第123話 くぼみ(前編)
第123話 くぼみ(前編)
車の中で話して、始めに私が公園の周りを歩くことにした。自転車があれば幾分か楽だったのかもしれないが、今持っている車では携行できない。近場にレンタルサイクルもなかった。藍風さんは仮眠を取るためにシートを倒していた。
「あ、これ、スペアキーです。渡しておきます」
最近これを持っていることを思い出した。今さらだが渡しておく。
「ありがとうございます、でも、よいのでしょうか」
やや躊躇しながらも細い指を伸ばして、手前で止めている。
「はい。私がいないときに車から出ることもあるでしょう。その時は鍵をかけてください」
「あ、そうですね」
藍風さんは何か納得したような顔になると鍵を受け取った。
「そうだ。絶対に、運転しないでくださいね」
「それは大丈夫です」
余計なお世話だったか。彼女はまともだ。
外は寒さもそれほどなく、雨も降っておらず、夜の散歩にはちょうど良い天気だった。公園の周りはまだ多少の車通りがあったが、人はほとんどいなかった。一度コンビニの袋を下げたOLらしき人とすれ違った。
夜に外から公園を見ると一層不気味で、いっそ中に入っていた方が怖さは薄らぐように思った。日中のにぎやかさと真逆で、街灯の下には誰も立っていない、電話ボックスには誰もいない、ブランコは誰もこいでいない、そのはずなのにいつの間にか誰かがいるようなうすら寒さを感じた。穴やくぼみの現象を知っていたからかもしれない。ただ、その怪奇自体が生じるのを見つけることはできなかった。
次に藍風さんが双眼鏡と懐中電灯を持って公園の偵察に行った。彼女が言うには、補導されないようにするには堂々とすることが大事とのことだった。確かに客観的に見れば小学生にも見えなくない体躯だが、成人でもこのくらいの身長の場合もあるから、面倒ごとが嫌ならわざわざ話しかけないだろう。それでも話しかけられた場合、今までは協会に連絡を取って長々とした説明をしていたらしい。これからは私を呼んでごまかすと言っていた。大方、兄か従兄、叔父とでも言うつもりだろう。流石に父親や伯父の年ではない、はずだ。
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交代する時間の少し前に目が覚めた。藍風さんを迎えに行くのも兼ねて早めに公園に向かった。信号に引っかかった時にスマホのアラームを切り忘れていたことに気付いて操作していたが、それを終えて、しばらく待っても青信号にならなかった。押しボタン式でもないのに整備不良もあるものだ。
公園前の、駐車場から一番近い道に立っていると前方から懐中電灯の光とともに藍風さんが現れた。藍風さんは遠目では少し警戒していたようだったが(明かりも持たずに立っているのも怪しかったと思う)、やがて私に気付くと駆け寄ってきた。
「あれ、まだ交代の時間ではありませんでしたよね」
かすかに息が切れている。
「そうですが、少し早く起きてしまったので交代しますよ」
「それなら、あの、せっかくですから一緒に回りませんか。私も時間までは見ておきたいです」
真面目だ。
「そうですね。一緒に行きましょう。何か異常はありましたか」
それから公園を4分の1周ほどする間に話を聞いたが、結論から言えば異変は見つからなかったが、気配がするということだった。その後は何を話すわけでもなく、公園の方を見ながら散歩をした。藍風さんはライトを片手に持ちながら、もう片方の手で双眼鏡を使い、器用に照らした先を見ていた。よそから見ると不審極まりない。
藍風さんと歩く最後の角を曲がったときだった。公園の方から腐った魚のような怪奇の臭いが漂ってきた。同時に藍風さんも気配に気づいたようで眉を少しひそめたのが見えた。
「出ました。ここから見て左斜めの方、あの電話ボックスのある辺りです。小物です」
藍風さんがすぐにライトを取り出してそこを照らす。
そこには、臭い通り魚のような怪奇が舗装された歩道の表面を泳いでいた。2mほどある眼球のない銀色の魚が、カレイやヒラメのような形ではないのに横向きに泳いでいる。木が削られていた範囲もこのくらいの大きさだった事を思い出す。それは歩道の上ばかりではなく、そこから電話ボックスの表面をなぞるように移動している。
「あれが穴やくぼみの原因ですか。しかし、どうやって…」
「まだです。たまたま現れた別の怪奇かもしれません。実際に穴かくぼみを作っている所を見たいです」
魚を追うようにして公園の外を今までとは逆回りに進む。決して動きは速くない。それに加えて同じ辺りをグルグル回ったり、移動を止めて浮き沈んだり、とその場にいれば観察ができる動きをしている。その間一度も体の反対側を見せることはない。
「あ、うろこの形が変わり始めました」
視力分、私の方が先に気付く。鱗の何枚かがわずかに捻じれ始め、丸くなり、それは魚の眼球へと変化している。
「目玉ですか」
藍風さんも目を細めている。何とか見えているようだ。
「目玉ですね」
魚の目からは何の意志も感じられない。普通の魚の目だ。