6話 ハゲは治せる
昨夜、ルーツェは散々に叱られた。
あれほど離れるな、迷子になるぞと言われていたのに、迷子になった。
挙げ句「大魔術師さまがいた!」と訳のわからないことを言い、外壁から落ちたと言うのだ。
『なんなの? バカなの? 死んじゃうところだったんでしょ? いいかげんにしろ!』
渾身の力で怒鳴りつけるコハクだったが、全力で探していたのであろう。彼の服は土で汚れ、どこでつけたのか葉っぱまみれだ。頬には枝葉で切ったような傷も多数見受けられた。
コハクも、多少の傷を癒やす程度の治癒術なら使えるのだが、どうやら治癒を行う余裕もなかったようだ。
『ご、めんなさい……』
そんなコハクの姿に、ルーツェも素直に謝った。約束を破ったのだから当然といえば当然だが。
帰りの時間も迫っており、お互いそれ以上言葉を重ねる事なく帰路についた。荷馬車の中では互い終始無言で、あのコハクが寝るでもなく、静かに座っていることがルーツェには恐ろしかった。
(……これは、そうとう、お怒りでいらっしゃる)
ルーツェの背に、冷たい汗が伝う。
そうしてる間に陽も落ちきり、家に帰り着くころには辺りも真っ暗になっていた。が、そこから本気のお説教モードが始まった。
ルーツェがいかに迂闊で考えなしなのか、から始まり、世の中の危険性や、いつの間にか『今は平和な時代だからいいけど、昔は――……』と、時代を超えて語りだした時にはルーツェのしおらしい心も消え果てていた。
(帝国が出来る前の話とか、関係なくない!?)
もはやルーツェの頭の中には、話が戦争時代まで飛躍してしまっている兄を、どう鎮めるべきか……その事でいっぱいだった。そして、考えている内に寝落ちしてしまったのだ。
それが昨日の出来事。朝になり、ルーツェは珍しく寝過ごしてしまい、コハクが出かけるまでに起きれなかった。そしてテーブルの上に、残された書き置きを見つけ、背筋を凍らせた。
――ヒトリ ガイシュツ ユルサナイ
「怖っ! なんで片言なの!?」
今日一日は、大人しくしておこう。《大魔術師さま捕獲作戦》も練らなければいけないし。帰ってくる頃には、コハクも落ち着いているはずだ。そうであってほしい!
「とりあえずは、オイサンと私のご飯よね」
納屋で待っているであろう仔犬を思い浮かべ、ルーツェは固パンを片手に、鍋を取るのであった。
********************
「さて、掃除も終わったし、午後からどうしようかしら? じっさまもいないから、診療所を開けてる必要もないし……」
放浪癖のあるジーウスのせいで、まともに営業していることが少ない診療所。ルーツェは診察室の奥にある調合室にいた。
今はじっさまもコハクもいないので、仔犬を部屋につれてきている。最初は室内の薬草に興味津津だった仔犬も、昼下がりの暖かな日差しに負け、窓辺で船を漕いでいた。
調合室のさらに奥には、ジーウス専用の隠し部屋があり、回復薬やその原料となる希少な材料を保管している。もちろん、ルーツェとコハクは出入り禁止だ。
(カルダにあげるアロマ香も、下準備にまだ日がかかるし……薬のストックもあるから本当にやることがないわ)
ルーツェは日当たりの良い窓辺に置いてある、一つのビンに目を向けた。
乾燥したルイルの花とジュラの花から採れた油を入れ、日光に当て三日置いておく。そのあと、ろ過し異物を取り除けば、そのまま楽しむのもよし、少量を身体に塗り込むもよし。簡単、なのにリラックス効果抜群のアロマ香の完成である。
(ふふ、喜んでもらえるといいな)
ビンの横には、昨日カルダから貰った魔石片が入ったガラスの置物を設置した。今は魔力を発するものがないので、魔石片は底に沈んでいる。しかし陽の光を反射し、ガラスの中の液体が魔石の色を映し揺らめいている。
(キレイだな)
ニコニコと置物を眺めていると、ふいに中の魔石片が光を放ち浮かび上がる。
「え?」
「お、そいつが貰ってきた仔犬か?」
「じっさま!」
いつのまにか、ジーウスが帰っていたようだ。
「もう! お仕事放り出してどこに行ってたの!」
「ちょっと散歩じゃよ」
ジーウスはなにか包みを抱えており、どさりと調合机へと置いた。ルーツェはなにかと包みに手を伸ばそうとしたが、あることを思い出した。
「そうだ、オイサン!」
「は? ワシはじーさんじゃが?」
先程まで窓辺でうたた寝をしていた仔犬は、薬棚のスキマに鼻先だけ突っ込み震えている。隠れているつもりらしい。
「じっさま、魔力抑えて! オイサンが怖がってる!」
「魔力なんて……あ、これか!」
ジーウスは慌てて包み紙を奥の隠し部屋へと仕舞う。すると置物は揺らめくのを止め、仔犬が不思議そうに辺りを見回している。
「すまんすまん。回復薬用の魔結晶を持って帰ってきたんじゃった」
「じゃあ、さっきの魔力は、あの包み紙の中身のせい?」
「そうじゃ。あれを勝ち取るのにだいぶ苦労……あ!」
