第95話 違和感(中編)
第95話 違和感(中編)
みーさんはいつものジャージだった。ツァップさんは英字の入ったシャツに薄紫色のカーディガンを羽織って、デニムスカートにタイツだった。女子高生(相当)だから女子小学生のような恰好は似合わないはずなのだが、すらっとしているからなのだろうか、着こなしていた。
「コンニチハ!」
ツァップさんは日本語を勉強して、簡単な会話くらいはできるようになった。話せることが嬉しいのだろう、ニコニコしている。
「こんにちは。元気ですか」
「ハイ!ゲンキデス。上野サンハドウデスカ?」
定型のあいさつだから別に元気と答えても良かったし、実際体調は悪くなかったのだが、現状を何と言ったらよいのか。日本語でそれを説明しても通じないだろう。ということで英語で話すことにした。幸いここにいる人達は話すことができる。
「元気ですよ。ただ、例の記憶喪失が起きていますから何とも言えないわけです」
「そうでした、でも体は悪くないんですね、良かったです」
子供っぽくツァップさんは笑っていた。みーさんが横からひょいとのぞかせた。
「それでケイテ、どう?上野さんも私と同じ?」
みーさんの勘は当たっていたようだ。
「えーっと…」
ツァップさんは私を見つめながらクルクル周り始めた。腰を前に曲げて顔だけを近づけてくる。少し緊張する。
やがて何かわかったらしく、ツァップさんは私から離れた。
「2人には、悪霊のような思念が中に入っています」
「思念?」
みーさんが少し不思議そうな顔を浮かべている。
「はい。思念です。みーさんから聞いた話に出た、黒い人型のものだと思います。多分その怪奇そのものがそれだったのかもしれません。記憶の欠落がなぜ起こったのか説明はできませんが、取り除くことはできます。これから準備しますね」
ツァップさんは小部屋に消えていった。例の修道服に着替えるのだろう。
「流石専門職だねー。すごいすごい」
みーさんは小さく拍手をしながらうなずいている。
「本当にそうですね。そうした類のものは私には見えませんから」
「実体がないからねー。生霊なら見えた?」
「見えたと思います。しかしこの能力、中々万能なわけではないですから」
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修道服に着替え終わったツァップさんは、先ほどとは違って神秘的で幻想的な輝きを放っていた。絵画の中の人物のようだった。声も光っているように聞こえた。私達は支部のある事務所を出て、その上の階にある空き部屋(倉庫として使っているらしい)に入った。先に準備をしていたから部屋は既に暖かかった。
ツァップさんは部屋のろうそくに火を点けると、電気を消し、私達に聖水をかけた。それから部屋の中央に置かれた椅子にみーさんを呼ぶと、ストラをみーさんの首にかけて、ドイツ語で謡うように言葉を唱え始めた。
「~~~~~~」
何を言っているのかはわからないが、聖書の一部を含んでいるようだ。度々胸の前で十字を切っている。みーさんは目を閉じて背もたれに体を預け、じっとしている。こうして見ると2人とも、劇の一幕の登場人物のようだ。
しばらくの間それが続き、一連と思われる動作が終わると、ツァップさんの顔が柔和になった。そしてみーさんを抱きしめると「終わりましたよ」と囁いた。
その言葉を聞いて、みーさんは目を開けて椅子から立ち上がり、さっぱりした様子でこちらに戻ってきた。
「ばっちり思い出しましたー」
日本語で言ったから私に向けた言葉だろう。何となくツァップさんも何を言っていたか分かったようで、ニコリと微笑んだ。
「上手く行きました。次は上野さん、来てください」
呼ばれて椅子に座り、目を閉じると自然と他の感覚が鋭くなるのを感じた。そこに割り振ることができるリソースが増えたからだろう。首元に柔らかい布がかけられる。先ほどのストラだろう。言葉が始まった。
「~~~~~~」
リラックスする。息遣いさえも聞こえる。この姿をみーさんにも見られていると思うと少し気恥しい。音が体に沁みてくるのを感じる。香りが動いて、手で十字を切る音が時折聞こえる。瞼の裏には何か神々しいものが想像されていく。そして、一連の言葉が終わったようだ。
(!!)
記憶が戻ったのを感じた。抜けたジグソーパズルのピースが元に戻ったような気分だ。それから、柔らかく温かい感触が体を覆った。
(忘れていた)
近くでマグノリアに少女の香りが溶け合ったものを感じる。布越しにもそのあれが伝わってくる。耳元で「終わりましたよ」と囁く声がして、熱が離れていく。
「ありがとうございます」
目を開けて立ち上がり、ツァップさんにお礼を言う。
「思い出しました?」
ツァップさんの微笑みには母性が混ざっているようにも見えた。聖母の印象に引きずられたのだと思う。
「はい。すっきりしました」
その後、後片付けをして支部に戻った。ツァップさんは元の格好に着替えると先ほどの印象はどこに行ったのか、子供っぽく見えた。ただ問題は解決していなかった。記憶が元に戻っても、つまり思念が取り除かれても、問題の黒い人型の人形をどうにかしなければまた同じ目に合うかもしれないからだ。私達は一旦夕食を買いに行って、それを支部で食べながら次の行動を決めることにした。