第12話 冷凍庫(後編)
第12話 冷凍庫(後編)
翌日、休日に行う家事を済ませて私は昼過ぎに藍風さんを迎えに行った。もう慣れたものだ。依頼の話通りだと、怪奇は休日の夜まで出てこない。すぐに見つけられるかも分からないので私は適当に本を数冊見繕って持って行った。藍風さんは門の前で待っていた。
「こんにちは」
車を停めると藍風さんはドアを開けて荷物を後ろに置き、助手席に座った。こちらも慣れたもので座席の位置は変わっていない。
「こんにちは。中で待っていても大丈夫でしたよ」
昼過ぎとはいえ最近寒いので、私はそう言った。
「今日は暖かかったから大丈夫でした。ありがとうございます」
確かに今日はTシャツにパンツルックで上に羽織る物を着ていなかった。荷物に入っているのだろう。滑らかな鎖骨と薄い肩がよく分かった。仄かな石鹸の香りが広がってくる。
私達は高速で羊川町に向かい、アパート「グランツ羊川」に着いたときは3時過ぎだった。車を駐車場に停めて、203号室に入ったが、やはり昼間は何もないようだった。日が暮れる前に夕食やらを購入するのに駅前のスーパーマーケットまで行った。てっきり別々に動いて出口で落ち合うと思ったが、藍風さんは後ろを着いてきて、アヒルのヒナみたいでほほえましかった。人見知りなのだろうか。ある程度のものは持ってきているし、大物はアパートにあるので私は適当にお茶とチョコレートを数個買った。その後、隣の弁当屋に行きアジフライ弁当を頼んだ。このチェーン店のはそれなりにおいしい。アジフライは子供の頃は好きでなかったが、この年になってふと食べて、思ったよりおいしくて驚いた覚えがある。藍風さんもアジフライ弁当を頼んだ。結構渋い。女子中学生が何が好きかは知らないが、パスタとかサンドウィッチとかそういうのを食べていそうなイメージだった。
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アパートに戻り、もう一度一通り見て回った私達はやはり何も見つけられず、早めに夕食を済ませることにした。電子レンジがあったのは前日に確認済みだった。食事を済ませて歯を磨き、一段落した頃には日も落ちて例の怪奇が現れうるタイミングとなった。あれだけ探しても何もないなら、インターフォンが鳴るまでは何も起こらないだろうと判断し、音が鳴るまで休むことにした。
藍風さんは学校の課題か何かをしているようだった。邪魔をするのも悪いし、そんなに好きでもないのでテレビをつけることもなく、適当に持ってきた小説を読んでいた。最近はゆっくり読むことはほとんどなかったが、改めて読むと面白い。今度自宅でも読む時間を設けようと思う。そんな小説を区切りの良いところまで読んだが、依然としてインターフォンが鳴ることはなかった。また続きを読むのも疲れる。辺りに目を向けていると藍風さんの学校の課題が目に入った。
「上野さん」とこちらに気づいた藍風さんが言った。邪魔をしてしまったかと少し申し訳なくなった。
「ここ、難しいんですけど、よかったら教えてもらってもいいですか」
大人が皆中学校で勉強したことを思えているわけがない。中学生の時はそう見えるのかもしれない。
「いいですよ。…ああ、ここはですね―」
幸いにも課題は英語だったので、何とか説明することができた。(解答の説明に助けられた。)今でも数学や英語はいける気がするが、社会と理科は(特に地理歴史は)自信がない。
その問題で区切りがついたのか藍風さんは見直しを終えて勉強道具を片付けた。
「出ませんね」
「上野さんも感じないですか。報告では夜遅くと言っても深夜に来たことはないようです。だからと言っても出ないとは限らないので泊まり込みになるかもしれないですね」
布団があるしガスも来ているからまあ大丈夫だろうと思った。しかし、ふと、二人きりで同じ部屋(というか家)に泊まるのは流石にまずいんじゃないかと頭によぎった。みーさんと一緒の時は同じ離れと言っても別の部屋だったので水周りも独立していた。アパートは家だからその辺は一つしかないし、部屋も鍵をかけられるわけではない。
「泊まると言っても流石に藍風さんもあれでしょうから、来週に別の人とでもしたらよいのではないでしょうか」
「私は大丈夫です。昼頃にお風呂に入ってきました」
(準備万端だったんですね)
「上野さんも石鹸の香りがしたからてっきりそれでだと思っていました」
確かに昼前に風呂に入ったが、なんか嗅がれているのはともかく、そう言われるのは恥ずかしい。
