19話 死の痕跡
日が暮れはじめ、赤く染まり出した森の中。
常ならすでに森から出てしまっている時間。通いなれた場所のはずなのに、不思議な心地がする。
深緑のローブに、のっぺりとした仮面を付けている男。マスク仮面を先頭に、ルーツェ、クレイド、フィファナの四名は森の奥を目指す。
道を覚えるのが苦手なルーツェの代わりに、フィファナが道を指し示す。
そろそろディーグが施している術式の範疇に入るかという辺りだった。
「おい」
急に先頭を歩いていたマスク仮面が立ち止まり、クレイドを振り返った。そのまま無言でルーツェへと手を差し出し、クレイドにも顎を引いて指図する。
急に差し出されたマスク仮面の手をきょとんと見ていたルーツェだったが、クレイドが何か耳打ちしようと腰を折るのと、マスク仮面の手をルーツェが握り返したのはほぼ同時だった。
「「……」」
「あれ? 手を繋ごうってお誘いじゃなかったんですか?」
「あ、いや。そうだよ、それであってるよ」
「だからって、こんな怪しい仮面男の手を簡単に取るんじゃない」
「それを自分で言うのが君らしいね」
「ええー、間違ってなかったのに、なんで怒られるんですか」
むうと頰を膨らますルーツェに、マスク仮面がため息を付きクレイドが苦笑する。
クレイドはそのままルーツェの耳元に顔を寄せると、フィファナに聞こえないよう声を絞る。
「どうやら知らない結界があるみたいだ」
言って姿勢を正すと、クレイドもルーツェに手を差し出す。
つまりは結界などをお構い無しにすり抜けるルーツェと、一緒に中に入ろうという事だ。それならばとルーツェも張り切ってクレイドの大きな手を握り返した。
「じゃあフィファナは私と手を繋いでくれるかい?」
それまで何だろうと三人の様子を静観していたフィファナだったが、クレイドがにこやかな顔で空いてる方の手を差し出した。その手を見つめ、意味を理解した途端ぼっと顔に血が集まっていく。
「そ、そそそ、そんな、なぜ!」
「なぜって、結界が張ってあるみたいでね。ルー……じゃなくて、あの仮面男がなんとかするんだけど、その都合で」
「ですが、わた、私が、リャダマン様と、手をっ!」
「う、うん。そうなんどけど……、そんなに私と手を繋ぐのは嫌なのかい」
しょもんと肩を落とすクレイドの背を、ルーツェが励ますように軽く叩く。むしろ否定して欲しかったと文句を言うクレイドを、ルーツェは気にせず流した。
「お前等いい加減にしろ。アルコリアもその阿保男に近づきたくないなら、ちびのどっかに触れていろ」
「いえ、そのような事は決して」
「言い訳なぞ、どうでもいい。早くしないと置いて行くぞ!」
マスク仮面から遠慮のない威圧を受けて、フィファナは息を飲む。心臓は煩いくらいに速く、頰は熱い。緊張のあまり手が僅かに震えてさえいる。
こんな所で、自分のせいで時間を取らせるわけにはいかないと、フィファナは覚悟を決め――
ルーツェの肩にそっと左手を置いた。
「行くぞ」
「はい!」
マスク仮面の呼びかけに、ルーツェだけが元気よくかえし、残りの二名は物凄く落ち込んでいた。
いくらか道無き道を分け進み、見慣れた家が現れる。
「なに、これ……」
しかし綺麗に手入れされていた庭は荒らされ、薬草がいくつも駄目になっていた。
踏み荒らされた痕跡は人間のものではなく、様々な獣の足跡。
足跡はどれも家に向かっており、壁や扉に体当たりしたのであろう獣自身の血や泥が付いてた。
「どういう事だ? こんな無数の獣が、同じ行動をするなんてあり得ない!」
「師匠!」
荒れ果てた庭に声を失っていたルーツェだったが、師のことを思い出し走り出す。
勢いのままに扉を開け放ち、中へと入る。しかし、そこに目的の人物はおろか、なんの気配もしなかった。
「師匠! 師匠ー」
「ルーツェ、一人で行動しては危険です」
