36話 もうやだ帰りたい
ふわり、ふわり。
たゆたうように、ゆらゆらと揺れる。
――……ェ。ルーツェ
柔らかな手が額に触れ、優しく髪を撫でる。
――大丈夫。怖くない、泣かなくていいのよ
(でも、寒いのに、熱くて苦しい)
大丈夫と優しい声はルーツェに囁き、暖かな温もりは遠ざかった。
夢を見ている。
ゆらり、ゆらりと定まらない思考の中でそれだけは理解った。
(…………いかないで)
去ってしまった温もりを思い出し、手を伸ばそうと思ったのに出来なかった。
熱い、苦しい。身体が重くて追いかけたいのに手を伸ばすことすら叶わない。
寒い、寒い、寒い――・・・。
「大丈夫ですかお姉さま?」
ふと聞こえた柔らかな声と、遠慮がちに力を込めた小さな手が己のそれを握り込む。
「お水を飲まれますか? それとも起き上がれるならフルーツはいかがですか?」
「…………」
心配に濡れていた赤い瞳に少しの安堵が乗る。
少し慌てながら周囲を見回す少女に、小さく首を横に降ると握られていた手を握り返して再びまぶたを閉じる。
今はお水も、フルーツも欲しくない。だけど
(ちょっと暖かくなった)
柔らかい温もりに微睡みながら、ルーツェの意識は再び闇へと落ちていった。
********************
ルーツェが自室で大人しく熱に浮かされている頃、コハクは目的の場所へとたどり着いていた。
森の奥のさらにさらにのそのまたさらにの奥の方。ほんの僅かな開けたスペースの向こうには、そびえ立つ大きな崖にぽっかりと開いた洞穴。
ここに来るまの道のりは険しいものではなかったが、小さな紙面に騙さたとブチ切れそうになる程に遠かった。
なんだあの距離! ここは学院の敷地内ではなかったのか!?
「え? なにこれ? なんかすんごい歩いた気がするんだけど!? つか崖!? 洞穴!? そもそもこんな崖あったの?? 全く全然これっぽちも気づかなかったけど、いつから存在してた!?」
迷っていないようで実は何かしらの術に嵌められていたのではと、思い当たる節に眉根が山折り谷折り影を作る。
途中狼に吠えられながら何度か道を変更し、ようやっとこの場に立っているのだ。
「もうやだ帰りたい。めんどいだるい疲れたオイサンを返せ!」
「………………ガフゥ」
隣の狼も、疲れの滲む返事を返す。
俺たちは何をやっているのだろう。
「アイツら……大丈夫かな」
これで帰る場所まで(破壊神達による物理的な意味で)なくなっていたらと思うと胃が痛む。
腹を擦りながら、さっさと終わらせようと一歩、先の見えない穴ぐらへと足を踏み入れた瞬間。
「へ?」
「ガフ!?」
ボワリと一歩踏み込んだ地面から大きな魔法陣が浮かび上がり、洞穴周辺が光に包まれる。
そうして「やばっ」と目を見開いた直後に、何かに引っ張られる感覚と僅かな浮遊感。それは瞬きする一瞬のあいだで、次には地を踏んでいたはずの足は空をかき僅かな高さを無様に落下した。
「うぐ!」
なんとか頭からの着地は逃れたが、強かに右肩を打ち付け鈍い声が漏れる。
その隣で狼が危なげなく四肢を地につけるのを見て、面白くない気持ちに口元が引きつる。
うん、なんか腹が立つ。理不尽な八つ当たりであるが、この場にクレイドがいれば遠慮なくぶつけることも出来たのに。流石に動物相手にやれば人としてどうかと疑われるし自分でもそう思う。
「いって~。んだよ、ここ? 石畳に石壁の通路……なのに明かりの魔術具がこれだけあるなら地下、か? でも、どこ」
の、と言いかけ、一定間隔に置かれている明かりが揺らめくのを感じ、意識を集中させる。
僅かな振動を感じ、すぐ側にいた狼が背後を振り返った。
小さかった地響きは次第に大きくなり、薄暗い通路の向こうから巨大な石壁が迫って来てくるのが見えた。
「……っそだろ」
「オン!」
「ちっ! 崩れんなよ!」
言って炎の術式を、迫りくる石壁めがけて発動させる。
しかし放った術は石壁にぶつかるとあっさりと胡散し消え去った。
さらに威力を上げ何発か打ち込んでみたものの結果は同じ。コハクは驚愕に目を見開いた後、悔しそうに表情を歪めた。
「俺の攻撃術じゃどうしようも出来ない! くそ、走れ!」
隙間なく迫りくる石壁に、ぶつかればどうなるのだろうなどと考える余裕もなく踵を返し走り出す。
「うおぉおおおおおおお!!」
身体強化を発動させつつ狼は無事かと目玉だけ動かせば、自分の数倍先を行く毛皮が見えた。何だあの狼、超はえー。
とりあえずは自分の心配だけすればいいかと、後ろを確認しようと思った矢先――
「ギャンギャン!」
「は? え!? まじかよ!!!?」
先を走っていた狼が、Uターンして戻ってきた。迫りくる別の石壁とともに。
「前からもとか、どうすれば!!!?」
細い通路の前後から迫りくる石壁。
コハクはどこか抜け道はないかと通路や床を叩いてみるが望みはない。
「くそっ! 俺だけ先に、くたばってる場合じゃねーんだぞ!!」
床や側面の壁はかなり分厚く、移動してくる石壁のほうが薄いだろうと予測する。
「こうなったら、イチかバチかだ」