「そうですね。それじゃあ藍風さんが良ければ今日は泊まりますか」
まあ大丈夫だろう。
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そうは言っても二人で寝るわけにもいかない。インターフォンがいつなるかわからないし、何が起こるかわからない。交代で眠ることにしてまずは藍風さんが布団に入った。私はスマホでネットサーフィンをしつつ、見張りをしていた。
(しかし、驚くほど無防備だ…)
藍風さんは隣の部屋ですやすやと寝ていた。
(今日日の女の子はこういうものなのだろうか。それとも信用されているのだろうか)
このシチュエーションに疑問を持つ。そもそも車に乗せて遠出したり、そのまま車中で眠ったりしていた訳だから今更なのかもしれない。まあ、する気は全くないが、変なことでもしようものなら、藍風さんの例の能力ですぐに真っ二つにでもなるのだろう。自身の能力を信じているからこそ、男のいるところで眠れるわけか。私は一つの結論を出すことができ満足した。
その後もすることは特になく、交代の時間を迎えたので起こしに行った。首元まで布団がかかっていて仰向けに寝ていた。髪が枕の上に水を流したように広がっていた。布団が規則正しく上下していた。私が声をかけると薄い眉と長いまつげが動き、藍風さんは目を覚ました。
「おはようございます。交代の時間です」
「あ、おはよう、ございます…」
寝ぼけているようで目がとろんとしていた。
「見張りの準備ができたら教えてください。その後寝るのでよろしくお願いします」
「はい」
顔を洗って目が覚めた藍風さんは買っていたコーヒーを飲んで、準備ができた旨を伝えた。私は何かあったら起こしてください、と言って隣の布団で眠った。
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翌朝、目を覚ますと藍風さんと目が合った。丁度起こしに来てくれたようだった。怪奇は出なかったようだ。なんだかいい匂いがしたので隣の部屋を覗くと朝食が用意されていた。
「今から帰っても遅くなりますし、折角食器を用意してもらっているのでよかったらどうですか。全部レトルトのを移しただけですけど」
「ありがとうございます。それじゃいただきます」
朝食前に済ませることを済ませテーブルに着いた。白米、みそ汁、玉子焼きに、野菜ジュースと嬉しいことにサケの切り身があった。朝食を食べるとやっぱり調子がいい。朝、魚を食べるとなお自分は良いが、高いので普段はできない。この辺の感性が一致していたのはうれしい。藍風さんは私より少なめの量でそれでも満足していたようだった。その後二人とも一時帰宅し仮眠をとり、風呂に入って、再集合した。その後昨日と同じように夕食と夜食を買い、203号室に籠った。
また泊まるのは疲れる。できれば今日こそは怪奇が出現してほしいと思いながら早めの夕食を終えて、一段落したところだった。私はスマホでネットサーフィン、藍風さんは本を読んでいた。
『ピンポーン』
電源を切っていたはずのインターフォンから唐突に音が鳴った。緊張が走った。モニターには男女二人が映っていた。私はモニター越しに判別はできない。藍風さんを見ると、こちらを見てうなずいた。確実に怪奇だ。藍風さんはドアを開けるジェスチャーをしたので、自分を指さして、私が開けると伝えた。玄関に静かに向かい、覗き穴を見た。男女二人が私には見えた。内鍵を外すと、「カン」と音がした。鍵を回しすぐに扉を勢いよく開けるとそこには霜の着いた空間が見えて冷気が吹き寄せてきた。この後何もしなければ後ろを押されて閉じ込められるはずだ。
「こっちです」
藍風さんの声のする方に飛び移るとその男女が私のいた辺りで何かを押すような動作をしていたのが見えた。すぐさま藍風さんが何かをその空間に2,3個投げ入れた。フッと景色が歪み後には今までと同じ玄関が残った。男女は消えていた。不思議なことに(そもそも元からが不思議ではあるのだが)玄関は全く冷たくもなかった。
ほっと胸をなでおろし、時間も時間なので帰宅しようか尋ねたが、本の続きが気になるからもう少しいたいと藍風さんは言った。始末したと言っても私は気味の悪い所からは早く立ち去りたいと思うと思っていた。まあ、翌日も休みだったし私達は少しの間そこに残り、後片付けをしてからアパートを出た。帰りに何を投げ入れたのか聞いたところ、コーヒーの空き缶と持ってきた付箋と、それからアパートにあった石鹸置きと言われた。そういえば玄関に何も落ちていなかった。どこに行ったのだろうか。