7話 飛獣がほしい
青々と新芽が芽吹く山は、生命力にあふれている。
この数日で雪もすっかり溶け、日中は日差しも暖かだ。
しかし、まだまだ寒さの残るこの季節、ルーツェは油断しきっていた。
「さ……寒いぃ‼」
木々に遮られ、日差しは届かず冷たい風が体温を奪う。
「オイサン、おいで」
小さい体をプルプル震わせている仔犬を抱き上げ、念のためとコハクが無理やりカバンに詰めこんだショールを羽織る。
(あの時は邪魔になるから、いらないって言ってごめんなさい! ありがと、コハク!)
気持ちマシになったとは言え、それでも快適とは程遠い。下手したら風邪を引いてしまうかもしれない。
(こんな軽装でヤニャン探しなんて……もしかして無謀?)
無謀どころではない。身体が冷てきたせいか頭も冷えたようで、ルーツェはようやく己を省みる。
その辺に出掛ける程度の普段着&装備で、外出禁止令が出されているにも関わらず、仔犬をつれてレッツ登山。
(あ、やらかしてる……)
途端不安になり、回れ右をしたくなった。しかし、手に握っているオレンジ色が目の端で揺れ、ルーツェの思考能力を奪う。
(ここまで来て、諦めるの⁉︎ せっかくのチャンスなのに! ……そういえば、見つけたところでどう捕まえればいいのかしら……)
ぐるぐる廻る思考の中でも、身体は正直なのか歩みを進めていた。
(でも、ヤニャンが欲しい! そして、大魔術師さまを探すため、町に行きたい)
よし!
意を決したように小さな拳を握り、ルーツェは前を向く。
ダメ元でもやりきろう!
思いつめた少女の決意は、時に突拍子もないほうへと向かうのだった。
それなりの距離を登り、息も切れてきた。辺りはすっかり木々に囲まれ、薄暗い。時折隙間から溢れる光が、鈍りそうになる足をなんとか先へと進めてくれた。
「こっちであってるのかしら? ねえ、お前この羽根の持ち主知らない?」
気を紛らわす為、近くにいた雄鹿に話しかける。
領主によって狩りの時期や規模が制限されているので、この山には普通の動物が多く存在している。魔物の発生地域からも外れているため尚更のようだ。
――キュイ
――チチ
ふいに頭上を見上げると、数種の鳥が飛んでいくのが見えた。
「なにかしら? 色んな鳥が同じ方向に……ってわけでも無さそうね」
むしろ向かう先はバラバラ。なのに固まって行動しているように感じたのならば、同じ場所から飛び立ってきた?
「もしかして、あっちにヤニャンがいるのかも!」
ルーツェは期待し、駆け出した。飛び立つ鳥の流れに逆らい、目的地へと向かう。
逸る気持ちを抑えきれず、駆けるスピードも早くなる。先程感じていた肌寒さなど忘れ、心も身体も熱を帯びていく。
確信めいた何かが、ルーツェの背を押した。
(この先だ……)
先程いた場所からそれ程離れていない、切り立った岩壁の前。
立派な成鳥なのだろう、ルーツェなら三人くらい優に運べそうな大きな魔鳥がいた。
こぼれ落ちる陽の光を受け、地に伏した朱金の太陽。ルーツェの握る一本の羽根ですら、黄から朱へとみごとなグラデーションを落とし込んでいる。なのに、その一本一本すら計算されていたかのように、投げ出された大きな翼は優美だった。
「………………お日様が、落ちちゃった」
唐突にルーツェは不安になった。この生き物は地を這う生き物ではない。
岩肌や木の根が露出した大地ではなく、広くどこまでも青い空が似合う。長いまつげは伏せられ、陽の光を反射している。
思わず手を伸ばそうとしたルーツェだったが、ヤニャンがゆっくり身を起こし、鋭い眼光で射抜かれた途端、身動きが取れなくなった。
――ケッ! ケッ! ケッ!
低い音で発せられる声は、まるで近寄るなと言われているようだ。
ルーツェにはわからないが、ヤニャンは魔鳥。足元で震えている仔犬から察するに、魔力で威圧をしてきているのだろう。
「ご……ごめんなさい。あなたにお願いしたいことがあってきたんだけど……」
さすがに、これはまずい。勝手が過ぎた。
地に伏して尚、気高さを感じさせる魔鳥に、ルーツェは謝罪の言葉を口にしていた。
自然と下る視界に、ふとルーツェは嫌な赤を見た。意識してようやく、鉄臭い匂いが鼻につく。――血だ。
翼とは対象的に、ヤニャンの胸毛は真っ白なのだが、その三分の一程が、滴る鮮血に汚れている。
「怪我してるの!」
――ケェッー!
