第97話 象と蜂
第97話 象と蜂
まずツァップさんが枯れ井戸の周りに聖塩を一周撒いて、中に折ったサイリウムを入れた。これで底にある黒い人形が見えるようになったのだろう、聖水を人形目掛けてかけていた。
「~~~~~~」
それからエクソシズムの儀式が始まった。明るい所で見ても神聖さのせいで眩く見える。一つ一つの音や動作が流れるように洗練されて繋がっている。前日の温かさを不意に思い出して、少し照れてしまう。
遠目で見ている限り、儀式自体は滞りなく進んでいる。問題ない。隣のみーさんも井戸とツァップさんを見ている。どこか近くでカラスが鳴いている。風が強くなってきた。周りにいた小物の怪奇は恐れをなしてか逃げ出しているようだ。そのような音が聞こえる。
(待てよ…)
普通、何か大物の怪奇があったら小物はいないのが相場だったはずだ。何故先ほどまでいたのだろうか。その疑問は自分の中ですぐに解決した。要は自分にとって害がなければ共存できるわけだ。象と蜂のようなものだ。お互いの存在は殆どお互いに影響しない。象は殺そうと思えば蜂を殺せるけれどもそうはしない。無駄だからだ。
(それだとあの黒い人形は相当のモノなのか…)
私達の記憶を塞いで逃げ出す位だ。気を抜けない。ツァップさんの方は滞りなく動いている。怪奇の強さ弱さが分からないとこういう時に困る。2人が何も言っていないから、そこまでのモノだとは限らないだろうが。
そうした考え事を頭の隅でしている内にツァップさんの儀式は終わったようだ。手ごたえがあったのだろう、こちらを向いている。
「上野さん、行きますか」
みーさんに言われて私も一緒にツァップさんの方へ歩いていく。井戸の底には黒い人型の人形がある。その像は未だ二重に見える。怪奇の姿と、物の姿が重なっている。
「ツァップさん、これ…」
井戸の底を見ながら言おうとすると…。
「あの人形、動きは止まっています。だから、後は回収して本格的に封印します」
少し残念そうな声が聞こえた。
「距離が離れすぎていたんだねー」
みーさんも井戸を覗いている。下の方から来る風が髪の香りをまき散らして、辺りに甘い、ミルクが漂ったように感じる。
「そうなると…私ですね、行くのは」
この中で一番頑丈だろう。放っておいたり、一般人に頼んだりしたら何が起こるかわからない。
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頑丈な牽引用のロープに等間隔に結び目を作って、レンタカーの後部に結ぶ。もう一本のロープもレンタカーにつないで、それと腰につけたカラビナをつなぎ、安全用のヘルメットを被って準備完了だ。
ツァップさんから聖水をかけてもらい、簡易的な祝福を受けてから、ロープにつかまりゆっくりと降りて行く。下に向かうにつれて寒くなる。壁は案外しっかりしていて、崩れる心配はなさそうだ。空気も異臭はしない。私の嗅覚なら、毒と分かればすぐ反応する。これは強みだ。
聖水をかけてもらったところに隙間風が当たり冷たく感じる。辺りも濡れているからなおさらだ。慎重に、慎重に降りて行く。私は肉体系ではないから、正常に疲れてくる。井戸は異界への入り口と言われているが、本当にそう感じる。目が良いから恐怖はそこまで感じないが。私の出す音が中で反響して、底からの呼び声のように聞こえてくる。上を見ると、空が小さくなっている。
底に辿り着くと、湿った黒い人型の人形と明かりの切れたサイリウムがあった。人形に札を貼り、どちらも袋にしまって、縄を数回引っ張り合図を送る。
「上げてー」
ツァップさんがそう言ったのが聞こえてすぐ、縄が非常にゆっくりと上がり始めた。みーさんが車を前進させているからだ。壁にぶつからないように、歩くようにしながら昇っていく。しばらくして私は地面に下りることができた。
黒い人形は封印用の袋に入れられた後、十字架を縛り付けられた。こういうのは、信じている人が想いを込めてたものに想いを込めて行ったから効果があるわけで、例えば私がどこかで買って来たのでは意味がないとツァップさんに教えてもらった。
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ツァップさんが着替えている間、井戸をブルーシートとロープで塞いで私達はそこを後にした。笠登に戻って車を返し、それからすぐ電車に乗ってN駅に行った。電車は変わらず空いていた。
N駅に着いた後、夕食を取らずにG駅に向かった。丁度すぐ発車する電車があったからだった。はっきりと言われなかったが、簡易的な封印に猶予がないのかもしれないし、どれくらい持つのか分からないのかもしれない。だから、3人とも疲れていたが眠るわけにもいかなかった。ボックス席に座って、荷物の方に注意を払っていた。
G駅に着いてから急いで支部に向かい、そこですぐに本格的な封印が行われた。行われたというのは、私は見ることができなかったからだ。万が一の保険、つまり2人が時間が経っても出てこなかったときに誰かに連絡する役も兼ねていた。だから私がしたのは、駅からツァップさんの荷物を持ったことと、ポットにお湯を準備して待っていたことだった。
ほどなくして封印は無事終わった。このあとどうなるかは本部次第だが、私は二度と関わりたくないと思った。その後3人で小さな祝杯(緑茶)を挙げて、支部にあった冷凍食品を夕食に食べた。今度あの会社のパスタを買おう。
家に帰った後、硬貨虫にお礼にアルミホイルをあげて、頭?を撫でた。有機物なら食べられないのは岩原さんの体で実証済みだ。指にすりついて来るのは懐いているのかなんなのかよくわからないが、楽しい同居人には変わらなかった。