「フィファナさ」
室内に飛び込み、周囲を探す。
一人掛けだしたルーツェをフィファナが腕を掴み引き止める。その時、ルーツェはあることに気がついた。
「師匠のお部屋の扉が開いてる」
いつもはきっちり閉じられた扉。それが僅かだが、開いていた。
普段は入り口を入ってすぐのリビング兼作業場以外は、出入りはもちろん近づくことも許されていなかった。
先日、気を失ってしまい寝室を借りたことがあるが、入った部屋も回数もその一度きりだ。
そんな常なら固く閉ざされているはずの扉が開いているのだ。
「フィファナさん、師匠のお部屋を見に行きましょう」
「ですが」
言ってフィファナが外にいるクレイドへ意見を仰ごうと振り返ると、そこには思いもかけない人物が立っていた。
「サーパス様!?」
フィファナが驚きの声を上げる。
ルーツェからすれば見知らぬ男の登場に困惑するも、フィファナが男の名を呼んだことにより気を緩める。今目の前にいる男は、少なくともフィファナの知り合いなのだろうから。
サーパスはフィファナと似通った兵士団の制服を着ていた。しかし、その制服の右腕は何かに引き裂かれたように血が滲んでいる。
「サーパス様?」
フィファナが訝しげに、上司の名を呼ぶ。と同時に、後ろで扉を蹴破る音がした。
「サーパス殿っ! やはり貴方がっ……」
飛び込んできたクレイドが、驚愕の表情を浮かべ剣を抜いた。
「《フィファナ》」
サーパスはクレイドを振り返ることなく、フィファナの名を呼んだ。
そして――
「《あの男を殺せ》」
その言葉を合図にフィファナのペンダントが赤い光りを放ち、フィファナの視界を真っ赤に塗りつぶした。
逆にルーツェは腹部に強い衝撃を受け、目の前が真っ白になった。
いつの間にかサーパスが目の前に立っており、視界の隅でフィファナがクレイドに斬りかかろうとしているのが見える。
「ルーツェ!」
ルーツェが覚えていたのは、そこまでだった。
「っち! フェルエルト、隠し通路だ! ルーツェが連れて行かれた、君が後を追ってくれ!」
斬りかかってくるフィファナの剣を避けながら、クレイドが外へ出て声を張り上げる。
外では無数の獣に襲われ、撃退していたフェルエルトが怒りの形相で振り返った。仮面はルーツェ達が家に入った直後に外した。
今フェルエルトが撃退している獣……と言うか、既に事切れ魔石によって無理やり骸を動かされている動物たちは、ルーツェが室内に入ると同時に四方から飛び出してきた。
「まだわんさか湧いてくる。放っといたら街に行くぞ? お前こそ、その女をさっさと斬り捨てて後を追え! 後で俺が治療しておいてやる」
「そうしたいのはやまやまなんだけどね、たぶんこの子は奴隷契約が施されている。私を殺せという命令を遂行出来なかったら、きっと魔核が停止して死んでしまうよ」
「~~~~~~くそがぁぁ!!!!!!」
フェルエルトは一際大きな術式弾を落とすと、周辺にいた獣達が塵となった。
しかし、茂みの奥にはまだ無数の鈍い光が蠢めいている。
「陛下の許可が降り次第、援軍も来るから大丈夫。それまで一人でなんとかするよ」
「ほざけ!」
言ってクレイドは森の奥に躍り出ると、フィファナもその後を追う。
フィファナはフェルエルトには反応を示さず、うつろな表情でクレイドへと向かっていく。その隙に、フェルエルトは入り口の扉を潜ると、部屋の中を見回した。開いていた扉は一箇所。
すぐさまその部屋へと飛び込むとそこは寝室のようで、ベットが乱暴にどかされ隠し通路への入り口が開いていた。
クレイドは振り返りもせず、一目散に家の中へと飛び込んだ友人を見送った後、前へと向き剣を握り直す。
「フィファナ、もう少しあちらに行こう。あまりここで暴れると、後でルーツェが泣いてしまうよ」