自分程度の術では壊せない。
それならば知識としてはあったが、フィファナやクレイドからは決して使用してはいけないと止められていた技。
身体強化の一点過剰強化。
体内エネルギーとして備蓄されている魔素を特定の箇所に集中させ、通常の強化時より数倍の威力が上乗せされる。しかしその分身体への負荷も大きく、ましてやまともな訓練を受けていないコハクは使おうと考えることすらするなと言われていた。
「誰も教えてくれなかったけど、勝手に予習しといて良かったな」
左手と軸足の二点に集中するように魔素を集める。
最初は淡く白いだけの光が赤みを帯び、狼がコハクの意図に気がついた。
「ガウガウ!」
「壁は俺が壊す。お前もその後すぐ走れ」
冷たい壁にふっ飛ばされたくなけりゃな、と視線を向けずに言い放つ。
ふつふつと熱が凝縮されていく感覚に、血管さえ破裂しなければジーウスの回復薬でなんとかなるだろうと歯を食いしばる。
努力はあまり身につかなかった。特別に魔力量が多いわけでも、肉弾戦に向いているわけでもない。
無茶な強化術に下手をすれば後遺症が残るかもしれないが、以前のコハクであれば発動させることすら出来ずに四肢が破裂していただろう。
(絶対、ルーツェのとこに戻る)
自分だって、何もしてこなかったわけではないのだ。
ギリギリのところで、それでも自身のコントロール下で唸り狂う熱に自然と口の端が上がる。
血管が浮き上がり、筋肉がはち切れそうだ。
軸足に力を溜め、その衝撃に足場が音を立てめり込む。
「ガウ!」
「!」
突然後ろに引かれ、バランスを崩す。
コハクの上着に噛みつき邪魔をしたのは鳶色の狼。
集中が途切れ、怒りとともに焦燥が滲む。このままでは壁に押しつぶされてしまう。
狼に引かれ後ろに倒れ込むも、相手はひらりとコハクを避け前に出る。なぜ止めたのかと大きく唸り声を上げている目の前の獣に、怒りをぶつけている場合ではない。
「っそ、もう一度」
立ち上がろうとし不発には終わったものの、魔力を流しすぎた反動の激痛に意識が飛びそうになった。なのに足と左手の感覚は存在せず、千切れてなくなってしまったのではと思う。
「グルルゥ」
倒れ込んだままなんとか身を捩り正面を見る。
石壁は自分たちのすぐ間際まで迫って来ていた。
(やばっ)
このままでは自分より先に、狼が壁に激突する。
とっさに目の前の立派な尾を掴もうとした時、怯むほどの青い閃光に視界を奪われる。
光の発生源は、狼がつけている青い魔石のついた首飾り。
「な……なんで」
と同時に、青の光に負けないほどの、赤い光を放つ術式が辺りを覆う。
しかし、コハクが言葉を失った原因は別にあった。
「子供があんまり無理してんじゃねーよ」
先程まで目の前にあった獣の後ろ足は、上等な革のブーツへと変貌し二本足で立っている。
コハクが言葉を発せないまま視線を上へとあげれば、今回の元凶とも言える赤茶の髪が赤と青の光に揺れているのが見えた。
「おま、人攫い野郎!」
「だから、人攫いじゃねーって言ってんだろー、」
がぁ! と青年が叫ぶと同時に赤い光が一層光を増し風が渦巻く。
青年はその風を右手に集めると、迫りくる壁に向かって大きく振りかぶった。
「こっちに来てんじゃ、ねぇーー!!」
――――ブオォォォォンン!!!!!!
竜巻のようにうねり狂った空気の塊は、激しい爆音を上げながら石壁をすり抜けた。
「「は?」」
と同時に青年の右手が石壁にめり込んだのをコハクは見た。
いや、正確に言えばめり込んだのではなく、壁を突き抜けた。
石壁はそのまま青年の身体を飲み込み、コハクを前後から挟み撃ちにすると、なんの痛みどころか感触さえ感じさせないまま行き違いになり、そのまま過ぎ去っていく。
「「・・・・・、えぇ!?」」
二人同時に奇っ怪な声を上げると、コハクの身体を温かい光が包む。
無理な強化術に傷んだ身体が修復されていくのを感じ、治癒術をかけられていること知る。
「ええ~なにきみたちぃ。幻覚あいてに、本気出しすぎでしょ~」
「「!?」」
突如真横の石壁がスライドされ、薄暗かった回廊に雪崩込んできた光に目が痛む。
「あれね~、僕が作った”仕掛けいっぱいの隠し通路”もどき。実際には森から転移術式で飛ばされた後、幻を見てただけなんだけど~、どうだったぁ? 再現度合い半端ないっしょ~」
軽やかに、それなのに淡々と紡がれる言葉に頭が追いつかない。
「・・・は?」
「あ~……くそ! だからアンタと関わるの嫌なんすよ!」
「僕、話しの通じない生き物キライなんだよねぇ~。だからペットの同伴は不可で~す」
「おれはペットじゃねぇ!!」
広く、それでいてあちこちに魔術具らしきものが見受けられる、整ったようで乱雑としている部屋。
その矛盾した感想を抱かせる部屋の中央奥、書斎机に肩肘を付き右手で魔術具を転がしながら一人の男がこちらを見ていた。
男の名はククシュル・ディ・レイス。
「てか、なんでルツェちゃんいないのー。すっげーがっかりぃ。やる気なくすぅ」
ルーツェが学院に通えるように手引をしてくれた、いけ好かない男であった。




