はい、嫁です-4
職員室に向かう足取りが重い。このあと職員室で何があるのか分からないが、帰り道で何があるのかは容易に想像できる。
「はぁー……誰だよ嫁って?」
普通なら授業を抜け出した事に対して怒られる事を気にするのであろうが、今の俺は嫁の方が気になる。単純にノリだけで言ったなら、迷惑極まりない。
そのノリのせいで、海の機嫌を取る為にどれだけの労力を必要とするのやら。そんな事を考えながら歩き、職員室に到着した。
職員室のドアをノックしドアを開ける。
「失礼しまーす。2年D組 一ノ瀬 自首しに来ました」
「おう、一ノ瀬!こっちに来い!」
職員室の入り口から、少し離れた席に居た坂町先生が手招きしながら俺を呼ぶ。俺はやる気無く返事をしながら、坂町先生の近くまで進んでいく。
「よく来たな性犯罪者」
「誰が性犯罪者だ!?それが担任のセリフかよ?」
俺を性犯罪者呼ばわりした担任は、満足そうにニヤニヤしていた。
坂町 和樹
28才独身の担任。なぜ独身なのか分からないぐらい、女にモテるモテブルジョアだ。顔、身長、軽いノリなど、どれをとってもモテる男と言えるだろう。しかも、教師だから真面目な話もお手のもの。一説にホモ疑惑もあったが、女とのデート目撃も多数あり疑惑は払拭されている。女は毎回、目撃証言が異なるのだが……
「おい、一ノ瀬!お前、見事にホームルームサボったな!それに、古典の授業も抜け出したって?」
「そ、それには深い深い事情が……」
「まあ、それはいい」
「いいのかよ!?」
教師らしくないセリフにツッコミを入れてしまう。
「いいわけあるか!今回は不問にしてやるだけだ!二度とするなよ!」
「う、うぃっす……」
多少なりは、怒られる覚悟をしていたから肩透かしをくらった気分だ。
「事情は何となく分かるからな」
「あんたはエスパーか!?」
この学園にはエスパーが多すぎる。
「じゃあ、何で呼び出しかけたんですか?」
「すぐに本題に入るな一ノ瀬。焦るなよ。これだから童貞は」
「教師ー!教師らしくないセリフ!」
「事実だろ、童貞野郎」
「事実だが、野郎呼ばわりまでされたくない!」
「ったくよ、嫁まで居て童貞なんてチキン街道まっしぐらだな」
「チキン街道ってドコだよ!?それに嫁って何?」
「嫁って?お前の嫁!」
「誰ーーー?」
なぜ、俺も知らない俺の嫁を知っているんだこの担任は?
「誰って?お前知らないのか?」
不思議そうに坂町先生が俺の顔を見た。
「知らないっすよ!俺に嫁なんて居ません!」
「本人が言っていたのだが……」
「だから、本人って誰!?」
「まあ、焦るな早漏野郎」
「酷い!さらに酷い言われようだ!」
「ここに呼んだ理由にも関係するからな」
「まさか、架空の嫁話で呼び出しされたの俺?」
「どうだろうな?直接、本人に聞いてくれ」
「本人?」
そう言った坂町先生は、席を立ちパーテーションで仕切られた来客席に向かう。そして、一人の少女を俺の目の前に連れてきた。一度見たら忘れる事の出来ない純白のロングヘアーにオッドアイ。もう会えないと思っていた屋上の少女が、今俺の目の前に居たのだった。
あまりの驚きに俺は放心状態になる。そんな俺を目の前にして、坂町先生が少女に質問した。
「本当に一ノ瀬の嫁なのか?」
「……はい、嫁です」
「嫁じゃねー!」
現実に戻った。
「それとも何だ?俺の知らない内に親が勝手に決めた許嫁とか?」
「……そうなの?」
屋上で出会った時と同じように、無表情なまま首を横に傾げる。
「じゃあ、前世の嫁とか?」
「……そうなの?」
「………………ギブアップ!」
どうしてこの子は嫁とか言い出したのか?単刀直入に聞いてみる。
「何故、俺の嫁なんだ?さっき会ったのが初めてだよね?」
彼女は小さく頷く。
「初めて会った人に、いきなり嫁とか言われても戸惑ってしまうのだが……」
「……初めてなの」
「ん?」
「……空が初めて」
「何が!?何が初めてなの!?」