近寄ろうとするルーツェを、ヤニャンは激しく拒む。威嚇の声を上げたせいか、新たに血が吹き出す。
目を凝らしてみれば、折れた矢じりが突き刺さっていた。鈍く光っているところを見ると、魔術具の一種だろう。蔦が這うような不思議な文様が、うっすら浮かび上がっている。
「怪我、えと……それ抜いてあげる! 大したことは出来ないけど、薬もあるよ!」
ルーツェはその場にしゃがみ込むと、持っていたカバンを広げ、簡易救急セットと数種の薬を取り出した。いつも持ち歩いている困った時用セットだ。
「手当させて! 酷いことはしないから! このままじゃ……」
身振り手振り、必死に自分は無害だとアピールするも、ヤニャンは一向に警戒を解かない。だが、それも仕方のないことだ。
矢がささっているということは、人間がつけた傷で間違いないだろう。
ルーツェが近くにいる限り、ヤニャンは警戒を解けない。そうしている間にも、強ばる身体からは血が滴り落ちる。
(わたしがいないほうが、いい)
ルーツェはそう判断し、来た道を引き返すことにした。おそらく、背を向けたところで、気高い魔鳥は襲ってこない。
「休憩の邪魔してごめんなさい」
ルーツェは深く頭を下げると、急いで山を下りることにした。
(もし、じっさまが帰って来てたら、一緒に来てもらおう! いなくても、回復薬とか……!)
未だ震えている仔犬を抱き上げ、走り出そうとした時。
――ニィー
っぺい! ころころ……
「へ?」
突然ヤニャンが伏せたまま、器用にくちばしだけを使い何かを放り投げてきた。
勢いはなかったので、投げられたと言うより地面を転がってきた、という感じなのだが――
「なにこれ? 白い毛玉?」
「ニィー」
全身真っ白の羽毛で包まれ、尾の先っちょだけほんのり黄色の、まん丸い何か。
「……もしかして、ヤニャンの雛?」
雛と思われる毛玉は、ルーツェの両手に収まるくらい小さい。
産まれて間もないのか、個体差か。細い糸目は開いているのかわからなかった。
「え? これ、赤ちゃん! 転がってきちゃ……」
――――――バサッ
雛に驚いていたルーツェは、何かが羽ばたく音と、自身の頬に落ちてきた生暖かい感触に空を見上げる。
「――! 駄目! 飛ばないで!」
先程まで地面に伏していた太陽は姿を消し、今、ルーツェの頭上には白と滴る赤が広がっている。
「駄目よ、ダメ! 傷口がっ……すぐお薬持ってくるから!」
ボタリ、ボタリと、ルーツェの頬に伝ったのと同じ赤が大地を染める。
ヤニャンはまるでルーツェの存在など認識していないかのように、そのまま飛び去ってしまった。
「待って! まっ……赤ちゃん! 赤ちゃんも呼んでるってば!」
「ニィーニィー」
(そうだ! この血の跡を追いかければっ!)
