2話 うわさ話
まだ夜と朝の境が曖昧で、山の輪郭がうすら明かりで浮き出るかどうかの時分。
村では陽が昇ると共に活動し、暗くなると仕事を終える。
魔術具で灯りをつける事もできるが、貴族などの裕福層でない限りは必要としない。せいぜい食卓用のランプがあれば十分だ。
なので大抵の村人は、ランプの必要な時間帯には、まだ眠りに付いている事が多いのだが……。
――ピチチチチ
――ピチュピチュ
――ホゥッホー
「やかましいわ!!」
どこの家よりも早く、強制的に起床を告げられる家があった。
「おはよう! いい朝だな、孫的な者たちよ!」
真っ白いひげを蓄えた細身の老人が、軽快な足取りで食卓の席についた。
「おはよう、じっさま」
「…………はよう、ジジ的なジジイ」
ルーツェにじっさまと呼ばれた老人は、ふにふにと笑みを浮かべている。その笑みからルーツェは老人――ジーウスの悪癖を思い出し、じとりとした目を向ける。
「じっさま……まさか、昨日賭け事に行ってたんじゃ……?」
「な、なんじゃ! ちゃんと勝ってきたぞ!」
「そういう問題じゃなくて、ちゃんと診療所のお仕事してよね!」
もう、これだからじっさまは! と、怒りながらもルーツェは、テキパキと朝食の準備をしていく。ジーウスの前に並べられたのは、固パンと野菜スープに、採れたての卵で作ったスクランブルエッグ。一昨日、村に来てくれた町の商人と交換した、少しのチーズと山羊の乳。今日の朝食はいつもより豪勢だ。
「じっさま、また前みたいに固パンに挑んで歯を傷めないでね。ちゃんとスープでふやかしてから食べるのよ。あと、コハクはいい加減起きて! 半分寝てるでしょ!」
「主に妹的なもののせいですー。朝からルーツェの取り巻きはうるさいし、やれ水を出せだとか灯りをつけろだとか、こき使われるし」
「だってそこにコハクがいたから。わたしだって火打ち石で、火くらいつけられるわよ」
「火打ち石とか……まだそんなもの持ってるの、この家くらいだよ」
「ワシの孫的なものが時代遅れすぎる」
「失礼ね! いいから、さっさと食べなさい!」
ルーツェの頬は、今日もぷくぷく膨れている。
もちろん、この家にも生活用の魔術具は沢山ある。むしろ一般的な家庭より充実しているくらいだ。
魔力を流せば火加減の調節可能なカマドに、飲料水の湧き出る瓶。一定の熱を出し部屋を暖める水晶は、反対に氷のように冷たくなり、冷気を放つことも出来る優れものだ。
流石にこれだけのものを使うには大量の魔力が必要となるが、魔力量の多いジーウスとコハクにはなんの問題もなかった。そう、二人には……。
だが、この家で家事をするのは、主に魔力なしのルーツェである。
結果――魔術具とは名ばかりの、ただのオブジェと化していた。
「というか、わたしの取り巻きってなんのこと?」
「今更そこ拾うの!?」
コハクは、もういいよ……と、固パンに挑んで、早々に負けていた。
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朝食と家の用事を済ませたルーツェは、コハクと共に村の広場に来ていた。コハクには魔石づくりの手伝いがあるが、魔力なしのルーツェに出来ることは特にない。
「なんでルーツェも行くの? じーさん見張ってなくていいの?」
「いいからいいから。それにじっさまは見張ってたところで、いつの間にかいなくなってるもの」
「…………ふーん。別にいいけど、余計なことしないでよ」
普段であれば、ルーツェは診療所の受付という名のお留守番である。いつもは率先してじっさまのサボり対策や、生薬作りに精を出しているというのに。
今日はなぜか、コハクと共に広場に行きたいといい出したのだ。
(コハクには悪いけど、私には大魔術師さまの情報を集めるという使命があるのよ! そのためにも、午前中の荷馬車に乗って町にでなくっちゃ!)
祭りのこの時期、村と町では午前と午後に一度ずつ、互いを行き来する荷馬車が出ている。
普段なら良くて日に一度。町に済む荷馬車商人の体調や気分によって、数日来ないときだってあるのだ。
(誕生祭バンザイ! 女神様に心より感謝を! よろしければわたしに、大魔術師さまに会えるチャンスもください!)
機嫌よろしく広場へと急く妹に、コハクはため息をつく。
「ぜったい俺のそば、離れないでよ」
「な、なに言ってんの! コハクはお仕事あるでしょ! わたしは、魔力研究のため魔石をみたいだけだもん!」
わたわた、と取り繕うルーツェにコハクは疑いの目を向ける。ルーツェはそんなコハクの視線に気づかないフリをしてごまかした。
(危ない危ない。町に行きたいなんてコハクにバレたら、絶対止められちゃう!)