「……初めての男の人」
そのセリフに職員室中が凍りつく。
「一ノ瀬ーっ!お前ってヤツは!」
「ち、違う!誤解だ!」
「本当の性犯罪者になりやがって!先生は信じていたのに!」
「やめろーっ!最後まで信じてくれ!俺は無実だ!」
「……空が初めて抱いてくれた男の人」
「は……い……?」
とうとう、職員室どころか俺まで凍りつく。
「あーっ、警察ですか?すみません。学園に性犯罪者がいるのですが……」
「先生やめて!110番は勘弁して!」
受話器を持つ坂町先生にすがりつき、必死になってお願いした。
「……初めて」
「うぉぉい!キミも初めてを連呼しないでくれ!」
「……事実よ」
「違うでしょ!キミが抱きついてきたんだよ!あれは!」
「……でも、頭を撫でてくれたわ」
「うぐっ!?」
確かに俺は、抱きついてきた彼女の頭を撫でた。無意識というか、場の流れというか……邪な考えではない。
「諦めろ一ノ瀬。抱きつかれたのかもしれないが、頭を撫でたという事はお前はそれを受け入れたんだ。みっともない事は言うな」
確かに俺はあの時、彼女を受け入れた。本気で抵抗すれば、彼女を避ける事ぐらいできたであろう。過程はどうであれ、結果は抱き締めたと同じ。
「わかった。俺が悪かった」
素直に否を認める。
「俺もすまなかった一ノ瀬。童貞野郎とか言って。まさか、屋上で喪失するとは大したヤツだな」
「ち、違う!抱くってハグの意味で、決して大人の階段を登った訳ではない!」
「そんな状況で何もしなかったのか?」
「いかにも、何かを期待したような言い方だが、俺は何もしてない!」
「……お尻に固いモノが当たってたわ」
「それはベルトのバックル!これ見て!この金具!」
「わはははっ!」
「笑うな教師!」
「いやーすまん。これなら安心だ」
「何が安心なんだよ?こっちは大変なんだ!」
ツッコミ連続で息切れを起こしている。
「これから一ノ瀬に今日のサボリの罰を与える」
「さっき不問とか言ったじゃねぇか」
「知らん!」
「酷ぇ!」
「では、一ノ瀬に命じる……」
坂町先生は、一瞬言葉を溜め俺に指を指しこう言った。
「彼女の世話係に命ずる!」
「世話……係……は?」
(何だよ世話係って?何を世話すんだよ?どこまで世話するんだよ?お風呂とか?)
動物の飼育係じゃあるまいし、人間の世話係と言われても、健全な男子学生にはエロい想像に向かってしまう。
「簡単に言うと仲良くしてくれ」
「……よろしく空」
「紛らわしいなーおいっ!」
「彼女は明日から、うちのクラスに転校してくるんだ。一ノ瀬には学園内の事を彼女に教えてやってくれ」
「何で俺が?それなら委員長が適任だろ!」
「ご指名だ」
「キャバクラかよ!?」
「……ご指名よ空」
「お前の指名かよ!?」
名前も知らぬ彼女に、ご指名を受けてしまった。
「あのー先生……ご指名は置いといて、俺は彼女の名前すらも知らないのだけど」
「何だ、自分の嫁の名前も知らんのか?」
「嫁設定はいいから!」
「じゃあ、自己紹介お願いしていいか?」
無表情な彼女は小さく頷き、綺麗な声で自分の名前を名乗った。
「……冬月 ましろ(ふゆつき ましろ)」
名は体を表すとはこの事か。純白の髪に白い肌が、冬の星空に浮かぶ月の様に神秘的だ。片目の色が違うオッドアイが、更に神秘的に見せる。そして、言動……
「……冬月ましろ」
「それから?」
「……?」
首を傾げられた。
「それだけ?もっとあるでしょ?」
「……今日の下着の色は」
「知ってる!それは知ってるから!」
「……えっち」
「うわぁぁぁぁ!人の顔をまたいでおきながら、何を言ってるーっ!?」
「一ノ瀬……顔面騎……」
「待て聖職者!それ以上言ったら性職者になるぞ!」
この子は表情だけでなく、感情も無いのだろうかと思ってしまう。下着を見られても恥ずかしそうな感情が見られない。見せようとして見せたなら話は別だが、そんな事をする様には見えない。やっぱり、感情も無いのだろうか?