地面の鮮血から顔を上げ、血痕の跡を追いかけようとした。
そうしてルーツェは気づく。
先程までは目の前のヤニャンにしか意識がいっていなかったが、木々の向こう側は、人が登るにはとうてい不可能な岩壁が連なっていた。
「そんな……」
力なくその場にへたり込み、放心したように空を見上げる。
広がっているはずの青は絶壁に遮られ、太陽を見つけることは出来なかった。
「ハヌ、ハヌ」
「ニィニィ」
しばらく座り込んでいたルーツェの手を、仔犬が舐める。
ヤニャンの雛は寒いのか、仔犬とルーツェの手の間に挟まろうと、必死に身をねじ込んでいる。
なんとなく好きにさせていたルーツェだったが、ルーツェの手に近づきたいけど雛が邪魔で近づけない仔犬。暖かいけど、苦しいなぁ……という感じの雛。
お互い己の望みが叶わない原因がわからず、不思議そうな顔をしている。
「ふふ、こっちにおいで」
ルーツェは羽織っていたショールに仔犬と雛を包み、潰れないようカバンへといれた。
「少し歩くから寝てていいよ。帰ったらごはんにしよう」
にっこり笑って立ち上がる。
「ねえ、きみは何を食べるの? 帰って調べなきゃね」
雛の頭を指先で触れるように掻いてやる。
そうだ、名前も考えなきゃとルーツェは歩き出す。
思ったより時間がかかってしまった。急がないと暗くなる前に戻れなくなる。コハクへの言い訳も考えないといけないのに、今はそんな気分になれなかった。
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「あれ? そう言えば、ここはどこだろう?」
山を下りはじめ、見慣れない斜面を前に、ルーツェはゆっくり状況を理解し始めた。
よく薬草を採取しに山に入るが、大抵見知った場所にしか行かない。その上、常ならコハクがついてくるので、探検もあまりしたことがなかった。
「ヤニャンを探すのに必死だったから……、道大丈夫かな」
遠くによく目印に使う大木が見えるので、何となくの方角はわかる。
「ま、そのうち知ってる場所にでるか……」
――な、と小さな段差を踏み外した。
草に隠れて見えなかったようで、そのままバランスを崩す。
「わ、ちょっ……止まれな、きゃああああ!」
転びはしなかった。だが、勢いに飲まれた身体と、それを助長するかのような斜面に、足が言うことを聞いてくれない。
ありえないスピードで斜面を滑りおり、盛り上がっている木の根を華麗に飛び越え、迫り来る枝葉をよけつつもカバンを抱きかかえながら走る。
「きゃん!」
が、最後は緩やかなカーブを描く斜面に、多少減速出来たものの……見事に、すっ転んだ。
「いたたたた……」
幸い柔らかい草地だったため(まあ、そのせいで足が滑ったのもあるが)、大した怪我はない。
むしろ普段から転び慣れているルーツェは、受け身だけは得意だった。
「お前たち、大丈夫!?」
あちこち泥だらけだが、それどころではない。慌ててカバンの中を確認すると、仔犬と雛は寄り添うように眠っていた。何この子ら図太い。
「はあ~……大丈夫そうね。良かったぁ」
安堵の息をもらし、胸を撫で下ろす。
気をつけてはいたが、無意識に押しつぶしでもしたら……。トラウマ確定だ。
「……もっと慎重に下ろう」
ルーツェが葉っぱを払い落としながら立ち上がる。心臓はバクバク言っているが、身体はなんともない。なら問題なし!
「あれ?」
風の流れを感じ、何気なしに振り向くと、小さな洞穴があった。
どうやらその洞穴の上から飛び落ちたようだ。
洞穴の入り口は大人一人が屈んで通れるくらいで、意外と深そうだ。中は真っ暗で何も見えないが、風の通る音が遠くまで響いている。
「なんの穴かしら? 地面が踏み固められてるけど……なにか住み着いてるの?」
恐る恐る中を覗くも、風の音以外何も聞こえない。
中に潜むのが、獣にしても人間だとしてもどのみち怖い!
(なんか不気味……誰かに報せたほうがいいのかな?)
一度想像してしまうと、もう何か住んでいるようにしか思えない。だけど、進んで確認する勇気なんてない。
生き物なら百歩譲って構わない。しかし、幽霊などが出てきたらどうするのだ。そんなの困る。近くの山に、幽霊が住み着いているなんて! 夜一人で用をたしに行けなくなるではないか!
(無理無理無理無理! 今度コハクに行ってもらおう! 一人で)
虫も、魔獣も、コハクの雷も。ルーツェは大抵のことは平気だが、お化けだとか幽霊だとかの類だけはダメだった。奴らとは相容れられない。見たことないけど。
「よし。とにかく帰、ろ……」
くるりと踵を返し、何者かと目が合った。
ルーツェより、だいぶ低い位置にある一対の赤い瞳。
――ブフウゥゥウウウウ
「ノコシシブタ? ……でも、様子が変?」
ノコシシブタは臆病で争いは好まず、木の実やら虫を食べる動物だ。数匹で小規模の群れを形成し行動するのだが、逸れたのだろうか?
人前に姿を表わすのことは、滅多にしない動物なのだ。
なのに、牙をむき出し、涎をこぼしながらルーツェを睨みつけている。その目が、なんというか、尋常ではない。
血走り、焦点が定まって無いように見えるのに、確実にルーツェを捕らえているというのは分かる。
「………………、せい!」
――――――ボフン!
