15話 蛇だったもの
「さて、ルーツェレア。お前にだけ話がある。そいつには席を外させろ」
「え? わたしにだけ?」
日も暮れ始め、外はうっすらとだが暗くなり始めている。葉を揺らす冷えた外気に、室内も日中に比べ気温が下がってきた。
外出着のまま、上着だけ脱いだ状態の家主であるディーグは、二人の少女の前に立ち視線だけで入り口の扉を指す。
それに最初、意味がわからなかったのかルーツェは間抜けな声を出し、フィファナが少し焦った様子で表情をこわばらせた。
「私はルーツェの護衛です。任務中に側を離れるわけにはいきません」
「なんなら私が、直ちにその任を解いてもいいんだが? リャダマンなら文句を言うまい」
「そっ……!」
「わあ師匠、顔が悪くなってますよ」
「………………」
「ワフ」
「いた、いたたた! おでこには触らないで下さい~!」
薄ら笑いを浮かべフィファナを見下ろすディーグに、ルーツェが口を挟む。
イラッと来たのかディーグは眉根を寄せ小さな頭を鷲掴んだ。
「だって師匠。外も暗くなってきましたし、寒いですよ。なのにフィファナさんを追い出すなんてヒドイです」
「む、なら」
「私一人で別室に下がるのも、貴方がルーツェと二人で籠もるのも反対です」
「……どうしろと言うのだ」
結局、声が届かないよう遮音の魔術具を使用し、フィファナには後ろを向いてもらうことになった。
最初は護衛対象から目を離すわけにはいかないとごねたフィファナだが、これ以上の譲歩は出来ず文句があるなら無理やり閉め出すという言葉に渋々了承した。
今は隅にあるラグの前に立ち、見張り役なのか狼が近くに腰をおろした。
すっかり目が覚めてしまった仔犬が、お気に入りのラグの上で狼の首輪代わりの青い装飾品にじゃれ付いているのを見て不満を紛らわせる。
ディーグは準備が整ったのを確認しルーツェへと向き直った。
二人はテーブルにつき、互いに向かい合っている状態だ。
「ルーツェレア。術が発動しているか確認したい。あの女を呼べ」
「はい。フィファナさーん」
ルーツェの呼びかけにフィファナは何の反応も示さない。
念の為ディーグが鳶色の狼へと視線を送ると、狼が片耳を動かし合図をする。
どうやら術は正常に発動しているようだ。
「大丈夫みたいだな。では、ルーツェレアこれを見ろ」
「なんですかこれ? 枯れた木の根っこですか?」
ルーツェはディーグが卓上へと出した、謎の物体をしげしげと眺める。触ってもいいかと師を伺えば、反対されなかったので構わないのだろう。
まるで木の根っこが干からび、からっからに萎れた物体を手に持ち振ってみた。
不思議そうに木の棒を振り回すその様は、知恵を持ち始めた山サールのようだった。
「ふっ」
「あ、師匠。今何か失礼なこと考えてますね!」
「んん、そんなことはない。それよりそれが何かわかったのか?」
平静を保とうとディーグが真面目な顔をするが、わずかに口の端が歪んでいる。
ルーツェは誤魔化されたとむくれながらも、手に持つ物体が何なのかわからないと首を横に振った。
「それはお前が先ほど捕まえた蛇だ」
「へ……え! へび⁉︎」
再度己の手にある干からびた根っこを凝視する。
よくよく見れば先端の少し丸みを帯びている方に、目と口のようなものが――。
「ひぃ!」
青ざめルーツェが干からびた根っこ、もとい蛇だったものを卓上へと放り投げた。
「な、なんでこんな姿に……」
カタカタと震えながら、蛇を掴んでいた方の手を握りしめる。
カラカラに干からび固まったそれは、生き物の感触をしていなかった。
「わたしの、せい?」
常とは違う、奇妙な蛇だった。おかしいと思ったから追いかけ、捕まえなければと焦った。
急に青ざめ震え出したルーツェに、ディーグがどうしたのかと目で問う。
しかしルーツェはそれどころではなく、蛇から目を離さない。
「触ったとき、なにかバチっとして……わたしが触ったから、こんな」
今にも泣き出しそうな声音で、一度浮かせた小さな手をテーブルの下へと隠し、ルーツェはごめんなさいと小さく呟いた。
泣いてはいないようだが、想定外の反応だったのか、ディーグが少し焦った様に腰を浮かしかける。肩を掴もうと伸ばされた右手は途中でそれを止め、すぐに戻された。
「顔を上げろ」
ディーグはそう言い、コトリと小さな音が響く。
それにルーツェがのろのろと顔を上げ確認すると、卓上に大きなヒビの入った石があった。おそらく魔石だったと思われるそれは、黒く濁りクズ石と化している。
「これはあの蛇の頭部に埋め込まれていた魔石だ」
言われヒビ割れた石を見る。大人の親指程はありそうな石が頭部に?