過保護な兄は、基本ルーツェが一人で行動するのを嫌う。
本人が言うには「怪我しても治癒が効かない魔力なしのくせに、無茶して怪我をしてくるから要管理!」なのだそうだが……管理される側のルーツェからしたら、面倒なことこのうえない。
ルーツェが自分用の傷薬のため、山に薬草を採りに行くのにも一人では行かせてくれないのだ。
……まあ、ルーツェがその約束を大人しく守っているかと言えば、そうでもないのだが。
「お、コハクが来た。ん? 今日はルーツェも一緒か?」
二人が広場に姿を出せば、集まっていた男衆が作業の手を止める。
基本広場での魔石作りは、村の男達のみで行っている。女性や幼い子どもは、日常生活で魔力使うため、家で余力がある時に手伝う程度だ。そのため祭りの準備は、畑仕事がない時の男どもの貴重な役割だった。
「何しに来た、オチビ。お前の出番はねーぞ」
「ケニーおじさんったら失礼! 意地悪! ちくちくヒゲ!」
「あんだとー」
村の大人たちは両親のいない二人の子供を気にかけており、特に魔力なしのルーツェは尚更だった。
ケニーと呼ばれた男は、楽しそうにルーツェの頭を片手で押し返し、可愛らしい攻撃をいなしている。
「くぅ! 手が届かない!」
「ほれ~、どうしたオチビ。もう降参かぁ~」
「ケニーはほんと、ルーツェが好きだな」
「ほら、アイツんとこ一番上の娘が嫁に行っちまっただろ。寂しいんだよ」
「ばっ! テキトーな事言ってんな!」
ケニーは顔を赤くして怒鳴るが、怖くない。その隣をコハクがするりと抜け、作業場へ向かう。よくあることなのだ。
「コハクちょうどいいところに。さっき荷馬車が追加の魔石を持ってきてくれてな」
「え! うそ!」
一人の村人が、コハクに声をかけた。しかしその言葉に、なぜか驚愕の声をあげたのはルーツェだった。
「荷馬車! もう来ちゃったんですか? 今はどこに!!」
「ついさっき出ってたぞ」
「そんなぁ~」
その場にへたり込むルーツェに、周りの大人が焦りだす。なんだ、どうした。腹でも痛いか? しかしコハクは違った。
「はーん……なるほど。荷馬車に乗りたくてついてきたんだ」
「ぇっ! あ! そのっ……!!」
まるで、地を這うようなコハクの声に、ルーツェはギクリと身を固まらせる。
「……ルーツェ~」
ジャリ――と石を踏む音が響き、へたり込んでいたルーツェに影がさす。
恐る恐るルーツェが顔を上げれば・・・うっすら笑むコハクと目が合った。
――――――ゴン!
「ぴぎゃ!」
広場に鈍いげんこつの音と、少女の小さな悲鳴が鈍く響いた。
「ふぇぇぇ、聞いてください。コハクが酷いんです~」
天高く澄み渡る青空。まさに絶好の洗濯日和。村にある唯一の井戸に、数人の女性が集まっている。
ルーツェはその中に混ざり、洗濯物をしていた。共同の井戸はポンプ式でその管には陣が刻まれており、魔力を流せば自動でポンプが上下し水を流してくれる。
村の奥様方は、ルーツェが魔力なしなのを知っているので、最初はおのおのやっていた洗濯を、時間を決めてするようになった。ポンプは手動でも組み上げ可能だが、身体的にもまだ小さいルーツェが、組み上げ作業で苦労しないように、ついでだからと声をかけてくれるようになったのだ。
それが今では奥様方の、憩いの場となっている。
「何言ってるのよ。それはルーツェが悪いわよ」
「そうよ。一人で町に行こうとしたんでしょ。ルーツェちゃんじゃなくても怒られてるわ」
作業場から追い出されたルーツェは、コハクによって洗濯場に連行された。
コハクは集まっていた奥様方にルーツェの監視を頼むと、広場へと戻って行った。
「でもでもだって~」
「だってじゃないわよ。あんまりお兄さんに心配かけちゃだめよ」
たしなめるように言われて、さすがのルーツェも黙るしかなかった。長年、手のかかる亭主や子供の世話をしている母親と言う人種に、勝てるはずがないのだ。
「でも、帝都の大魔術師さまがこの近くに来ているなら、会ってみたくないですか?」
ルーツェはちゃぷちゃぷと、薄手の布を洗いながら口をとがらせる。ちなみにこの洗濯物は、ルーツェの家のものではない。
となりでは恰幅のよい女性が、じゃぶじゃぶと旦那の上着を洗っている。
「はー、魔術師様ねぇ」
「私らには関係ないお人だし……なんとも言えないわね」
「ただの魔術師さまじゃなくて、大魔術師さま! 大魔術師さまは帝都の魔術師さま達の中でも、特に優れた才能を持つ魔導軍のトップで……」
「ハイハイ。ルーツェちゃん、落ち着きなって。学のない私らにはさっぱりだわ」
魔力関係のこととなると暴走するルーツェに、また始まったと呆れ顔でそれを止める。
