7話 特訓
「ほら、十世。ガンバレ、もうちょい、もっとパタパタして!」
「フニィ〜!」
「ハヌハヌ!」
「ガンバレ、十世! 飛べー!」
晴天が気持ちの良い午後。
最近入り浸っている広場の木陰。必死に羽を震わせている真っ白な雛を、一人の少女と仔犬が応援していた。
雛は短い羽を必死に動かし、まん丸いフォルムを宙に浮かせようとこれまた短い脚で目一杯伸びをする。しかし、応援虚しく雛の体が空を切る気配は一向になく、背伸びしていた丸い体はそのまま前方に一回転した。
「ニィィ?」
「うーん、飛べないねぇ。このままじゃ、でんぐり返りが上手になるだけだわ」
「ハヌン! ハヌン!」
転がり目を回している雛の横で、仔犬も仰向けになり背中で地面に円を描く。
雛がもう一度と羽をバタつかせるも、案の定転がってしまう上に、仔犬もはしゃいで土まみれになる。
「オイサン、遊んでるんじゃないんだよ。十世は飛ぶ練習をしてるの。わかる?」
「ハヌ?」
「もう! これだからオイサンはー」
「ふふ」
砂まみれでキョトンと首をかしげる仔犬に、ルーツェが頬を膨らませる。すると少し離れたところから笑い声が聞こえ、振り返る。
「すみません。可愛らしかったもので、つい」
「フィファナさん。お仕事終わったんですか? コハクならあっちの方にいますよ」
「ありがとうございます」
新しい後見人のもと、フィファナはその手伝いをしながら、空いた時間にコハクの訓練を手伝ってくれている。
細身の女性ながらも、以前は兵士団の一個大隊で副隊長を務めていた彼女はとても強かった。
気配を感じたのだろう、少し離れた場所にいたコハクがルーツェの休む木陰へとやって来た。
「お疲れ様。いつもより早いけど、今日はもう時間いいの?」
汗を拭きながらコハクが問えば、フィファナはコクリと頷いてくれた。
「仕事と言ってもお手伝い程度なので、私にできることはそこまでないんですよ」
「確か新しい後見人さんの、研究のお手伝いですよね?」
「そうです。なので資料を運んだり、物を片付けたりなどの雑務以外は出来ないと言いますか……むしろ邪魔と言うか……」
フィファナが困ったように肩を落とし、苦笑を浮かべる。ルーツェがそんなことないと、当たり前のように返してくれるのが面映い。
ルーツェといると、つい表情が緩んでしまうとフィファナは薄く笑っていたが、隣に佇むコハクの様子がいつもと違うことに気が付き真剣な表情へと戻る。
「コハクさん、どうかしましたか? 顔色が優れないようですが、何か……」
「いや、特には」
「あのね、コハクは試験がもうすぐになって、焦ってるんです」
「ルーツェ!」
「なによ。ホントのことじゃない」
コハクがぐっと唇を噛み、ルーツェはフィファナの後ろへと隠れる。隠れながらも心配そうな表情を浮かべるルーツェと共に、フィファナはコハクの様子を窺う。
いつも、どこか飄々としているコハクだが、最近はなにかに追い詰められるようにピリピリとした空気を纏っていた。
「わかってる……このままじゃ、ダメだって」
俯き、身体を強張らせながらコハクが言う。
どんなに走り込んでも、どんなに筋トレをしても身体は思ったようには成長もしないし、動いてはくれない。身体能力はもちろん、知識も経験も付け焼き刃であまりにもお粗末だ。
「こんな程度じゃロペスどころか、他の奴にだって勝てない!」
「……」
フィファナは戸惑った様子を見せるが、否定の言葉を口にはしなかった。なぜならそれは事実であり、彼女自身も感じていたことだからだ。
慰めのためだけに偽りを告げる気など毛頭ないし、だが同時にフィファナは、自分が思い違いをしていた事に気がついた。
コハクは本気だった。本気で、少し剣を捌けるだけの子供が、たった数ヶ月の短い期間で、幼い頃から鍛錬を重ねてきた剣士たちに並び立ち、あまつさえ勝ちたいと、勝たなくてはいけないのだと言っていたのを今頃理解した。