「賭け事の商品なの! 大丈夫なのそれ!」
思わず言ってしまったという顔をするジーウスを、ルーツェは半目で睨みつける。
診療所で使う大切な薬を、賭け事の景品でつくるつもりなんて……我が祖父ながら、なんて人だとルーツェは開いた口が塞がらなかった。
「そ、そんなことより、ワシもワンコが見たいのう。ほれ? どこかいな……」
そそくさとルーツェの視線から逃れるジーウスに、足元に戻ってきた仔犬を抱えて見せる。
魔力を帯びるものがなくなったので、仔犬も平常に戻っていた。
「なんじゃこのワンコ? お腹にハゲができとるな」
「オイサンって言うのよ。ストレスのせいじゃないかって」
「ほうほう……」
ジーウスがまじまじと仔犬の腹にある、ハゲの部分を見つめる。最近、字が読みにくくなってきたとぼやいていたのだが、それにしても熱心に見てくる。
「かわいそうにのう……ハゲは嫌じゃのう」
「じっさまはまだ生えてるほうだと思うよ」
「失敬な! ワシは、全然生えとるわい! ふさふさじゃ!」
拳を突き上げ怒りを表すジーウスに、ルーツェは「あんまり怒ると身体に悪いよ?」と、どこ吹く風だ。
「ふん! 何じゃい何じゃい! せーかくワシがそのハゲ治してやろうかと思ったのにー」
「え! ハゲって治せるの! はっ! じゃあ、じっさまも!」
「ワシは違うと言うとろーが!」
遠慮ない物言いに不貞腐れながらも、よっこいしょとルーツェの傍にイスを寄せ腰掛ける。
「ねえ、じっさま。はやくこのハゲ治してあげて」
「うむ、良かろう。では……」
下からおねだりの視線を向けてくる孫娘に、ジーウスも満更でもない様子で応える。
「ルーツェ、右手でワンコのハゲを隠しなさい」
「わたしが? え、こう?」
真剣な表情で告げるジーウスに、ルーツェは言われたまま仔犬のハゲを、右手で覆う。産毛すら生えていないつるりとした感触に、自然と表情が曇る。
「そして強く念じながら、ワシの言う呪文を真似して言いなさい」
「わかった!」
「イタイノ イタイノ トンデケー!」
「痛いの痛いの飛んでけー!!!! って、え? 呪文?」
「ルーツェ、右手をどかせ……そりゃ!」
ルーツェは言われた通りの言葉を、一生懸命唱えた。その直後、ジーウスが右手をかざし、術を発動させる。浮かび上がった魔法陣から察するに、それはルーツェが診療所でよく目にする通常の治癒術だ。
陣は淡く光を放ち、ゆっくりと消えていった。
「ほい、治療完了じゃ」
「治療完了……って、普通に治癒術かけただけじゃない! 呪文の意味は?!」
「ノリは大事じゃ」
「なにそれ! ひどい!!」
ぷっぷこ怒るルーツェに、ジーウスは至極満足そうに笑みを浮かべる。
「良かったのう、ワンコ。ワシとルーツェで一生懸命、治療してやったぞ。感謝せい」
「ハヌ!」
「…………もう」
わたしはなにもしてないよ……と、小さく漏らすルーツェの頭を、ジーウスは皺だらけの、だけど大きな手で優しく撫でる。
ルーツェはしばらく、されるがまま大人しくしていた。
仔犬の腹を撫でると、さっきまであったハゲがすっかりなくなっていた。
「でも、お腹の部分だったからかな? あんまり手触り変わんないね」
「せいぜい産毛が生えたくらいじゃからの」
「じっさま、ありがとう!」
嬉しそうに笑う孫に、ジーウスも自然と笑んでいた。
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昼食も済ませ、天気も良いのでルーツェは仔犬と一緒に納屋に向かっていた。
あの後ジーウスは――
『ちょっくら荷物を置きにきただけでな、午後からもう一番あるんじゃ!』
いい笑顔でそう言うと、ルーツェが止める間もなく、いそいそと診療所を出ていった。
「これだから、じっさまは! こんなに不在にするならオイサンだって家で飼えるじゃない!」
また治療医師不在の診療所は、開店することなく一日を終えるだろう。「隠し部屋に入りさえしなければ大丈夫かな?」そうつぶやきながらも、もうしばらく様子を見たほうが良いかも知れない。
ストレスをかけて、ハゲが再発でもしたらかわいそうだ。
「お花畑まで行きたいの?」
「ハヌ!」
納屋から少し奥へと進んだところに、小さな黄色い花が咲く場所がある。どうやら虫がたくさんいるらしく、仔犬にとってお気に入りの場所らしい。
流石に山に入るとコハクに怒られるが、納屋周辺は大丈夫だろう。なにより、仔犬のためだ、しょうがない。
診療所の近くには、ルーツェが育てている薬草園もあるので、まだ待てをマスターしていない仔犬を遊ばせるのはリスクが高かった。
「うーん、何とかコハクを出し抜いて、町に行かないと……」
仔犬が蝶に弄ばれているのを眺めながら、近くの岩に腰をおろす。
(昨日助けてくれた人……相当魔力が強いみたいだし、大魔術師さまの可能性が高いのに! ううん、きっと大魔術師さなに違いないわ!!)
