8話 目が覚めて
ヤニャンを探しに山に入り、獣に襲われてから二日経った。
ルーツェはあの後すぐに気を失ってしまい、自分の部屋で一度だけ目を覚ました。
しかし、疲労と緊張のせいからか体調を崩し、翌日は丸一日寝て過ごした。その間の意識は朦朧としており、殆ど記憶に残っていない。
「……寝すぎで、身体だるい」
現在は昼過ぎ。天気は晴れ。
いつもならコハクもジーウスも出掛けているはずの時間だ。
熱もすっかり収まり、ルーツェはゆっくり寝台から身を起こそうとして異変に気づく。
何かに阻まれ、上手く身体が動かせない。
(え? もしかして金縛りってやつ!)
一気に血の気が失せる気がしたが、視界に見慣れた色が映り安堵した。
「コハク……ずっとそこにいたの?」
すぐ隣を見れば、寝台に上半身だけを預けるように、突っ伏しているコハクがいた。
コハクはルーツェの右手を両手で握っており、起きていたのだろう――声をかけると握り込む手に力が増す。
「コハク?」
しかし、突っ伏したまま、返事すらしないコハクに、なんとか上体を起こし再度声をかける。右手は繋いだままだ。
「コハク、おはよう」
「……」
「あの…色々ごめんなさい」
「……」
「看病、してくれてたんだよね? ありがとう!」
何の反応もないコハクに、ルーツェの気持ちも、しぼんでいく。
何も言わない、何も返してくれない。だけど握られる右手は痛い。しばらく沈黙が続く中、遠くで風の音が聞こえた。
「ハヌ! ハヌ!」
「ニィー」
ふと、可愛らしい鳴き声がルーツェの耳に入った。辺りを見回してもそれらしき姿が見つからず、再度鳴き声に耳を傾ける。
どうやら声は寝台の下から発せられているようだ。
「ハヌン!」
「ニィー、ニィー」
「コハク。ないてる」
「…………………………あーーーー、もう!!!!」
ガタンと大きな音を立て、コハクが立ち上がる。次いで寝台の下から、円形の大きなバスケットを引っ張り出した。
バスケットの中には、柔らかな布が敷かれており、仔犬と小さな雛が一緒に入れられている。
コハクはバスケットを、やや乱暴に寝台の上へと乗せる。ルーツェの姿を確認し、二匹ともより元気に鳴き始めた。
「良かった……この子達も無事だったのね」
言いながらルーツェがバスケットへと手を伸ばす。
「……そいつら、ルーツェから離すとクソうるさい」
ボソリとつぶやくように、コハクが言う。
ようやく口を開いたコハクに、ルーツェは顔を上げるが視線は交わらなかった。再び落ちかける沈黙に、意を決して話しかける。
「……心配かけたのはごめんなさい。でも、わたしどうしても大魔術師さまを探しに行きたくて」
ルーツェは、無意識に寝台のシーツを固く掴んでいた。顔を見なくても、雰囲気でわかる。
コハクは、今までにないくらい怒っていた。
「…………なにそれ」
ようやく、コハクは正面からルーツェを見た。
一昨日、青白い顔で担ぎ込まれた妹を見て、コハクは頭が真っ白になった。
ところどころかすり傷や、青あざが出来ており、気に入りの洋服は、真っ赤な血で汚れていた。熱が出たのであろう、呼吸は荒く、額は汗でびっしょり濡れていた。
魔力なしのルーツェには、治癒術が効かない。『術が作用するための魔力が、備わってないからかな?』前に、ルーツェ自身が言った言葉だ。怪我をしても、皆のように治らないと言うのに。それを、自覚しているはずなのに!