「……スリーサイズは」
「もういい!こっちの方が恥ずかしくなってくるから止めてーっ!」
「と言う訳で、席はお前の隣な」
「何がと言う訳でだよ!?俺の隣は空いてねぇだろ」
「一ノ瀬の列の廊下側が空いているだろ。全員、横にズレてもらう。もちろんお前もだ」
「窓際からズレろと」
「そうだ窓際族」
「嫌な言い方だな」
「一ノ瀬が授業中によく外を見ているのは、他の先生からも問題視されているんだ。一石二鳥だ」
「そ、そんな……」
結局、本当に罰を受けてしまった。
「これで、冬月の面倒も見易いだろ」
「いやいや、普通は同性に頼むもんじゃないっすか?委員長が適任でしょ?」
「俺もその予定だったんだが……ほら」
坂町先生は俺の腰の辺りを指差した。何だろうと思い、自分の腰を見てみると冬月が俺の制服の先を握っていた。
「なっ、懐いているだろ」
「懐くってペットかよ!?」
「……うん」
「お前も、返事してんじゃねぇよ!」
「別に一ノ瀬1人に任せるつもりは無いからな。黒崎姉妹や北条にも仲良くするように言ってくれ。それに3年の永瀬や1年には一ノ瀬妹もいるだろ。その辺にもな」
「女ばかりだな」
「一ノ瀬が同性とか言うからだろ。この一ノ瀬ハーレムが!」
「夢の国を建国しないでくれ!」
「クール系妹にロリっ娘生徒会長、黒髪ロングメガネっ娘委員長にショートカットスポーツっ娘、元気系ポニーテールにイケメン、それに不思議系美少女か?ド定番なエロゲだな一ノ瀬」
「人の学園生活をエロゲにするな!そして、1人違うのがいる!」
この学園にいる間に、どこかのルートに入れるのだろうか?イケメンルートだけは勘弁だ!
学園生活をエロゲに例えられたが、俺の周りには確かに女が多い事に気付かされる。しかも、一癖も二癖もあるような女ばかりだが、基本的にはみんな美少女部類には入るだろう。
(うーむ……なんというハーレム……同時攻略はあるのか?)
「……無理よ」と綺麗な声で呟かれた。
「人の心を読むなよ!で、そのこころは?」
「……チキン」
「屈辱!」
「それでなチキン。ご指名が入ったのも理由の一つだが、俺も男子なら一ノ瀬が適任だと思っているんだ」
「さりげくチキンって言うなよ」
「おぅ一ノ瀬、ちょい耳貸せ」
そう言って俺を手招きする。この先生の事だから、耳に息を吹きかけるぐらいのイタズラはしかねない。警戒しながら、先生の近くに寄った。
「一ノ瀬は冬月を見てどう思う?」
「どうって……何を言わせたいんだ?」
「いいから、どう思うんだ?」
俺は少し考えて答えを出す。
「もう少し胸があったらパーフェクトだな」
「おーい冬月。一ノ瀬がもう少し胸があったらって言ってるぞ」
「おいっ!?それ言ったらダメでしょ!男のお約束でしょ!」
まさかの暴露。
「……寄せて上げれば」
「それ卑怯だから!」
「……脱いだら凄い」
「すまん!心の奥底からすまなかった!」
これ以上、話が脱線しないように早めに謝った。
「ったく、俺はそんな事を聞いてるんじゃねぇよ」
どうやら質問に対する答えは赤点らしい。
「髪や目の事だよ」
純白の髪にオッドアイが、彼女の外見を構成する上でかなりの比重を占めている。
「んー……綺麗だよな」
「それだけか?」
「それだけだが?」
坂町先生の問いにどんな深い意味があるのか、この時は理解出来なかった。
「汚したいとか思ってないか?」
「誰が思うか!」
坂町先生にとっては軽いジョークだろうが、俺にはブラックジョークにしか聞こえない。そのツッコミが坂町先生のツボに入ったのか、突然笑い出した。
「くっくっくく……いやー流石は一ノ瀬だな」
