第111話 不思議な蔵(中編)
第111話 不思議な蔵(中編)
私とツァップさんは闇の中で漂っているのか、流れているのか、落ちているのか、動いているのかもはっきりしていなかった。私が集中して見ても闇の果てが見えなかったから、壁のある空間にいることは分かった。
周りには古い箪笥やつぼ、本、笠などが同じように漂っていた。上下前後左右にゆっくり流れていくものだから、天地さえも分からなかった。無重力にいるにしては姿勢が定まっていた。そもそも無重力状態を地球上で再現するにはと思ったところで、これは怪奇だから何でもありだということを思い出した。
ツァップさんは作業の後に着替えていたから、濃い灰色のセーターに白いコートを羽織り、ギンガムチェックのロングスカートに黒いストッキングとスニーカーだった。背中には白いリュックサックを背負っていた。金色のセミロングのくせ毛がふわふわと流れに任せてたなびき、青い目がキョロキョロと浮いているものに視線を配っていた。
私とツァップさんは離れないように手をつないでいた。薄く肉のついた手のひらからは温かさを感じた。つまり、周りは冬服が適している温度だった。
「ツァップさん、これ、どういった怪奇か検討がつきますか」
「私もわかりません。異界に引き込まれたことは分かるんですけど」
ツァップさんもお手上げのようだ。
「あの蔵を掃除したことが何かを起こしたのかもしれませんね」
そのような話は聞いていなかったが。
「でも、特に妙な気配はしなかったです」
こちらに漂ってくるものを時折反対側に蹴飛ばしながら(その時も反作用がなかったから奇妙だった)十数分ほど経った頃、急に左側に引き込まれた。
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闇が晴れると、そこは小さな古い木製の部屋だった。同じく木製の、ボロボロの机と椅子だけがあった。集中して見なくても、部屋自体が怪奇だった。あらかじめ体勢を整えていたおかげで、私達は転ぶことなく何とか床に着地することができた。ほっとしてからツァップさんと目が不意にあって、どちらともなくすっとつないでいた手を離した。白い肌に赤みがさっと差していた。
「ここは何ですか?小屋?」
ツァップさんが部屋の中に注意を移した。私もそれに合わせて近くを見るが、四方は木製の壁、天井も床も木製で、梁が通っている以外は何もない、いや、あった。
「のようです。ここに扉があります。一応」
壁の一方にあるのは、膝ほどの高さにある、猫用のような小さな扉だ。
「出口はこれだけですか。『私を飲んで』はないかな」
童話のことか。
「えーと、ここ、鍵はかかっていないですね。向こうは…池が見えます」
覗いた扉の先には池と茂み、近くは雑草が生い茂っている。冷たい風が顔に当たる。
「ツァップさん、少し後ろに下がっていてください」
「何をするの?」
「蹴り破ろうと思いまして」
助走をつけようと、反対側の壁まで下がる。
「蹴れば穴、開くかな」
そのとき、部屋が私の考えを読んでいたかのように鳴動し始め、どんどん大きくなっていった。もしかしたら自分たちが小さくなっていったのか、すぐにはよくわからなかった。揺れが収まった後には部屋は何かの競技場ほどの広さになっていた。
「次は『私を食べて』を探しますか、ツァップさん」
冗談交じりに言いたくなるのは、出口が高い位置に行ってしまったからだ。
「それと、出口も探しましょう」
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周りが大きく、あるいは私達が小さくなってもそこにあるものは変わるわけはなかった。あるものは机と椅子だけだった。扉は3階くらいの高さになっていた。次に扉から出るために、椅子を動かそうと脚を後ろから押したが、重すぎて全く駄目だった。
手詰まりだったため一旦夕食を食べた。大森さんのおかげで食べていなかった分があった。幸い飲み物も十分に持っていたから、何も支障なく腹を満たすことができた。強いて言えば、少し寒い中に冷たい飯は味気なさを感じた。
食事を終えて、どうしようかというときにツァップさんがふと言った。
「この部屋、考えていることが分かるんではなくて、聞いているんじゃないですか?」
「どういうことでしょうか」
「だって、日本語じゃないと反応しないんです、多分。私達はずっと英語で話しているから」
「ああ、だから私が壁を蹴ろうとしたときに部屋が大きくなったのですか。独り言を言ったから」
「何か試しに行ってみませんか?」
肝が据わっているのか、怪奇相手に少しいたずらをしようとしている。ツァップさんが普段関わっている怪奇と比べたらかわいいものなのかもしれない。
「そうですね、では、」
何を言えば安全に出られるだろうか。下手をしたら部屋が収縮して、あるいは自分たちが大きくなって潰されるかもしれない。部屋が大きければ扉に届かない、部屋が小さければ扉から出られない。少し考えて―
「もう出口がないのだったら、火点けて、穴開けようかな」
部屋全体が再び揺れ始め、元の大きさに戻ると、扉のあった側の反対の壁の一か所が溶けるように消えていった。このような簡単なことで出られると思ってもいなかった。火を点ければ部屋も無事で済まないのは勿論、部屋が大きければ穴が空くまで遠くで待って、部屋が小さければ脆くなったところを蹴破ればよいわけだ。つまり脅しではなく、本気だった。