地を這っていた時は気付きもしなかった。大蛇と言う程でもない蛇の、どこに隠されていたと言うのか。
「蛇の遺骸に魔石を埋め込み、遠隔操作、または私の魔力に反応して移動する様にしていたのだろう」
「え?」
ルーツェが強張った表情でディーグを見る。
反応を見せた少女に安心したのか、ディーグは言葉を続けた。
「だからこの蛇はもとより死んでいた。お前が……」
そう言いかけて、ディーグは口を噤む。
目の前の落ち込む少女に、何を言ってやるつもりだったのかと自嘲した。柄にもない。一つため息をもらし、改めてルーツェを見返すと、少女の瞳は未だ不安に揺れている。
「なんだ?」
「師匠の魔力に反応したって、どういう事ですか?」
驚きと、困惑と、そして怒りだろうか。凄む様にディーグへと詰め寄り、返答を待つ。
真剣な表情で己を睨みつける少女に、ディーグは僅かに目を見開いた。
「本当に、何も知らなかったのだな」
「どういう意味ですか? ちゃんと説明してください!」
むっと口を尖らせ怒るルーツェに、ディーグはさり気なく手を口元にやり隠す。
それにルーツェは納得いかないと頬をふくらませる。
「何笑ってるんですか! 隠したってバレバレなんですからね!」
「ふん。笑ってなどいない」
「笑ってました! もう、質問をはぐらかそうったって、そうはいきませんからね!」
ルーツェが勢いよく両手を卓に叩きつける。
その拍子に、干からびた蛇だったものが卓上をころがり、ビクリと肩を震わせる。近くにあるのが嫌だったので、そっとディーグの方へと押し返しておいた。
ディーグは無言でその様子を観察していたが、ルーツェが再び聞く体制に戻ったので仕方なしに口を開いた。
「私は兄に嫌われているんだ」
「?」
「だからこれも、そういった類の嫌がらせだ」
本当は嫌がらせなんてなんて可愛いものではないのだが。ディーグはそれを言葉にはせず、蛇だったものを手に取り裏返す。
ちょうど頭に当たる部分には窪みがあり、ルーツェに見えるように先程のクズ石をはめてみせた。
ピタリと嵌ったクズ石に、ルーツェは悔しそうに眉根を寄せる。
「お兄さんからの嫌がらせ? ……仲直りしないんですか?」
「難しいな。もう十年以上会っていない」
「十年!? 師匠って、お何歳なんですか!? 実は三十過ぎてたりします!?」
「しているわけないだろう! 私はまだ二十三だ」
「ああ、ビックリした。え、なら十三歳でお家を出たんですか? それともお兄さんが出ていったとか?」
「お前には関係ない」
自分から話題を振っておいての態度に、ルーツェはむっとディーグを見る。
睨みつけると言うよりもどこか悲しげなそれを、ディーグは気づかないふりをした。あまりずけずけと聞く内容でもないと、ルーツェもそれ以上の詮索をのみこみ俯いた。
ディーグが再びクズ石を取り外し、指で転がし遊ぶ。表情を変えず、ただくるくると指先で転がる石を眺めていた。
「師匠」
ふいに真剣な声音がディーグを呼んだ。
いつの間にか呼ばれ馴れてしまった敬称。違和感を感じなくなったことに違和感を感じる。
遊んでいた手を止め、前を見る。そこには今まで視界にあったクズ石とは比べ物にならない、二対の翡翠が煌めいていた。
「師匠、わたし師匠の護衛係します!」
「……………………、は?」
「また、さっきの蛇みたいなのが来るかも知れないじゃないですか! そういうのから師匠を守るんです!」
「結構だ」
「なんでですか!? わたし魔力なしではありますけど、なんか不思議……じゃなくて、呪術とかには強いみたいなんで!」
「呪術に強いとはなんだ? 魔力なしなんだろう?」
「そうなんですけど、なんと言いますか」
ルーツェの反応から、どうやら魔力無効化の能力がディーグに伝わっていることは知らないようだ。
故にその事を隠しつつ、しどろもどろになりながら説明するルーツェを、ディーグは面白そうに眺めていた。
「そんな不確かな話しは信用出来ん。現にお前は、森の結界を壊しているだろう」
「え……?」
淡々と告げられた言葉に、ルーツェの身体が強張った。
青ざめ、目が不安げに彷徨う。
膝下でスカートを握りしめる小さな手が、小刻みに震え出した。
「どうし」
「どういうことですか? 結界って、わたしが壊したってな――」
ディーグの言葉を遮り捲し立てたルーツェだったが、あることを思いだし息が詰まる。
ルーツェが森で壊したものなんて、呪具の魔石を除けば一つしかない。数日前、森で迷いたどり着いた真っ白な扉。
その中にあった謎の発光物。
「あの、白い部屋の、師匠のだったんですか?」
いっそ白いというくらい顔色を失ったルーツェに、ディーグが訝しげに眉をひそめる。
探るような鋭い視線が、僅かにもの言いたげに揺らいだ事にルーツェは気づかなかった。
「結界って……わたしまた、誰かの大切なものを壊してたんですね」
「ルーツェレア?」
決して寒いわけではないのに、震えが止まらない。心臓がおかしくなったのではと疑うほど脈打ち、呼吸の仕方もわからなくなる。
「すみません。すみません、師匠」
うわ言のように謝罪を繰り返すルーツェを、ディーグはただ見ているしか出来ない。
十数年も森に引きこもっていた男に、今にも泣き出しそうな少女をどうすればいいかなんぞ解るはずもなかった。
「わたしはっ――」
言いかけて、頭にわずかな重さを感じた。
ぽんぽんぽん――と勝手がわからず強張り固まった手が、ルーツェの頭を何度か触れる。
「師匠?」
「止めてくれ。子供のあやし方なぞ、私は知らない」
ものすごく困ったような、だけど真剣な表情と目が合った。
単調なリズムで繰り返される柔らかな攻撃に、徐々に呼吸の仕方を思い出していく。
「師匠」
「なんだ?」
「撫でる力が強すぎます。それじゃあ叩いてるのと大差ないですよ」
「む。それはすまない」
ピクリと伸ばした手を引きつらせ、ディーグは少しバツが悪そうにその腕を戻す。ルーツェはそれを名残惜しげに見送った。
「師匠」
「なんだ」
「師匠」
「だから、なんだ」
「ありがとうございます」
ポタリと小さな雫が卓上へとこぼれ落ち、ディーグは今度こそ固まってしまった。




