくつものくぼみの塊ができていた。よく見ると目玉が一回り大きくなっているのがわかる。目玉が大きくなって削ったのか、目玉が大きくなるのに削ったのかは分からない。
「あのようにしてくぼみができていたのですか…」
藍風さんも納得しているらしい。目玉が再び泳ぎ始めている。魚の方に戻るようだ。ゆっくりだ。
「私達の仕事はこれで終わり、ですか」
「いえ、このまま魚のなかに戻るなら、そこを狙って札を当てます」
「あの大きさなら投げても当たりますね」
「はい、それで、お願いできますか」
じっと瞳がこちらを見ている。自分が映っていることが誰にでもわかりそうな、きれいな瞳だ。
「勿論です」
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手頃な石に札を貼りつけて、目玉が魚に戻るのを待つ。このくらいの距離なら外さないと思う。念のためもう1つ予備を用意してある。周りに人はいないようだ。音がしない。気配はわからない。どこかの窓から見ている人もいない。
手が汗ばむ。目玉が魚に戻っていく。一つ一つが鱗のない場所に窮屈そうに収まっていく。
(今だ)
最後の目玉がはまった。それを見てすぐ狙いを定めて石を放り投げると、運のよいことに見事に当たった。
「効いたか…」
思わず独り言が出る。もし怒り狂った反応でもしたら逃げて応援を呼ばなくてはならない。
だが、石が当たった魚の怪奇は襲ってくることも、身を捩らせることもせず、目玉を鱗に戻すとそのまま地面に沈んで行った。逃げられた。
それから再び藍風さんと交代で公園の外を周った。しかし私の番にも、藍風さんの番にも、あの魚の怪奇が現れることはなかった。そのうちに夜が明けたためカメラとレコーダを回収し、くぼみにその辺りの土を詰めて公園を後にした。
ホテルに戻った後は熱めのシャワーを浴びて、目を覚ましてから朝食を摂った(この日は白飯だった)。更に濃い目のコーヒーを飲んでから、公園の状況を確認しに行った。
公園の被害状況はと言うと、前日に目玉たちが回っていたのを見た場所以外は新しい穴やくぼみはなく、早速老人たちがテニスをしていた。ここでこの依頼分の仕事は終わった。
藍風さんが協会に連絡を取ると、これ以上は別に任せるとの返事があった。怪奇の性質上向いている協会員がいることも確かだが、他にも電話の内容を聞くに、依頼料が調査分しか払われていないためらしかった。協会は担当者に連絡を入れたが、大した反応はなかったそうだ。町民の安全よりも自分の休日の優先度が高いのだろう。どうやら私は善意で札を1枚(投げていない石の分は上手く回収した)消費してしまったらしい。