16話 大切なもの
空が朱から黒に塗り替えられいく。
そろそろ片付けを始めねばと言うイルの横で、ルーツェがしょんぼりとカウンター横の机に突っ伏していた。
「ルーツェさん大丈夫ですか? その、あまり落ち込まずに……」
「うぅ……まさか、あそこまであからさまに避けられるなんて……。わたし嫌われているんでしょうか・・・」
さめざめといじけるルーツェに、気の毒そうにイルの笑みもひきつる。
それもこれも、アレンがいなくなった事をこれ幸いにとシェリカに声をかけようとしたのだが――。
話をしようと向き直れば顔を背けられ、めげずに声をかけてもまともな返事なぞ返ってこない。せめて図書棟内を見回ろうと誘ったが、これでもかと首を横に振って逃げられてしまった。
「お話しするどころか、一緒にいるのも嫌ってことじゃないですかぁ~。つらい~」
咽び泣くルーツェに、イルは苦笑を浮かべながらも返却された本の整理を進めていく。
たまに背表紙に貼ってあるラベルが淡い光を放っていた。
それをなんとなしに見つめていたルーツェは、ぐずっていた目元を拭ってイルへと近寄っていく。
「わたしもお手伝いします」
そもそも、そのために来たのだと思い出し、申し訳無さげにカウンターに積まれた本を手に取る。
「ありがとうございます。ですが、ハンゲルももうすぐ戻ってくると思いますし大丈夫ですよ。それより中を見て回ってみてはいかがですか? どこにどの様な本があるのか知ることだって、立派なお仕事ですから」
小さいのにしっかりしている子だなぁとイルを見る。
「そう言えばハンゲルさんは今どちらに?」
「上階の戸締まりを行っています。上階は保管庫にもなっていますので、チェックも兼ねて少し時間がかかっているようですね」
吹き抜けを見上げれば三階分のスペースにびっしり並ぶ書籍の山。
しかし棟の高さの割には低いなと思っていたのだが、なるほど。上の階は保管として使用し、公開されていないようだ。
ルーツェはイルに礼を述べると、せめて大まかな配置くらいは確認しておこうと散策を始めた。
歴史、地理、術式書、自然学……一階には主に授業で取り扱う種類が多かった。
沈んでいた気持ちも、所狭しと並ぶ本に少しだけ浮上する。外で遊ぶのも好きだが、本を読んで知識を得るのも違った意味で楽しかった。
(そう言えば、昔の家にもいっぱい本があったな)
治癒術学の書棚を見つけ立ち止まる。
一冊の本を抜き取りパラパラと捲ってみたが、目新しいことは書いていなかった。
ルーツェは本を棚に戻すと、棚ごとに割り振られた番号と文字を眺めながら奥へと進んでいく。
すると弱々しい小さな悲鳴が聞こえた。
「や、やめて……」
奥まった薄暗いスペースへ顔を覗かせると、三人の女生徒と向かい合っているシェリカがいた。
「か、かえ……し」
「え? 聞こえませんでしたが、なにか言いました?」
「獣が鳴いたのかしら。気持ち悪い」
クスクスと笑い合う女生徒たち。そのうちの一人の手には昼間、基礎魔術実学でシェリカが手にしていたロッドが握られていた。
「それはお祖父さまから頂いた、大切な……」
「うるさいわね。この化け物飼い! 触らないでちょうだい!!」
「!」
女生徒が持っていたロッドでシェリカを振り払うと、鈍い音と共に小さな身体が倒れ込む。
頬を殴られたようで、ぽたりと紅い雫がシェリカの白い肌を伝い落ちた。
「何てことするのあなた達!!」
「っな、誰よ!」
知り合いなのだろうかとのんきに見ている場合ではなかった。ルーツェは急いでシェリカの元へとかけより助け起こそうとした。
しかし、ルーツェの手が震える小さな肩に触れる前に、シェリカにその手を払い除けられる。
拒絶されるとは思っていなかったためぽかんと固まってしまうと、シェリカ自身も驚き身を震わせた。包帯に隠れていない方の左目が見開かれ、真紅の宝石は僅かに揺らいだ。
「へ? あざ……?」
シェリカの白くなめらかな頬は、打たれ赤く腫れていた。
そちらとは反対の――包帯に隠された右目の辺りから、じわりと滲むようなどす黒いあざがにじみ出ている。
シェリカは隠すように右目を抑えると、ルーツェたちを避けるようにその場を走り去った。
「待っ」
「止めておいたほうがいいですよ。貴方も呪われるかもしれないわ」
「そうよ。あれだけ来るなと申したのに、迷惑な人」
「どういう、ことですか? 来るなって……」
追いかけようとし引き止められる。
ルーツェの意識は視界に入った女子生徒の持つロッドに引きつけられ、彼女たちへと向き直る。
女生徒たちはルーツェを値踏みするような目で見たが、真新しいルーツェの制服を見て新学期ごとに制服を慎重する家柄だと勘違いをした。
