27話 だいたい食い意地のせい
「つまんない……」
ぷっくぅ~と頬を膨らませ、ルーツェはガラス扉に背を預ける。
風は少し冷たいが、日差しは暖かく過ごしやすい快晴の午後。多くの女子生徒が集まり、いつになく賑やかな第一学生寮女子棟の庭。
ルーツェはそんな綺羅びやかな世界とは無縁な場所で、一人ふくれっ面で皿にこんもり盛られた料理を消費していた。
それもそのはずで、この広い庭園の中でほとんどの女生徒が一箇所に集中しているからだ。
リィリーシェ・リェ・アリューダ。アリューダ公爵家の令嬢であり、ディーグの双子の兄にあたる皇太子殿下の婚約者だ。
見目も美しく、教養もあり将来を約束されている彼女は、年頃の娘たちの憧れであり親しくなりたい相手であった。
将来を見据えた下心がある者もいれば、純粋にリィリーシェを尊敬し心酔している者もいる。そういった者たちが、普段は近寄ることすら戸惑われる雲上の存在と言葉を交わせる絶好のチャンスに、代わる代わるの人垣が出来ているのだ。
そうしてその人垣の中心に、なぜかシェリカも身を落ち着けているため、ルーツェは一人寂しく食事に勤しんでいるという訳だ。
(うぅ……流石にあそこに割り込んで行く気はしないわ)
先程から幾度となくシェリカに視線を送るも、相手は僅かに下を向いたままで、頑なにルーツェの方を見ようとすらしてくれない。
(でも、貴族さまの間では色んなお付き合いがあるってアレンさんも言ってたし、シェリカちゃんも頑張ってるのよね)
なら邪魔をしてはいけないなと、ぶすくれた気持ちを切り替え楽しむことにした。
(せっかく美味しいもの食べてるんだし、美味しい気持ちで堪能しないとね。勿体ないわ)
どうせ、この場にシェリカ以外に親しく話せる人物なんていない。
先日言葉を交わしたエクリエナの姿もあるが、彼女はリィリーシェと親しいようでシェリカと同じように人垣の中心にいる。
そもそものリィリーシェに至っては、まるでルーツェの存在など始めからないかのように一切の反応も見せなかった。
(わたし、用事があって呼ばれたわけじゃなかったのかしら?)
なんだか拍子抜けした気分で、ならばと更なる美味を求めて徘徊するべしと、もたれかかっていた背中を浮かせる。
屋内へと遠ざかっていく小さな背中に、ようやくシェリカの赤い瞳が向けられたのをルーツェは気付かなかった。
「こんなにデザートがあるなんてっ……コハクも連れてきてあげたかった」
クッキーやケーキはもちろん、一つずつ形の違うチョコレートに酸味と甘い香りの漂うパイ。その他にも見たこともないような菓子が並んでおり、たらりと涎が零れ落ちそうになり慌てて拭う。
意外と甘味好きな兄を思い返し、申し訳ない気持ち少々と押さえきれないわくわくで目を回してしまいそうだ。
「どれにしよう。でも数もいっぱいあるし、何種類か食べてもいいわよね?」
ハアハアと息を荒くする様は、怪しい以外の何者でもない。
かと言って殆どの生徒は庭に出ているので、気兼ねすること無く醜態を晒せてしまう。
「みんなお話に夢中で、誰かが食べちゃわないとデザートたちも駄目になっちゃうわ!」
ならば遠慮することなどないじゃないかと、白い皿をどんどん埋めていく。
飲み物も多種に用意されており、室内は暖かいからと冷たいフルーツジュースを選んだ。
ああ、なんという贅沢。申し訳ないほどの至福の時。
暖かな部屋で、おいしい食事を堪能し、さらにデザートまであるなんて。
「もうこんなデザート食べる機会なんてないかもだし、いっぱい食べておかないと!」
がふがふとありもしない頬袋を膨らませていく。
コハクが居れば「なにこの珍獣、意地汚い」と揶揄されるだろうがその心配もない。
「ん~。おいひい、おいひい!」
幸せの甘い味が口の中を満たし、胃へとなだれ込んでいく。
次々と消費され、様々な色で彩られた皿が、再び白さを取り戻そうとしたその時――。
「んっ! ごふっ!!」
噎せた。それはもう盛大に噎せた。
原因はほんのりビターな甘みが美味しいブラウニーケーキ。しっとりした食感の中に、歯ざわりの良いくるみの食感がアクセント。
