第102話 坊主頭
第102話 坊主頭
聞いていた話の通り、それは青い服を着た坊主頭だった。まだ何も呟いてはいない。つなぎのような服を着ている。しかし、噂は当てにならないものだ。近づかなくても私には見分けがついた。異常な視力のおかげだ。
「あれ、坊主頭の女性ですね。男性ではないです」
「女性、ですか…。この距離からだとちょっと分からないです」
藍風さんは目を細めて窓の外を見ている。
「はい。目鼻立ちや体のバランスがそうです。目撃者は遠目の坊主頭につられて男性と思い込んだのでしょう。それよりどうしましょうか。幽霊瓶を試してみましょうか」
「うーん…。今のところ、私達は熱が出ていないですから、もう少し様子を見ませんか。情報が増えれば、対応の仕方も増えるでしょうから」
「そうしましょう」
藍風さんの言うことは信頼できる。
暫くの間、怪奇は何の反応も示さないで立っていた。心なしか周りの空気も青白く見えた。そうして10分ほど経ったころ、ほんのわずかな寒気を感じた。護符を持っていたから効力が弱められたのだろう。それと同時に口が動き始めるのが見えた。
何を言っているのか、他の音と混ざり合ってはっきり聞こえない。音を取り込もうと窓をわずかに開けると冷気も流れて入ってくる。外はすっかり冷え込んでいたようだ。
「殺された。ささはらに。60年経った。殺された。やってやる。やってやる」
窓の隙間から聞こえた声ははっきりとこう聞こえる。隣の藍風さんには聞こえていないようだ。耳に手を当てているが表情に変化がない。
「藍風さん、あの怪奇が言っていたのは―」
聞こえた言葉をそのまま囁く。ずっとしていると同調しそうな気がするから程よい所でやめる。
「あ、分かりました。対応の仕方はお昼頃分かったのと同じです」
少しかすれた囁く声が聞こえる。藍風さんの能力は大抵唐突だ。今回のやり方は性別が違っても、呟いていることが不明瞭でも関係はなかったようだ。
「それなら、準備していた物で対応しますか」
「そうですね。今はまだ少し早いですから、もう少し待ちます」
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藍風さんの能力をみーさんは、ゲームのバグや謎の挙動を利用することに似ていると例えている。藍風さんが壁抜けをしている所さえ見たことはないが、言いえて妙だと思っている。確かにゲーム内のNPCから見ると動画投稿サイトで見るようなRTAやTASの主人公たちの挙動は意味不明だろう。
現実世界にも未知の現象は溢れるほどあるし、怪奇が絡んでいれば無限に近いと思う。その中で思いもしない答えが出てくるのは、数学の定理が直感的に分かるような物だろうか。その時証明はできなくても、理屈は分からなくても、結果として正しい。
「上野さん、そろそろ…」
藍風さんが呟く。スマホを見ると、時間が近づいていた。
ドアを開けて車を降り、道路を慎重に渡る。車に気を付けるわけではない。怪奇を刺激して、こちらに危害を加えてこないようにだ。
幸いにも怪奇はただ呟いているだけで動く様子がない。藍風さんが目的の位置に着いたのを目の端で確認する。ジェスチャーでこちらの準備もできたことを伝えると藍風さんがこくり、と頷いた。
私は通行人の振りをして橋を渡り始めた。近づくにつれて寒気が増すような気がする。やがて、それの首だけがゆっくりと動いて、こちらを見た。片目がない、青白い顔。残りの目で睨んでいる。呟く音も大きくなっている。操り人形のように腕を持ち上がり、足が引きずられるように動き始める。
「ささh―」
しかし、藍風さんが近くの木にケトルを吊るした途端、それは石になったかのように動きが止まった。訳が分からないが、ともかく今のうちだ。懐から幽霊瓶を出して近づけると坊主頭の女性の怪奇はするりを吸い込まれていった。幽霊だった(幽霊でない場合はケトルに入れて?封印する予定だった)。わずかに感じていた寒気もなくなった。
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ビデオカメラとICレコーダー、それから看板を回収して、念のため辺りの怪奇を確認してから(少し離れたところと種類も数もそう変わらなかった)帰路に付いた。
高速道路の入り口に差し掛かるまで、すれ違う車はわずかだった。藍風さんは助手席で毛布を掛けて目をつぶっていた。怪奇に同情はしなかったがあれの死因が気になった。正体は幽霊で、殺されたと言っていたからだ。ただ、あまり考えすぎても良くない。これは仕事だ。
朝方、藍風さんの家に着いた。高速道路を降りた辺りで既に藍風さんは起きていた。家に入るのを見送ってから途中でコンビニに寄って自分の家に帰った。ここの味噌ラーメンは美味しい。腹も膨れ、風呂に入って体が温まり十分リラックスし、報告書を書いているうちに眠気が襲って来た。朝日を浴びながら布団に入るのは気持ちが良かった。