5話 町にて
「なんなのあの人! すっごく感じ悪い! べーだ!」
「ハヌ!」
役所を出て、町の裏通りへと進む。居住区をいくらか歩くと、普段は子どもたちの遊び場に最適であろう開けた場所に出る。中央には小さな噴水があり、脇にはベンチが三つほど感覚を空け並んでいる。魔力を流す者がいない噴水は、新たに水を出すこともなく沈黙していた。
祭りのせいか、時間帯のせいか、ルーツェ達以外の人影は見当たらなかった。
「あーもう俺疲れた。眠い、眠いな、眠いから……寝る!」
「だめよ! 夕方前の荷馬車に乗せてもらわないと、今日中に帰れないよ!」
「カルダならきっと担げる。おやすみ」
「え! 僕!? 仕事あるし嫌だからね!?」
言われながらも、コハクはベンチの後ろの芝へと寝転がる。今日は確かに朝が早かった。二度寝すらできなかったし、用事も済み睡魔が襲ってくる。
仔犬は喉が乾いたのか、噴水の段差を登ろうと短い足を蹴り蹴りしていた。見かねたカルダが登らせてやろうと近づくと、猛ダッシュでルーツェの足元に逃げ込んだが。
「……ねえ、その犬本当に飼うの?」
「え? 飼うよ。だってそう言って来ちゃったし。ほら、オイサン。今お水いれるね」
持ってきたカバンから水筒を取り出し、コップに注いでやる。しかし、短い舌は水まで届かず、飲めてないのに必死に飲んでる動作をする仔犬は、ぶちゃ可愛かった。
結局、傾けてもコップの水に届かない仔犬の為に、手に水を移してやった。
「でも、診療所は?」
「しばらくは納屋で様子をみるわ。他に方法も考えるし、うちよりいい環境がないかも探しておくつもり」
「そっか。でも、なんで急に? 最初は飼わないつもりだったよね」
「だって、ムカついたんだもの」
ルーツェがぷくーと頬を膨らませ、寝ているコハクの横にどさりと腰を落とした。カルダは意味が分からず、首をかしげる。
カルダの反応に、ルーツェの頬はますます膨れる。
「あのお役人さん、カルダがまるで仕事してないみたいに言ったでしょ! そんなことないのに!」
ルーツェは役場の仕事がどんなものか、詳しくは知らない。それでも、カルダがいつも頑張ってるのは知っている。
朝早くから馬を駆って、村との往復。仕事が押して、帰りが遅くなる時は村に泊まることさえある。祭りの準備もあるが、もちろんそれ以外の雑用だって抱えているのだ。しんどくないわけがない。それでも彼はいつもニコニコと、村人たちに笑顔を向けてくれていた。
「あれ以上あそこに居たくなくて、思わず言っちゃった。もちろん、言ったからには、責任もってお世話するよ!」
友人がバカにされたのだ。腹が立たないわけがない。
ぷっぷく不満を漏らすルーツェに、カルダは少しだけ肩を震わせ、困ったような顔をした。
「そんなことで……」
小さくつぶやかれた言葉は、ルーツェの耳には届かなかった。春先とは言え、まだ肌寒い。カルダの方へと向き直ったルーツェの首筋を、冷たい風が通り過ぎる。
「ありがとう。……ごめんね」
「なんで謝るの?」
「いやー、結局犬のこと任せることになったし、コイツ手間かかるよ?」
「わたしにはいい子よ?」
「ソウ、ミタイデスネ!」
もうすっかり慣れきった様子で、仔犬はルーツェの膝でぷこぷこ寝息をたてていた。
ハゲのある腹をさらけ出し、放り出された短い足は、緊張感の欠片もない。
「…………本当に大丈夫? こんな野生のやの字も感じさせない奴の面倒みれる?」
「……うん、頑張る」
その後、仔犬は自分の寝吠えにびっくりして飛び起きていた。
しばらくし、さすがに風邪をひくからと、文字通りコハクを叩き起こした。
「いったー……なに?」
顔面に平手をくらったコハクは、鼻をさすりながら身を起こす。
「荷馬車が出るまでまだ待つし、町の出店見てまわろうよ」
「えー、どうせ祭り当日も来るんでしょ。ならそん時でいいじゃん」
「それはそれ、これはこれ」
「えーー」
ぶーぶー文句垂れながらも、コハクは立ち上がる。冗談でも一人で行けなどと言えばこのお転婆のことだ。本当に一人で行ってしまう。そして平気で怪我をこさえて来るのだから、断然そちらの方が面倒だ。
「そう言えば、カルダはお祭りの日も仕事なの?」
「まだ決まってはないんだけど、午前か午後のどちらは仕事が入ると思う」
「……それってちょっと抜けれたりすんの?」
ルーツェが聞いて、コハクが付け足す。
なんだろうとカルダは不思議そうに首をかしげる。
「カルダも、ちょっとでいいから一緒に回ろうよ」
「え? 僕も?」
「…………」
「コハク……無言で見てくるのはやめてくれ」
キラキラと期待の眼差しを向けてくるルーツェと、何も言わずに圧をかけてくるコハク。
カルダは少し照れたように頭を掻き、頬に熱が集まるのを感じた。
「僕も……一緒に行けたらいいなって思う、よ?」
「じゃあ決まりね!」
ルーツェが嬉しそうにカルダの右手を取り、ぶんぶん揺らす。コハクも満足そうに口の端を上げている。
一瞬何か言おうとカルダは口を開いたが、結局何も言えずに、自分の手を握る小さな両手を握り返しただけだった。
「ハヌ!」
突然の鳴き声にルーツェが足元に目を向けると、仔犬が尻尾を振りながらお座りをしていた。かまって欲しいのだろうか?