そのくるみを噛み砕く作業を怠り、喉がやられて噎せたのだ。
「んぐ、む、っ!」
こんなところで口の中身をぶちまけるだなんて、考えたくもない。
持っていたフォークをテーブルの上になんとか置き、口元を押さえながらハンカチを探す。
何とかジュースで口の中のものを流し込み、人前での惨事はま逃れた。
「あ、危ないところだったわ」
「お姉さま!」
「へ、え?」
肩で息をしながらハンカチで口元を押さえていると、急に腕を掴まれた。
ぎゅうと力の込められたそこは痛みを訴えていたが、あまりにも悲痛な声が降ってきたことに驚きそれどころではなかった。
「あ……」
「シェリカちゃん? どうしたの?」
「…………、…………」
「シェリ」
腕を掴み、そこに立っていたのは白髪の少女。
彼女の赤の瞳は不安げに揺れ、ふいに閉ざされる。
「シェリカちゃん!」
幼い身体がぐらりと揺れ、頭から倒れ込むのを何とか抱え込み回避する。
ぐったりと投げ出された身体には一切の力は込められておらず、よくよく見れば元から白い顔色からは血の気が失せていた。
目元には化粧で誤魔化しているようだがうっすら隈が出来ており、支えた身体は想像していたよりも軽いと感じてしまった。
「大丈夫? しっかりして! 誰か、先生はいませんか? すぐ医務室にっ!」
ひたりと白い前髪をかき分け、額に手を添える。熱はないかと自身の速まる鼓動の合間に、ルーツェは思考を巡らせる。
顔色は悪いけど、熱もないし呼吸は荒くない。
目元の隈を見るに寝不足は伺えるが、医者でもない自分が判断できることではない。
「どうしました!」
奥の方から見慣れない数人の女性が現れ、駆け寄ってくる。
少し遅れて知った声も聞こえて、ルーツェはなんとか状況を説明する。
「スフィーネ先生、シェリカちゃんが……! 急に倒れて、顔色も……」
「……呼吸は安定しているし、あまり動かさず部屋に寝かせてあげましょう。その間に、そこの貴女、職員棟に行って医務室の先生を連れてきてちょうだい」
「はい」
寮のお手伝いの女性に指示を出し、スフィーネはシェリカを抱き上げる。
まさかスフィーネ自らシェリカを運ぼうとするとは思わず、外から様子を伺っていた生徒たちから驚愕の声が漏れる。
「スフィーネ様! そういったことは我々が」
「いいのよ。私は教員でこの子は大事な生徒。……これくらいさせて頂戴」
「…………」
「先生、わたしも行きます」
止めようとした給仕の女性達に、スフィーネはやんわりと断りの言葉を紡ぐ。
ただシェリカの容態が気になるルーツェは、自分が第一寮の寮生ではないことも忘れスフィーネのあとを追った。
倒れる直前にルーツェが見たシェリカの表情は、何かに怯えているように恐怖の色が色濃く出ていた。
掴まれた肩は今頃になって鈍い痛みを伝えてきたが、そうなるほどに彼女は焦っていたという証拠だ。
スフィーネが特に咎めなかったため、その姿はすぐ食堂からいなくなる。
「なんの騒ぎでしょうか、リィリーシェ様」
食堂の外の人垣に囲まれた中心部。座ってお茶を楽しんでいたリィリーシェ達からは、人垣の向こうがよく見えない。
急に後ろで立っていたシェリカが走り出したと思えば食堂内が騒がしくなり、出入り口付近の女性徒たちの様子もおかしい。
先程までシェリカの一番近くにいたエクリエナが隣を振り返れば、僅かに眉根を潜めたリィリーシェの姿が目に入った。
「……リィリーシェ様?」
再度その名を呼べば、リィリーシェはいつもどおりの美しくも上品な動作でエクリエナへと視線を寄越す。
「わたくしにもわかりませんが、なにかあったのでしょう。少し様子を見てきます」
「でしたら私が!」
反対側にいたティーサが、リィリーシェに微笑みながら立ち上がる。
リィリーシェは止めることはせず、それにただにっこり笑みで返した。
妙な空気に静まりかけていた庭園は次第に人の声が戻り、暖かな日差しが緊張を胡散させていく。
活気を取り戻し始めた庭に、少しだけ冷えた風が吹いたが気にはならなかった。