「何だよ?そんなに面白い事は言ってないぞ」
「……存在が面白い」
「存在そのもの!?」
明後日の方向からのボケに、つい反応してしまった。
「すまん一ノ瀬。別に一ノ瀬のツッコミが面白かった訳じゃないからな」
「それはそれで悲しいな」
「自惚れるなよ一ノ瀬の分際で」
「侮辱!?」
「やっぱりな。一ノ瀬ならそれぐらいにしか見ないと思っていたんだ」
「何がやっぱりなんだよ?」
「お前バカか?いやバカだけど」
「もうそろそろ訴えてもいいよね。マジで」
ここまで言われると、本気で報復を考えてしまう。
「なあ一ノ瀬。普通と違う髪や目を持つ人って周りにどう見られるか分かるか?」
「どうって言われても……」
やっとここで坂町先生が言いたい事が分かった。
「大半の人間は、好奇の目で見たり時には距離を取ったりするもんだ」
「あぁ……」
「でも一ノ瀬は?」
「似合っているからいいんじゃね?」
「だろ!だから一ノ瀬で正解なんだよ。黒崎とかも大丈夫だとは思うが、こういった偏見とかは同性の方が厳しいからな」
「そんなもんかね?」
「杞憂ならそれでいいさ。俺も自分の生徒が見た目だけで判断するようなヤツはいないと信じたいからな」
そう言われて自分の周りにいる人を思い返してみたが、多分全員が見た目だけで判断するようなヤツはいないだろう。
そうだと俺も信じたい。
「やっぱり、冬月の前の学校でもそんな目で見られていたらしいんだ。東京のお嬢様女子高だけどな」
「そう言われると、イメージだがお嬢様女子高って色々ありそうだな……」
「……百合もいたわ」
「パラダイス!いや、もったいない!」
「親の都合とはいえ、この学園に転校して来たからには同じ目には合わせたくないだろ?」
「そりゃそうだ」
「だから最初は一ノ瀬なんだよ。一ノ瀬が普通に冬月のケツを追い掛けていれば、周りもそれが普通になるからな」
「ケツを追い掛けるとか言わないでくれ!」
「……安産型よ」
「シャラップ!今、ボケはノーサンクス!」
「つまり、先生は俺に冬月さんが学校に馴染むまでのスケープゴートになれと」
「まあ、そんなとこだな」
全てが理解できた。なぜ俺なのか。確かに俺は冬月の髪や目を見ても、驚きより見とれたと言っても過言ではない。偏見より綺麗さに目を奪われた。今の冬月に必要なのは、普通に接する事が出来る人なんだ。俺は普通に接する。ゆえに適任なんだ。
「わかったよ先生。俺が気に掛けていればいいんだな」
「頼めるか一ノ瀬?」
坂町先生のファイナルアンサーに出せる答えはただ一つ。親指を立て無言で返事をしたのだった。
「よし!頼むぞ一ノ瀬!」
「任せとけって。この俺にかかれば……」
「……妊娠する」
「しねぇよ!」
職員室だけで、どれだけのツッコミを入れただろうか?
「これで、今日の一件は不問にしてやるからな。明日から頼むぞ一ノ瀬」
そう言った坂町先生は、俺の肩を強く叩いた。その強さが託された大きさなんだと思ってしまう。期待されたからには、その期待に応えたい。自然に気合いが入ったのだった。
俺が職員室に来てから、それなりの時間が経過している。
「やべっ!海を待たせたままだ!」
「何だ?妹ルートか?」
「ねぇよ、そんなルート!」
「妹を待たせても悪いからな。今日はこれで帰っていいぞ」
「ういっす!」
威勢のいい返事をし坂町先生から離れ、冬月の前で立ち止まる。
「明日から宜しくな」
「……こちらこそ」
差し出した右手に、冬月の小さくて白い手が重なる。軽い握手を交わし、俺は急いで職員室を出ていく。
「……やっぱり」
冬月は、優しい眼差しで握手した右手を見つめていた。