出来心でコハクが魔力を放出して脅かすと、すぐルーツェの後ろへと隠れてしまう。しかし引っ込めると警戒しながらも、コハクの様子を伺ってくる。
「魔力は怖いけど、コハクの事は気になるみたいね」
「なにこの犬、可愛い! あと、意地悪してごめん!」
「今まで世話してやったのは僕なのに……なんで僕には懐いてくれないの」
「ヴゥゥ……」
仔犬の激しい拒絶に、カルダはがっくりと項垂れた。
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その後、カルダは仕事のため広場で別れた。大通りに戻ってきたルーツェとコハクは、まず仔犬の首輪を購入した。
ルーツェとしては可愛らしいリードも揃えてあげたかったが、所詮は職を持たない未成年。所持金がない。どうしても気になるなら、村に帰って自分で作ってもいい。ルーツェはそう結論づけて、リードは断念した。
「うわー……朝より人が増えてる」
「ねえ、なにか食べようよ」
「俺甘いのがいい」
「甘いのはきっと高いよ。それに、お昼ご飯なんだから、ちゃんとしたのがいいわ」
いくつかの店を覗きながら、ルーツェは小麦と芋をねって薄く伸ばし、肉と野菜を挟んで焼いたものを買った。先程の”ニクマン”は予算オーバーのため、泣く泣く諦めた。
コハクはなにかよくわからない肉を、よくわからないタレで味付けした串焼きを食べている。
「オイサンも食べてみる?」
「ハヌン!」
ルーツェは自分の分から少しちぎり、わけてやる。仔犬はあっという間に、たいらげ嬉しそうにぺろりと口の周りを舐めている。
村に帰ったら犬を飼っていた誰かに、世話のやり方を聞いてみよう。
「あそこ、すごい人だかり。なにかな?」
「別になんでもいいし、帰ろうよ」
屋台が途切れたスペースに人が集まっている。人垣の向こうでは、空中に投げられた魔石が見え隠れする度に拍手がおこるので、なにか芸を披露しているようだ。
「うー、もう人混み嫌だ。ルーツェ、はぐれないように手を……」
人垣から目を外し、右手を差し出しながら隣を振り返る。すると「は?」と、驚きの表情を浮かべた、見たこともないおっさんと目が合った。いや、お前じゃねーし。
なら、ルーツェは? コハクが目を離したのは、ほんの一瞬。あっと言うほどの間だ。それなのに。
「…………ルーツェ?」
先程まで自分のすぐとなりにいた愚妹の姿は、そこにはなかった。
「…………………………んの、大馬鹿娘がーーーー!!!!!!!!」
コハクの怒号が、大通に響き渡った。
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「オイサン、まって!」
何ということだ、非常事態である。
先程大通りで行われていた芸で、多量の魔力を使用していたのか、仔犬が驚いて路地裏へと逃げてしまった。
一瞬の事で焦ったルーツェは、勢いのまま仔犬のあとを追いかけた。それなのに仔犬は、小さな体を駆使して細い路地裏を進んでいく。
「ま……ちょ、なんでこんな狭い道」
このままでは見失ってしまう。それにコハクに何も言わずに来てしまった。あまり離れすぎると戻れなくなる。
ルーツェはいっそう速度をあげ、仔犬を追う。すると、仔犬は町の端まで来てしまったようで、正面に大きな壁がみえる。突き当たって、左側にはさらに進めるみたいだが、仔犬は我に返ったのか立ち止まった。
「良かった! オイサン大丈夫だから戻ろ……」
しかし、ルーツェの思惑は外れた。どうやら仔犬は想像以上に困惑していたようだ。脇に置いてあった木箱や木材をつたい、壁の上へと登ってしまった。
「きゃー! 危ない! 落ちちゃう!」
ルーツェは仔犬を捕まえようと、急いで壁をよじ登る。
「追いついた。オイサン、危ないから一緒に……」
何とか壁を登りきり、ルーツェは今の状況を把握する。どうして自分は仔犬のことしか見ていなかったのか!
ランナの町は、山を切り崩して造られている。故に、大人の身長より少し高いくらいの壁のくせに、その向こう側の地面は遥か遠く。まるで崖の上に町を築いたかのようになっている。
これは落ちたら確実に死ぬやつだ。
(お、おち……おおおお落ちるぅ!)