「最近は物騒な話が多いから、心配なのよ。……ほら、東の方の町で、魔物に傭兵が襲われたとか!」
「私も聞いたわ! あと、隣の領地では魔石泥棒が出たとか出ないとか!」
「あら? うちが聞いたのは、大きな魔石商が盗賊に襲われたって聞いたわ」
「私はとある大貴族様の飛獣が盗まれたとか……」
魔物に、盗賊、魔石やら飛獣泥棒……一人の女性の言葉を皮切りに、奥様方の聞きかじった情報が飛び交った。
ルーツェは頭上で交わされるそれを、目まぐるしく聞きかじる。
「ま、こんな田舎の村じゃ縁のない話よね」
「そうね。祭りの時期で捧げの魔石はあるけど、お役人さんがちゃんと管理してくれてるんでしょ?」
「ああ、あの若い男の子!」
「少し頼りなさげだけど、なかなかの男前よね」
「でもあの子もう少し筋肉つけないと。男ならがっしりしてる方がいいわよ」
「何言ってるの! あんたの旦那はがっしりどころじゃ、ないじゃない」
そう言って笑い出す奥様方に、ルーツェは件の旦那様を思い浮かべる。確かにシャツのボタンがはちきれそうな、筋肉隆々の男性だった。比べる対象がおかしいと思う。
「ねえ、ルーツェはあのお役人さんのことどう思う?」
「え?」
意味ありげな笑みを向けられ、ルーツェは内心顔をしかめる。やばい、一刻も早くこの場を去らねば! 例のあれが始まってしまう!
暇を持て余し、刺激に飢えている女性の好物『他人様の色恋沙汰』という名の宴が……。
立ち上がろうとするルーツェに、そうはさせぬと俊敏な動きで周囲を固める。
「歳もそんなに離れてないし、気になったりしてないの?」
「してません」
「そんなこと言ってー、本当のところはどうなの?」
「だから、本当のところも、なにもないですよ~」
「えー、むしろ頑張りなさいよ! 村にいても出会いないんだから、狙っていきなさい!」
「もう! ほっといて下さい!」
村にも子供はいるが、全員が十にも満たない幼い子達ばかりだ。あとは皆成人して村を出たか、所帯を持ち暮らしている。故に、間もなく成人を迎えそうな年頃なのは、コハクとルーツェくらいしかいなかった。
ちなみに、帝国では男子は十八、女子は十五で成人とみなされる。
「そう言えばあのお役人さん、コハクと仲が良かったわよね」
「珍しいわよね。あのコハクがルーツェ以外になつくなんて」
「コハクも見た目はいいのに。町の若い娘の間じゃ結構人気あるって聞いたわよ」
「まあ……町の若い娘は普段のコハクを知らないから……」
「ははは……」
皆が一様に遠い目をして一人の少年を思い浮かべた。
コハクは同年代の子たちに比べて、多少大人びていた。いや、大人びていると言うより淡白、もっと正確に言えば……くたびれていた。
先程の女性の言う通り、見た目は悪くない。むしろ整った顔をしている。動作も気だるげで、ぱっとみは儚く憂いがあるようにでもみえるのだろう。が、みえるだけで実際は違う。
彼はただの、面倒くさがり屋の寝坊助である。
仕事に対してもアレだ。いい加減ではないが、誠実でもない。むしろサボれるならサボりたい。寝ていたい、惰眠を貪りたい。
「アンタ達が村に来てだいぶ経つけど、私はコハクのはしゃいだ姿を見たことないよ」
「ルーツェの事で怒ってる姿はよく見るけど、それ以外は常時眠そうだものね。というか仕事場でもよく昼寝してるわね」
「仕事場でもああなら……ねえ」
なら何だ、とルーツェは思ったが、口を噤むしかなかった。反論の言葉が思い浮かばなかったのだ。
コハクの行動は至ってシンプル。ルーツェか睡眠だ。
二人は災害孤児で、血の繋がりはない。ルーツェが五歳のころ大きな地震があった。その時の記憶はショックのせいか、あまり覚えていない。だが、土砂と壊れた家屋の下敷きになる両親の姿だけは、ルーツェの記憶に鮮明に残っていた。
その少し前に知り合ったコハクも、家族を亡くしたらしく二人で遠いとなり町まで山を超えていった。
そうして辿り着いた町で診療所に担ぎ込まれ、身寄りがないからと治癒医師であるジーウスに半ば強引に引き取ってもらうことになった。そうして数年前に、三人でこの村に移ってきた。
あの災害以降コハクは、ルーツェが怪我をするのを極端に嫌うようになった。それは単純にルーツェの身体が治癒の効かない体質で心配だからかもしれないし、親しい者を失ったことによる恐怖があるのかもしれない。理由はわからないが、コハクが話そうとしないので、ルーツェもわざわざ聞くつもりはなかった。
「でも、コハクに年齢の近い友達が出来て良かったわね」
「はい!」
一人の女性に優しく告げられ、ルーツェは嬉しそうに微笑んだ。