第118話 石造りの小屋(後編)
第118話 石造りの小屋(後編)
小屋の中にいるモノに食われても差し違える覚悟を持って、ナイフをいつでも取り出せるようにポケットに入れた手で握りしめる。
「どうも、こんにちは。迷った」
どちらさま、と聞かれたが、返事をどうしたらよいのか。人間と言うべきか、嘘をつくか、どう説明をしたらよいのか、迷った挙句、ぼかしつつ目的を告げる微妙な返事になってしまった。
「ソウカ」
相手の返事からは何も読み取れない。嫌な汗が噴き出す。近づいて来る音が聞こえる。ドアの前に来たようだ。ゆっくりと開くのが見える。
そこにいるのは先ほど見た鬼と恐らく同じモノだった。身長は1mにも満たず、筋肉量もさほどない、角が1本あって、頭髪も体毛も薄い。腰には蓑を着けている。しかし、顔が大きすぎる。3、4頭身ではないだろうか。目と口はそれに見合って異常に大きく輪郭からはみ出しそうである。それに反して鼻と耳は小さく、穴だけがあるように見える。首は長く、体に1周巻き付けてから再び元の位置に置いている。手は顔ほどの大きさなのに足は小さく、一瞬蹄のように見える。
(どうやってバランスを取っているのだろうか、いや、食事は首を通っていくのだろうか、どうやって?)
その姿に疑問を持たずにはいられず、身の危険よりも先につい考えてしまう。
「こんにちは。迷った。出口を教えてくれないか」
再び台詞を口にしながら、ポケットの中の手は汗が止まらない。この鬼も何か要求してくるだろうか。
「ソウカ。オンナハドコダ」
「逃げた」
これも前と同じ答えだ。
「ソウカ。デグチハスグムコウダ」
大きな手に付いている太い指で示したのは、私達が来た方向とは逆の方向であった。片手を水平に持ち上げたことでバランスを崩さないか、と少し考えたが、もう片方の手を器用に支えにして体勢を整えていた。
「どうも。じゃあ、これで」
「マテ」
そう上手くはいかない。
「コレ、ドウダッタ」
(どういう意味だ)
これ、と言われても、鬼は手に何も持っていない。この小屋のことだろうか。どうだった、だ。既に体験していたり、見ていたりするものだろう。しかし、思い当たらない。
「ドウダッタ」
こちらが返事をしないのに苛立ちを見せている。人間と同じような表情の変化がある。
「良かった」
具体性のない、何となく何かを肯定する言葉を使う。これで負のプレゼントだったり、攻撃だったらたまらない。時間の流れが遅く感じる。
「ソウカ」
しかし、鬼は表情を和らげると、そのまま部屋の中に戻っていった。扉が閉まったのを確認してから、ゆっくりと、小屋を視界に入れながら、後ろの方に隠れていたツァップさんの方へ戻った。
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石造りの小屋になるべく近づかないように端の方を歩き、その場を離れてしばらくしてから、ナイフを握りしめたままであることに気がついた。手が震えていたため指をもう片方の手を使って離した。
歩きながらツァップさんに鬼と話したことを伝えた。ツァップさんはどうだった、と言う鬼の言葉はこの異界の感想を求めていたのではないかと推測していた。
やがてツァップさんが強い気配に気づき、2人とも多少急ぎ目に進んで行くと、目の前に巨大な、家ほどもある苔むした岩があった。ツァップさんはその岩が出口に繋がると直感的に分かったらしかった。この能力はよくわからないが、ともかく、その岩の周りを巡って、途中に見つけた溝の近くに2人で手を触れると、一瞬の浮遊感の後に視界が切り替わり、気が付いたら大森さんの蔵の前だった。
私達が歩いていた分の時間は、元の世界でも経過していたようだった。そこに着いたときに物音がしたらしく、パジャマ姿の大森さんが懐中電灯を持って家の中からこちらを見ていた。私達の姿を確認すると怪訝そうな表情をしながらも玄関から出て来てくれた。
事情を説明すると、元々協会に所属していたからか、話をある程度は信じてくれたようであった。不法侵入や他の容疑がかけられずに良かったと思った。ただ、蔵や土地にそうした謂れはないと不思議そうに言っていた。
大森さんからは時間も時間で、バスも電車も動いていないからと、泊まっていくように勧められた。しかし、そこまでお世話になるわけにはいかないと何故か私達は固辞していた。それからタクシーを呼んでツァップさんの止まっているホテルまで向かった。
車内では流石に疲れたらしいツァップさんがうとうととしていた。私は窓の外に映る街灯をぼんやりと眺めながら今回の一連の怪奇について思い出していた。ふと、肩に軽い衝撃が来たため、そちらの方を向くと、ツァップさんが眠ってしまったらしく頭を持たせかけてきていた。人形にはない温かさがあった。
ホテルに到着する少し前にツァップさんを起こし、一緒に下りた後、私はG駅まで向かい、その近くのネットカフェで始発までの微妙に開いた時間を過ごした。漫画類には手を付けず、フリードリンクを少し飲んだ後は横になって、コートをかけて仮眠を取った。マグノリアのような香りがコートから漂い、落ち着いて眠りに就くことができた。