第101話 実験(後編)
第101話 実験(後編)
例の怪奇が昨日現れた時間は分かった。その前後の時間に再び出現する可能性は高いだろう。しかしたった一つの事例だけを当てにしてはならない。という訳で結局、夜の間ずっと張ることにした。昼食はビデオを見ながら既に食べていたから、藍風さんが部屋に戻った時には腹の具合も丁度良かった。私達は夕方まで眠って、それから活動を開始することにした。
起床後、目を覚ますために熱めのシャワーを浴びてから、チェックアウトをして、夕食を食べに行った。少し車を走らせて、結局前日と同じところで日替わり定食を頼んだ(かぼちゃの煮物と高野豆腐、豆とひじきのサラダ、鶏の竜田揚げだった)。店主にも覚えられていて話しかけられた。とりあえず兄妹と言っておいたが、呼び方が「藍風さん」「上野さん」だったからよく聞かれればそうでないのは明らかだった。叔父と姪の方がよかっただろうか。
佐経橋に着いたときには、周囲は薄暗くまたもや寂しげであった。曇っていたのが余計に拍車をかけていたようだった。念のためICレコーダーとビデオカメラを仕掛けて(角度は変えた)、それから車に戻った。同じホテルに泊まっていたから同じ匂いのはずだが、全く別に感じた。
まずは私が先に眠り、藍風さんが助手席の窓から橋を観察することにした。既に辺りを歩く人はいなかったが、時々車が通り過ぎる音が聞こえた。1人ずつ寝るわけだからしっかり横になろうと考え、後部座席を倒してそこで毛布を体に巻き付けた。鍵は大丈夫だろう。厚めの毛布も敷いてあったし寝心地も悪くなかったから、落ちるように眠ってしまった。
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スマホのアラームで目を覚ますと、辺りは一層暗くなっていた。顔を洗って冷たい水を飲むと頭がはっきりした。特に何もなかったという話を聞いてから藍風さんと場所を交代し、橋の観察を始めた。自分の車の助手席に座ると妙な違和感がある。他人の車の助手席に乗っているときにもつい左足が動くことがあるが、それとはまた別の違和感だ。シートには仄かに温かさが残っていた。それにつられて後ろを見ると、藍風さんは頭まですっぽりと毛布にくるまっていた。藍風さんは私が使ったものをどうこうというのはあまり気にしていないから、気が楽だ。年頃の娘さんや妹がいると色々とあるらしい。
橋は、冷たくぼやけた光の下でただそこにあるだけだった。
(坊主頭の男性の怪奇が言っていた、殺された、という言葉がその通りなら記録が残っていそうなものだが…)
目撃者は青い服と言っていたらしい。その言い方から恐らく洋服だろうから、例の怪奇が幽霊なら殺されたのはそう昔の話ではないだろう。
(それなら、?てやる、は同じ目に合わせて、復讐して、呪って…)
少なくとも良い言葉を呟いていた訳ではないだろう。その割には危害を加えに加害者の元に出るわけでもない。地縛霊だろうか。まあいずれにしても私達は怪奇に対応するだけだ。彼の身の上に同情することがあったとしても、別の話だ。
(そもそも幽霊とは限らない)
思い込みは危険だ。特に、怪奇相手にはだ。これは色々な能力者から何度も言われた。
考えを巡らせながら橋を見続ける。時々、藍風さんの方を見て暖房を調節する他、やることもない。軽自動車が1台橋を渡った。思考がループし始めた辺りでピピピ、と大きな音が車内に響いた。藍風さんのスマホからだ。
「ん…。あ、おはようございます」
とろんとした目に、毛布に引っかかって少し乱れた髪の藍風さんが顔を出して、アラームを切った。
「おはようございます。水、要りますか。異常は今のところありません」
「ありがとうございます。貰います」
ペットボトルの水を渡すと、藍風さんはタオルに水を染み込ませて顔を拭き、それから自分のカバンからお茶を出して飲んだ。
藍風さんと場所を変わって今度は私が横になった。先ほどよりもすぐ眠りに落ちることができた。
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肩を揺らす柔らかい感触と優しい声に目を覚ますと、藍風さんがいた。依頼のために車内で寝ていたことを一瞬忘れていた。
「上野さん、上野さん、」
「ん、ああ、どうしました」
「上野さん、出ます。気配がします」
スマホを見ると例の時間の少し前だった。顔を拭いて水を飲み、窓の外を見る。気配というものはやはり、分からない。
使えそうなものを傍らに用意して、じっと機会をうかがう。現れたからと言ってすぐに殴りかかるつもりはない。まずは観察をしてからだ。しかし、あまり悠長にしていると姿を消すかもしれない。その辺りの塩梅は藍風さんに任せよう。姿を表したり、消したりする予兆のようなものが分かるだろう。
「上野さん、来ました」
藍風さんが不意に呟いた。
その声がしてから1分も経たないうちに、周りの景色から溶けるように現れた。いつの間にか、瞬きをする間のことだった。