まるで新しい仲間を招待するかのように嬉しそうに笑うと、楽しそうに口元を釣り上げた。
「貴女だって噂ぐらいは聞いたことあるんじゃなくって? 化け物飼いのシェリカの話」
「いいえ、知らないわ」
「あら、そうなの」
なら教えてあげると声をはずませる様に、ルーツェの中で何かがぐらぐらと煮え立つ。
「あの子はね」
「噂なんてどうでもいいし、知るつもりもないから結構よ! それより、あの子から盗ったものを返してよ!」
ルーツェは言うだけ言うと、ロッドを持った女生徒に飛びついた。
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――初代クロスフォルドは世界最強の呪術者だった。
文献ですら曖昧にしか残されていない話であるが、シェリカの家には多くの呪術式が保管されていた。
『シェリカ。お祖父様の書斎には決して入ってはいけませんよ。アレンもシェリカのこと見ててあげてね』
それはシェリカの五歳の誕生日のことだった。
家族内の小さなパーティーが行われ、食卓にはシェリカの好物が所狭しと並んだ。
シェリカ自身にその時の記憶は殆どないが、自分はいいつけを破り罰を受けたのだと言うことだけは覚えていた。
その日はパティーの準備に追われ、屋敷はいつもと様子が違っていた。
厳格な祖父と真面目ながらも優しい父は、帰りが遅れたため不在だった。
『あら? お祖父さまのお部屋の扉が開いているわ。閉じておかないといけないのに』
当時シェリカは中に入る気など一切なく、純粋に開いているドアを閉めようとしただけだった。
しかし開いた隙間から見えた書斎の奥には、更に別の扉がありそちらの扉もまた薄く開いていた。
その時シェリカは、なぜかあちらの扉も閉めなければという強い気持ちに駆られ、普段近寄ることさえ許されない祖父の書斎へと足を進める。
そしてそこからの記憶はなく、気づけば自室のベットに寝ていた。ベット脇にいる母は泣き崩れ、いつも優しい兄と父の瞳は絶望に濡れていた。
祖父の姿はなく、ただ、顔の右半分。右目の辺りが焼けただれたように熱く痛かった。
『お母さま、お父さま……?』
シェリカが目覚めたことに気づいていなかった両親は、その細い声に弾かれたように顔を上げる。
なんとか起き上がろうとシェリカが身を捩ったとき、右目に巻かれていた包帯が緩み落ちた。そしてガラス窓に映った醜い化け物に驚き、悲鳴を上げてしまった。
『きゃああぁぁぁぁ!』
『シェリカ! 落ち着いて!』
『大丈夫だシェリカ! 傷口から手を離しなさい!』
大好きな両親の腕を振り払おうとする小さな化け物。
黒く艷やかな髪は白くなりはて、熟れたリンゴのようだった美しい赤の片方は黒くよどみ腐り落ちた色へと変化している。
まん丸でつぶらな瞳は眼球が盛り上がり今にも崩れ落ちてしまいそうで、白い肌はどす黒いあざに侵食されていた。
そうして窓に映し出された化け物が、自分自身だと気づくのに時間はかからなかった。
『いやあ! いやぁぁぁ!!』
『落ち着いて、大丈夫だから! きっとお祖父様がなんとかしてくださる……だからっ!』
そう言った父に抱きしめられ、母はひたすら泣いていた。
そうしてシェリカが取り乱し、散々騒いだ後幼い身体は再び眠りについた。
次に目覚めた時には右目を覆い隠すように先ほどとは違う、内側に術式の施された包帯が巻かれ痛みも熱も引いていた。
『お祖父様が用意してくださったのよ。この包帯とロッドを持っていたら、シェリカの痛いのを抑えてくれるんですって』
『お母さま……』
『なあに?』
『痛いのも怖いのも治らないの?』
『っ! ……ぅ、ごめんなさ、ごめんねぇ』
シェリカの母は泣きながら我が子を抱きしめた。それが答えなのだと、幼いながらにシェリカも理解した。
自身の傷は治らない。
後から母に聞いた話によれば、あの日シェリカは祖父の書斎で倒れており、発見された時にはあの状態であった。
近くに祖父が仕事で解呪を依頼された呪具が転がっていたことから、誤って発動させてしまったのだろうと。
そしてそれから半年後、祖父の訃報が告げられた。
仕事が忙しく、祖父の書斎に入ってしまったあの日からシェリカは祖父には一度も会えないままだった。
『私のせいだ……私のせいでお祖父さまがっ……!』
真っ赤な魔石のついたロッドを握りしめベットに潜り込んで泣いた。
祖父からもらったロッドを持っている時は、いつだって祖父の暖かさを思い出せた。
まるでそこに本当に祖父が居てくれるかのような、そんな心地がしたのだ。
『お祖父さま……お祖父さま……私のせいで、ごめんなさい』
シーツにくるまりくぐもった自分の声だけが、泣きじゃくるシェリカの耳に力なく届いた。