例えその人物が大魔術師でなかったとしても、もう一度会ってみたかった。会ってちゃんとお礼がしたかった。
大きな飛獣を連れた、命の恩人に。
「でも、わたしに出来ることなんて、なんにもないか」
ルーツェは誰もいないのを良いことに、両手足を投げ出し岩の上に反り返る。岩肌のゴツイ感触が背中をじんわりと刺激し、少しだけ痛い。
「そりゃ、じっさまみたいに回復薬とか作れたら、お礼にもなるかも知れないけど」
じっさま程なんて贅沢は言わない。コハクだって、一般的に比べたら魔力は高いほうだが、それも高望みだ。
「せめて人並みの魔力があれば……」
太陽の日差しが眩しくて、両手をかざして光を遮った。
自然と大きなため息が漏れる。やめよう。無い物ねだりほど、虚しいものはない。
起き上がろうとルーツェが両手を降ろした時、視界の片隅をオレンジ色が横切った。
ふわりふわりと漂うように浮いている、いや、落ちてくる物体。
「あれは……鳥の羽根?」
目を凝らして見れば、一本の大きな羽根だった。
「すごいキレイな色。まるで夕焼けみたいな…………え!」
羽根はそのままルーツェの傍まで落ちてきた。が、ルーツェは急いで身体を起こすと、その羽根を拾い上げる。
朱金に輝くその羽根は、大きくルーツェの肘から指先まであった。羽根でそれほどの長さがあるなら、本体の鳥はどれほどの大きさになるのか。
「ヤニャンだ……」
ルーツェは小刻みに震えながら、羽根を握りしめる。
その羽根は、昔読んだ書物に出てきた鳥の特徴と酷似していた。
「幻の飛獣、ヤニャンの羽根だ!」
ヤニャン――魔鳥の一種で、雛の時は可愛らしく、真白い羽毛に包まれている。成鳥になると真白い羽根は抜け落ち、かわりに朱金の……まるで夕日のような羽根に生え変わる。
姿かたちはタカに似ており、賢くプライドが高い。しかし数が少なく、性格のこともあり飛獣として飼育するのはとても難しい。が、見た目の優美さも相まって、金持ちや一部の軍人にとっては憧れの飛獣なのだ。
だが、憧れだとか、幻だとか……そんなことはどうでもいい。
「飛獣! 飛獣がいる! 飛べる! 町までひとっ飛びの生き物がいる!!!!!!!!」
目がランランと輝き、息が荒い。
「ヤニャンがいたら、町までいけるんだ!!!!!!!! なら、行かなきゃ!!!!!!!!!!!!!!!!」
興奮し、頭が沸いてしまったルーツェは急いで仔犬を回収し、山へと入っていく。コハクの言いつけなんて、微塵も頭に残っていなかった。
そんなことよりも「他の誰かに見つかる前に、わたしが見つけなきゃ!」と私欲むき出しである。
「さくっと行って、パッと戻ってくれば大丈夫! カンペキ!」
何も完璧ではないが、お馬鹿なルーツェは気づかない。知識だけは無駄にあるのに、全くこれっぽちも活かせていない。
飛獣が人を乗せて飛ぶのは、操縦者の魔力を用いて魔獣をコントロールしているからだ。魔力なしのルーツェが対面したところで、町まで飛んでいくなんて以ての外。
ただ、野生の魔獣と遭遇するという、恐ろしいイベントにしかならないというのに……。
「まってて、わたしのヤニャン!」
「ハヌ?」
しかし、その浮かれた勘違いを正す人物は、この場には存在しなかった。