慎重に、慎重にとルーツェが片足を戻そうとした時だ。
――――びゅうぅぅぅ
「へ?」
突然、突風が吹き、ルーツェの身体は空中へと投げ出される。
「え、うそ、やだ!」
主人の危機と思ったのか、はたまた遊んでいると思ったのか。仔犬もルーツェに向かって壁を蹴った。
「オイサン!?」
短い手足で犬かきをしている仔犬を、ルーツェは手を伸ばし抱きとめる。だが、投げ出された自身をどうすることも出来ず、抱き込む腕に力を込めた。
(ああ、またコハクに怒られる。いや、このままじゃ死んじゃう! せめてこの子だけでもわたしが守らないと……!)
ルーツェは仔犬を庇うように身を丸め、自身を襲うであろう衝撃に備えきつく目を閉じた。
そして――――――
――――ボスン。
「………………………………はへ?」
とてつもなくふわふわで、弾力のあるなにかに抱きとめられた。
「??????」
ルーツェが恐る恐る目を開けると、眼前には真っ白い毛。
ゆっくり目を開け、改めて確認したそれは――ルーツェをお姫様抱っこで抱える、真っ白なパンダだった。ぶっちゃけ、パンダと仮定するには大きすぎる気もするが、とにかくパンダだ。
「え? え? もふもふ? もふもふに助けられた!?」
ルーツェが目を丸くして叫ぶ。白ぶちパンダはゆったりした動作で、ルーツェを地面に降ろす。
崖から落ちた衝撃以上の展開に、ルーツェの頭はすでに思考停止状態だ。状況が把握出来ないまま、無意識にも目の前のもふもふを撫で回していた。
――――キィン
白ぶちパンダは何かに反応すると、そのままのしのし歩いていく。
(二足歩行なんだ……)
ルーツェが何となくパンダを目で追っていくと、その先には一つの人影が……。
全身真っ黒で、胸元には金の金具に赤色の小さな魔石が光る外套留め。頭からすっぽりフードを被っているので、人相はおろか性別もよくわからない。ただ、身長からしておそらく男性だろう。
(あの白パンダの飼い主?)
いまだぼんやりする頭でそんなことを考えていたが、次の瞬間我に返る。
「あ、あの! その子あなたのペットですか!」
そうだ、白ぶちパンダの主人なら自分を助けてくれた人なのでは? と思い至り、慌てて駆け寄ろうとしたルーツェだったが、フード男(推定)は拒むように片手を上げ、それを制した。
しばらくルーツェに目を向けていたが、一言も発する事なくその場を去ってしまった。
「へ? ……え! わぁぁー!」
その際、フード男が手をかざし魔力を発動すると、白ぶちパンダに光の翼が生えた。そして男は翼の生えた白ぶちパンダに跨っ……いや、おんぶされて飛び去っていった。
パンダは飛ぶ(と言うか、空中を歩く)時まで、二足歩行(しかもかなり高速)だった。翼の意味とは?
「うわ、うそ! もしかして飛獣! じゃあ今の希少なフラインスノーベア!??」
今起きた光景に、ルーツェは興奮し瞳を輝かせる。
飛獣とは、人を乗せ飛ぶことが出来る魔獣のことである。飛獣には二種類に分かれており、一種は元から自身の翼で空を飛ぶことが出来る魔獣である。人を乗せて飛ぶとなると数はかなり少なくなり、種類も多くはない。
もう一種は飛行型ではない魔獣が、己の魔力で翼を作成し空を飛べるようになった生物である。一般的な飛獣は後者の種であり、使役者が更に魔力を注ぎ、人が乗れるように翼を変化させるのだ。
と言っても使役するためには、強力な魔力で服従させるしかないので、どちらの種も使役するのは簡単なことではない。
「あんな大きな飛獣、図鑑でも見たことない。……え! なら、今の人って!!」
飛獣を扱うだけでも、膨大な魔力を要する。ならば、あれ程の飛獣に翼を与え、従わせるとなると……。
ふふふ、とルーツェが笑う。
「……さまだ」
確信を得たりと、天を仰ぐ。
「間違いない! 帝都の大魔術師さまだわ!」
情報を集めるどころか、御本人に会えた!
ルーツェは両手を上げくるくると回る。
話がしたいし、色々聞きたい。出来れば自分の体質について意見がほしい。
どうすればもう一度会えるのだろう? そもそもなぜこんな田舎町にいるのだろうか? 今の時期、帝都でも祭りの準備で忙しいはずなのに。
逆に都会の祭りに疲れて素朴な田舎にやってきたとか?
そうしてルーツェはある事実に思い至った。
「祭りの見物? ……はっ!」
という事は、ルーツェに残された期日は祭りが終わるまで。
「それまでに、何とか大魔術師さまを捕獲しないと!」
こうしちゃいられない! 策はないが、なんとかしなければ!
早く村に戻って作戦を練ろう! ルーツェはやる気と、なぜか闘気を滾らせた。そんなルーツェの背後では、フード男と飛獣の魔力に驚いた仔犬が気絶し倒れている。
ルーツェが仔犬に気がつくまであと僅か。妹を心配し探し回った兄が、浮かれお馬鹿になっている妹に怒りの鉄槌を食らわせるのは、さらに時間が経ってからだった。