すでに薬草園は無残な有様なうえ、おそらくフィファナにクレイドの声は届いていない。それでもクレイドは明るい調子でフィファナへと話しかける。
そして、斬りつけてくるフィファナの剣を、無駄に魔力を放出させ受け止めた。
(いいぞ、お前たちも出来るだけついてきてくれよ)
魔力で獣の注意も引きつつ、少しでも森の奥へと移動する。幸いなのは、獣がフィファナの事を攻撃対象とみなしていないことだ。
クレイドは僅かに口角を上げると、声を上げながら地を蹴った。
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冷たい空気と、揺れる振動にルーツェは目を覚ました。
どうやら肩に担ぎ上げられ、外を走っているようだ。ぼんやりとした視界が次第にはっきりしてくると、ルーツェは僅かに上体を起こそうとし背を支える男の手に力が込められた。
「なぜ目覚めた? 術を発動させ……ああ、そうか。魔力効果は効かないのだったな」
「なんで、それを……」
男は自分の足で地を蹴っているが、その速さがは尋常ではない。薄っすら足元が赤い光を帯びているので、身体強化を使っているのだろう。
ルーツェは腹部の痛みを思い出し、表情を歪める。ジクジクと痛むが、ゆっくり休ませてくれる気など相手にはもちろんない。
「だが私の身体強化は阻害されていない。発動条件があるのかな?」
聞き慣れない男の声。
齢四十過ぎ程か、兵士団長と聞いていたが思ったより細身の体躯をしている。
「フィファナさんは?」
ルーツェはサーパスの質問は無視して、気になったことをそのまま口にした。
最後に見たのはフィファナがクレイドへと斬りかかろうとしている姿。何かあったのは間違いないが、ルーツェにはよくわからなかった。
「あなたがフィファナさんに何か言ったら、ペンダントが光った! あなたがフィファナさんに何かしたんで……え? なに、ここ?」
なんとか抜け出そうと身を捩るがびくともしない。そんなことよりも、ルーツェは周りの異変に気づき目を見開く。
暗くなり始めてはいたが、まだ灯りなしでも見渡せる程度。
左程遠くない距離に帝都が見えるので、森の中なのは違いないのだが。
「全部枯れてる……?」
草も、木も。つい先程まで青々と生い茂っていたであろう植物が、枯れ果て朽ちている。
それはある一定の範囲だけのようで、まるで境界線を引かれたように少し離れた場所からは緑が色づいていた。それが道なりに、ずっと続いている。否、腐敗した範囲が続き、道となってしまったのか。
その上を辿るように、サーパスはルーツェを抱え走っていた。
「ひっ」
道中、たまに獣の死骸が横たわっている。
ルーツェは青ざめると小さな悲鳴を上げ、身を震わせた。いったい、何が起きているというのか。
「ほら、あれを見てみろ」
ふいに声をかけられ、ルーツェは顔を上げる。
いつの間にかサーパスは身体強化を解いており、流れる景色も止まっていた。そのまま地に降ろされ、ルーツェはサーパスの視線の先を辿る。
「なに、あれ?」
そこには黒い風が丸い半球を描き、吹き荒れていた。
その風は大きくなったかと思えば、小さく縮小したりと不安定である。
「ウォン! ウォン!」
「ルドルフ?」
ルーツェの居る場所から少し離れた黒い風の側。風に当たらないよう避けつつも、鳶色の狼が球体に向かって吠えていた。
一心不乱に、何かに呼びかけるように。
「師匠が、いるの?」
黒い風は徐々に前進しているようで、少しずつ距離が空いていく。
狼はルーツェ達の存在には気づいていないのか、球体の側を離れようとはしなかった。
「師匠!」
確信はなかったが、いつの間にかルーツェの身体は動いていた。
ルーツェは黒い風の中心部へと駆け出し、半球の中へと飛び込んでいく。途中で狼の鳴き声が止んだが、気にはしなかった。
その様子をサーパスだけが満足そうに見ていた。