「そんなの、当たり前じゃない」
少し咎めを含んだ少女の声に、フィファナはハッと顔を上げ後ろを振り仰いだ。同時にコハクがムッとした表情で声の主、ルーツェを睨む。
「……なんだよ、それ」
苛立ちと共に、どこか傷ついたような表情のコハクにフィファナはルーツェを止めようとする。まがりなりにも、コハクが今こうして苦しんでいるのはルーツェのためだ。なのにそれをルーツェ自身が否定するなど、あんまりな話じゃないか。
「ルーツェ! コハクさんは」
「コハクは頑張ってるわ。でも、他の子だって頑張ってるもの。それも、コハクよりもずっとずっと長い間」
フィファナにではなく、コハクに向かってルーツェは言う。
「それに、コハクは剣術は苦手でしょ。細いし、筋肉だってつきにくい。でも、体力が特別あるわけでもないわ。なのに数ヶ月やってみたところで、ずっと頑張ってきた子たちに勝てるわけないじゃない」
「……」
「ルーツェ!」
フィファナに肩を押さえられ、咎められる。それでも引かないルーツェに、フィファナが後ろから抱きすくめ、物理的に遠ざけようとする。
しかし、ルーツェも負けじと踏ん張り、その場を動こうとはしない。さすがに無理やり抱き上げるのは気がひけてしまい、傍から見ればフィファナがおんぶオバケになっているだけに見えた。
「コハクはなんでも考えすぎなのよ! 無理でしんどい事なら、ヤメたらいいじゃない!」
叫ぶルーツェに、コハクが険しい表情を向ける。普段ならあり得ない、キツイ眼差しでルーツェを睨みつけ、揺らぐ翡翠の双眸とかち合った。
「そんな、無理、しなくても……」
フィファナに、前のめりな形で抱きすくめられているルーツェが、わずかに下を向けばその表情はすぐに隠れてしまう。大人しくなったルーツェにフィファナは拘束する手を外し、そっと肩に添える。
じんわりと添えられた温かさに、ルーツェはぐっと別の言葉を呑むと、勢いよく顔を上げ胸を張った。
胸を張って、堂々と口元を歪ませながら言った。
「まあ、わたしだったら諦めないけどね!」
と。
目をぎゅっと瞑り、口を引き結ぶ。なのに偉そうに胸を張るルーツェに、フィファナはゆるりと表情を崩し、コハクを見た。コハクは見開いていた目を細めると、ルーツェと同じような表情で口引き結んだ。
正反対な似た者同士な兄妹に、フィファナは小さく笑って口を開く。
「それで、コハクさんはどうしたいんですか?」
「俺、は……」
真っ直ぐ問いかけられる視線に、一度ルーツェに視線を移し、言葉を止める。未だ、わずかに揺らめく翡翠の双眸に、しかし、先程くれた言葉を思い返し、コハクは今度こそ笑みを浮かべ顔を上げた。
「俺はルーツェを守れるくらい強くなりたい」
そうしてコハクは満足そうにルーツェを見、ルーツェはブサイクな表情を浮かべる。「なにそれ、ヒドイ顔」「コハクはいちいち、うるさい」いつもの調子を取り戻した二人に、フィファナは心から安堵する。
そして一歩前に出ると、真摯な眼差しでコハクへ向けて言った。
「試験まで一週間を切りました。正直、今の状態のままでは優勝は望めないと、私も思います」
「……」
「ですが、チャンスがないわけではありません」
「え!」
「フィファナさん、それ本当ですか?」
フィファナの言葉を聞き期待の色を見せる二人に、フィファナはしっかりと頷く。
「はい。コハクさんだからこそ出来る方法が、一つあるんです」
そう自信あり気に伝えられた言葉は、静かにコハクの胸の内を震わせた。
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「へー、結構外部からの見学者も来るんだね」
「クレイドさん、フィファナさん。こっちこっち! あ、コハク待ってよぉ」
「なんで皆で見に来るのさ……」