ルーツェはスカートのポッケに忍ばせていた薬袋を取り出し投げつけた。
動物が嫌がる匂いの草を粉末にして混ぜ込んでおり、大抵の動物はこれで撃退出来るのだが。
「ブモォォオオォォオ!!!!」
「やっぱり駄目かー!」
嫌な予感がし、袋を投げつけると同時に逃げ出した。
ノコシシブタは一瞬ひるんだが、粉煙が落ち着くと同時に怒りの咆哮をあげ、ルーツェへと突っ込んでくる。
「いやー! どうしようどうしようどうしよう!」
ルーツェの足では、獣にすぐ追いつかれてしまう。かと言って、ノコシシブタは鋭い爪を持っており、木を駆け上ることも出来る俊敏なブタなのだ。
「やだやだやだー、コハクー!!!!!!! きゃあっ……」
剥き出しの木の根に足を取られ、倒れ込む。
「……つぅ、足が」
ズキンと痛む右足に、ルーツェは苦痛の表情を浮かべる。
さすがに今の衝撃には目を覚ましたのか、カバンからくぐもった鳴き声が聞こえ顔をしかめる。
(この子達だけでも逃さないと!)
足を捻ったのだろう。力を込めると走る激痛に、逆にルーツェの頭は冷静になった。
おそらくだが、ノコシシブタは目が悪いか、色彩感覚がない。先程から認識していない、動かないものに対しての意識は低いように感じられる。
ルーツェは、カバンをそっと木の根元におろし、反対側へと身を翻した。
「来るなら、来なさいよ! か、返り討ちにしてやるんだからね!」
なんとか木の枝を拾うと、獣に向かって投げつける。
さほど重さのない枝はもちろん獣まで届くはずもなく、かわりに標的の居場所を明確にした。
ルーツェはガタガタと震える両手を叱咤し、石を握る。それと同時に獣が地を蹴り、ルーツェへと迫りくる。
「ブルゥァァッァァァ!!!!」
しかし、ルーツェは石を握りしめた手を振り上げたまま、ぎゅうっと目を瞑る。
怖くて、怖くて、顔さえ上げていられない。
――『泣くな! ちゃんと見ろ!』
いつだったか、両親を亡くしコハクと山を越えた時。
泣いてぐずるルーツェの手を、コハクは最後まで引いてくれた。
ルーツェは、ハッと目を見開き、まっすぐ獣に向かって石を投げつけた。石は見事命中し、鈍い音をたて獣の片目を潰す。
「やった!」
しかし、獣は痛覚がないのか、怯むことなく向かってくる。
「! …………そんな」
奥で、仔犬と雛がカバンから抜け出そうとしているのが見えた。
もう何も考えられないルーツェに、獣があと数歩の距離まで迫った。
「伏せろ!」
まるで時が止まったかのように、時間の流れがゆっくりとルーツェには感じられた。
その流れを切り裂くような、鋭い声に……ルーツェは瞬時に上体を前に倒し頭抱える。
「ガァァァァ」
獣の叫び声と、次いで、どさりと重いものが倒れ伏す音がした。
今度は目を閉じなかった。しかし、顔を上げる事もできず、地面へと向けられたルーツェの視界に、次第に赤い液体が流れ込んできた。
「大丈夫かい? 怪我は?」
駆け寄る足音、すぐに震える肩を大きな手が支えてくれた。
ルーツェの膝下には、いつの間にか抜け出した仔犬と雛がまとわり付いていた。
ゆっくり視線を上げると、獣の亡骸が転がっているのが見える。眉間には上等な剣が突き刺さっており、流れ出る赤は、じわりじわりとルーツェの洋服を汚していく。
「……手を貸そう。場所を移したほうが良さそうだ」
ぼんやりとした思考の中で、優しく、だがしっかりとした力で腕をひかれる。
右足を庇うルーツェに「ああ、足を痛めていたのか」声の主は納得したようにつぶやいた。
「ふむ、悪いが少し失礼させてもらうよ」
言うが早いか、ルーツェの身体が宙に浮く。所謂、お姫様抱っこをされたのだ。
視界から獣の死骸が外され、ルーツェもようやく落ち着いてきたのか、抱き上げられ初めて自分以外の存在を認識する。
(そうだ……わたし、この人に助けてもらって……)
そうして相手の顔を確認し、ルーツェは口を開いた。
「……どちら様ですか?」