「そんな理由でっ……! なんでそんな無茶なことばっかりするんだよ!」
ちょっとしたことでも、死に繋がる危険性が誰よりも高い……なのに、ルーツェはちっとも大人しくなんてしてくれない。
それどころか、自分から危ない場所へ飛び込んでいく。
それがなにより、コハクには恐ろしかった。
「ルーツェ一人じゃ、なにも出来ないくせに!!」
思わずだった。
勢いに任せて叩きつけられた言葉は、しんと静まり返った室内によく響いた。
コハクは、信じられない……と、自身の発した言葉に驚愕の表情を浮かべている。
そんなコハクに、ルーツェはただ静かに笑ってみせた。
「そ……なの、わたしが一番わかってる」
誰が見たってわかる、下手くそで不出来な笑みだった。
コハクはひゅっと息を呑み、言葉を探し口を開くが、何の音も出てはこない。
部屋に、気まずい沈黙が落ちた。
――――……コンコン
突然、まるで見計らったように、ノックの音が飛び込んだ。
意識をそちらに向け、ルーツェが返事を返す前に、寝室の扉が丁寧に開かれる。
「ちょうど話し声が聞こえてね、レディの部屋なのに申し訳ない」
現れたのは、水差しと湯気の立つスープを乗せたトレーを持った男。危うげなく片手でトレーを持ち、再度、もう片方の手でノックの仕草をする。
「…………え? どちらさまですか?」
見慣れない男に、ルーツェはきょとんと目を丸くする。
男はコハクより頭一つ分は大きく、体格もしっかりしている。年の頃は三十代前半ぐらいか、金髪碧眼に人当たりの良さげな甘い笑顔。
良いところの出であるのか、物腰も柔らかく、動作も洗練されており、今頃村の奥様方の間で噂になっていること間違いなしだろう。
だが、なぜそんな面識もない人物がこんなところに?
「あれ? それ聞かれるの二度目だな」
そう言って、柔らかく笑う男は軽装ではあったが、腰には立派な剣を携えていた。
「あ! 山で助けてくれた人!」
「ふふ、元気になったみたいで何よりだ。私はクレイド。改めて、はじめまして、かな」
「あわわ、すいません! あの時はありがとうございました!」
クレイドはにっこり笑ってウインクしてみせたが、ルーツェは一昨日の事を思い出しそれどころではない。助けてもらっておいて、礼すら言わず気を失い、運ばせたのだ。
ガバリと姿勢を正し、ぺこぺこと頭を下げる。
「いっ……」
一瞬右足が痛んだ。そう言えば転んで、右足を捻ったのだ。
「なに? 足?」
「大丈夫かい?」
「大丈夫です! 無理に動かしたから痛んだだけで、痛みもほとんど治まってます」
もう治りかけです! 握りこぶしを胸元でつくり、元気だと主張する。
もう一日ほど大人しくしていれば、完治するだろう。
ルーツェの言葉にコハクは安堵の表情を浮かべるが、すぐ難しい顔をして視線をそらす。
「俺……いったん寝る。じーさんは下?」
「そうした方がいいね。ジーウス様はスープを作ったら出ていかれたよ」
「え? コハク仕事は? と言うか、ジーウスさま? じっさまの知り合いなの?」
「仕事は休んだ。詳しいことは本人に聞いて」
クレイドと入れ替わるように、コハクは部屋を出ていった。
ルーツェにとってクレイドはほぼ初対面なのだが、あのコハクが一人で部屋に残すなら、信頼出来る人物なのだろう。
ちらりと横目で様子を伺えば、クレイドはどうぞとスープを差し出す。
ルーツェはスープを受け取り、そのとなりでは、仔犬が期待の眼差しで短いしっぽを振っている。雛は少し前に夢の世界に旅立っていた。
「あの、本当にありがとうございました」
「どういたしまして」
再び、頭を下げるルーツェに、クレイドは軽く手を振って応える。
その後クレイド自身について訪ねてみたところ、嫌な顔せず教えてくれた。
「ええ!? じゃあ、クレイドさんは帝都の騎士さまなんですか!」
「まあね。若い頃はよく怪我をして、ジーウス様にお世話になったんだ」
そうして驚くことに、じっさまことジーウスも、十数年前までは帝都に住んでいたと言う。
どういう経緯で知り合ったのかまでは謎だが、訓練や仕事で負った怪我の治療をよく頼んでいたらしいのだ。
「今回長期の休暇を貰ってね。昔のお礼も兼ねて観光に来たのさ」
「へー」
「ここに辿り着いて早々に、様子のおかしい君のお兄さんと遭遇してね。話を聞けば妹が行方不明だって言うから、手分けして探してたんだよ」
「うぐっ!」