朝と昼のちょうど間くらいの時間。
平民街の中でも、比較的立地のいい場所にある魔導学園。今日は外部公開をしている学期末試験当日だ。普段、多くの学生たちで賑わうキャンパスも、保護者や違う目的で訪れた者たちに、違った意味で浮き足立っている。
「コハクの受ける兵士さんのテストは午前中なんだよね」
「うん」
「午後の魔術師団コースの試験は、本当に受けないのかい?」
「うん、いい。受けない」
クレイドの問いに、コハクは素っ気なく返す。それにクレイドは苦笑し肩をすくませる。
「つか、二人とも何で来たの? フィファナに至っては……それ、変装?」
「フィファナさんがつけてるのは、オイサンたちを預けにいった時にお隣のオバさんが貸してくれた物よ」
「そういう意味じゃなくてさ」
コハクがげんなりと後ろを振り返れば、あご紐のついた麦わら帽子に黒いサングラス。髪色を隠したかったのか、ご丁寧に麦わら帽の下から、頭を隠すように薄手の布を巻いていた。
「うぅ……。謹慎は解けたのですが、人目のある場をウロつくなと言われておりまして」
「ああ、それは変装してたのか。印象操作の魔術具がもう一つあるから、よかったら貸してあげようか?」
「え! リャダマン様の私物を私なんかに……勿体無いです!」
「そんな言い方をするもんじゃないよ。私もフェ……えーと、マスク仮面から借りているだけだし、遠慮しないで」
どうぞと差し出された魔術具を、フィファナはまじまじと見つめながら受け取った。勿体無いと言っていたにも関わらず、「リャダマン様の物ではないのですね……」と肩を落とす。
「フィファナさん、良かったですね」
「はい。これで周りを気にせずコハクさんの応援が出来ます」
「そこまでするなら、来なかったらいいのに」
「コハク!」
コハクの言葉に、ルーツェが目を釣り上げる。それを諌めるようにクレイドがルーツェの肩を叩くと、優しい声音でコハクへと振り返る。
「私も、今のはどうかと思うなぁ。フィファナには世話になったのだろう? 成果を見せてあげないと」
「……ごめん」
バツが悪そうに謝るコハクに、フィファナが慌てて首を横に振る。おそらくコハク自身も緊張しているのだろう。たまにチラリと目が泳ぐ時がある。
それをフィファナはもちろん、クレイドも察している。クレイドがコハクの頭を二度ほど軽くたたいてやると、コハクの肩から少しだけ力が抜けた。
「頑張って」
「……うん」
そう言って励ましの言葉を送るクレイドに、コハクは小さく頷いた。
《午前開催、兵士団コース学期末試験参加の生徒は、速やかに第一教室に集まってください。間も無く抽選会か行われます》
遠くから係り員のアナウンスが聞こえてきた。
試験はトーナメント制の、勝ち上がり形式。見事優勝果たした一名のみが、学院への推薦権を得ることが出来る。
「コハクさん! 訓練通りやれば大丈夫です!」
「コハク、いってらっしゃい!」
「……行ってきます」
そう言ってコハクは第一教室がある校舎へと入って行った。
その後ろ姿をルーツェとフィファナが心配そうに見送る。
「フィファナさん……コハクなら大丈夫ですよね? 秘密の特訓もいっぱいしたし」
「はい! あの力を試験でも出せれば、絶対大丈夫です!」
「秘密の特訓?」
頷きあう二人に、クレイドが首を傾げる。口の端をめいっぱい上げ、ルーツェは得意そうにクレイドを見上げた。
「題して〝合法ドーピング作戦〝です!」
「え⁉︎ なに⁉︎ ドーピング⁉︎⁇」
「はい。〝合法ドーピング作戦〝です」
「いや、聞こえてはいたけど……それ大丈夫なのかい?」
「はい。だって合法ですから!」
「………………」
ますます胸を張るルーツェに、混乱極まりない。フィファナも否定しないので、そういう事だろう。
全く穏やかではない作戦名だったがクレイドは思考を放棄して、今日という日を楽しむことにした。