あの日、仕事の手伝いを済ませ家に帰ったコハクは、ルーツェの不在に気づき辺りを探していた。
仔犬を納屋に戻しに行ったのかと思いきや、影も形も見当たらず、焦りだしたところに、ジーウスとクレイドが現れたらしい。
互いに事情を説明し、ルーツェを捜索することとなったのだが。
「まさか、正気を失った獣に襲われているとは……彼、コハクもすごく心配していたよ」
「……はい」
先程のコハクを思いだし、ルーツェはしゅんと肩を落とす。
そんなルーツェの頭を、クレイドは優しく撫でてくれた。
「詳しい事情は知らないが、むやみに自分の身を危険に晒すようなことは、感心しないな」
「はい」
「君が傷つけば、キミ以上に悲しむ人がいる。それをわかっていれば、いいと私は思うよ」
「…………」
やはり先程、部屋に入るタイミングを見計らっていたようだ。だが、話の内容までは聞こえていなかったらしい。踏み込んだ質問はせず、やんわりと諭す。
クレイドなりの気遣いに、重ね重ね迷惑をかけているなと、ルーツェは申し訳なくなる。
「ま、私も人のことは偉そうに言えないがね。歳を重ねると、どうしても口うるさくなってしまう、すまないね」
軽い口調で肩をすくめるクレイドに、ルーツェはようやく笑みをこぼす。
心配をかけているのに、わざと戯けて言うその仕草に、ルーツェはおぼろげな父の姿を思い出した。
『元気がないねお姫様。どうしたら笑ってくれるだろうか?』
小さい頃から泣き虫だったルーツェに、大げさな素振りで落ち込む父。もし両親が生きていれば、クレイドとそう変わらない年齢だっただろう。
なんだかむず痒くなり、ごまかすようにスープを飲んだ。ほどよい熱がゆっくり胃へと流れ落ち、じんわりとルーツェの身体を温めてくれた。
「あの、わたしを探しに山に入った時、どこかでヤニャンを見ませんでしたか?」
スープを飲み干し、お腹も満たされ落ち着いた頃、ルーツェは一つの気がかりを思い出した。
「ヤニャン……て、あの希少飛獣の? 確かこの付近は生息地域ではないはずだが?」
「え? そうなんですか? でも、羽根を拾って……実際ヤニャンにも遭遇したんです」
「なんだって!」
クレイドが驚いた様子でルーツェを見る。
ヤニャンは寒さに弱い生き物で、この時期は大陸の南方に渡っているらしい。また、野生のヤニャンは排他的であり、人里の近い山などには寄り付かない。
半信半疑のクレイドに、ルーツェはヤニャンの雛を見せさらに驚かせる。
「え! この白いまりもは、ヤニャンの雛だったのかい?! そう言えば座学で習った気も……」
改めて仔犬と一緒に眠る雛を、クレイドはまじまじと見つめる。
クレイドの所属する騎士団にも、ヤニャンを飛獣として飼育している者がいたが、大抵が専門の商人から買い取ったりする。なので、雛など文献でしかみたことがなかった。
目の前の白まりもが、あまりにも成鳥の姿とかけ離れているため、白フクロウの雛かなにかだと思っていたのだ。
「その親のヤニャン、怪我をしてたんです。なのにこの子をおいて、すぐどこかに飛び立ってしまって……」
「そうか……。いや、私は見てないし、昨日村に行ったけど、見かけたと言う話は聞かなかったな」
「そうですか」
自分の子供を残し、大怪我を負いながらもいなくなってしまった親鳥に、クレイドは僅かに眉をしかめる。状況から察するなら、親はもう……。
ルーツェも何となくクレイドの言いたいことは理解したのか、明るい表情で話題を変える。
「なので、わたしこの子を育てようと思うんです」
「そうだね、いいんじゃないかな」
「良かったら、名前。一緒に考えてくれませんか?」
楽しそうに告げるルーツェに、クレイドも笑みを深めて返す。
「もちろんだとも。お安いごようさ」
さて、どんな名前がいいかしら?
ふくふくと寝息をたて、眠る雛を見ていると、こちらまで眠くなってくる。
陽の光に暖められた室内は、とても過ごしやすく……
「ヤニャンの子供なんで、ジュニアとかどうでしょう」
「そのまんますぎやしないかい?」
「んー、じゃあ、二世とか! 物語の主人公みたいでかっこいい!」
「いや……二世とは限らないんじゃないかい」
「はっ! なら……あえての十世!」
「その十はどこから?」
「十ってキリがいいし、いっぱいって感じがするので!」
「そう……なの?」
正常な判断を奪うには十分だった。
うららかな昼下がりの午後。
雛の名前は” 十世 ”に決まってしまった。