1話 魔力なしの少女
――コケーココココ!!
――ケーケー!!
「コラ、いつまで騒いでる! ったく、これだから祭りの時期は騒がしくってしょうがねえ」
「仕方ないよお前さん。祭りで使う魔石に動物たちは反応しちまうもの。もうしばらく辛抱しな」
雪が溶け出し、緑が顔を出し始めた今日このごろ。
数日前まで白を被っていた野山には、冬の面影はほとんど残っていなかった。
――コ、………………
それまで騒々しく跳ね回っていた鶏が、急に大人しくなった。
「なんだ? トリ共が、いきなり静かになったぞ!?」
首を傾げる農夫の背を、隣りにいた恰幅の良い女性がたたく。
「ほらお前さん。あそこ」
「ん? ああ、なるほど。ルーツェか」
すっかり暖かくなった陽射しの中、一人の少女が雪解けでゆるくなった路をかけてくるのが見えた。
「大変! 大変よー!」
手製のバスケットを抱えながら、頰を紅潮させ走りぬける少女に、他所の家の大人たちは苦笑を浮かべ作業の手を止めた。
ああ、もうそんな時間か……と。
「おーい、ルーツェ。お前のおかげでトリ共が大人しくなったーありがとなー」
「えー? わたしなにもしてませんよー?」
その場で足踏みをし首を傾げる。
「なんか知らんがお前がいる時、トリ共は静かになるんだ」
「うちの犬もそうだ」「俺のところもだ」
「よ、獣使い!」
「変な呼び方しないでください! もう、わたし急いでるのに!」
ぷっくりと頬を膨らませ、再び走り始める。
「気をつけろー? そんなに慌ててると転ぶぞー」
「可哀想に、またコハクの昼飯が無くなっちまう」
「だからアイツはあんなにひょろっこいのか! 腕っ節はつえーけど」
「確かに! 腕っ節はつえーのにな」
わははと、笑い出す大人たちに、少女――ルーツェレアは、かける足を止めないまま、さらに頬を膨らませる。
「失礼ね! そんな毎回転んでるみたいな言い方っ……きゃあ!」
澄み渡る青い空に、こんがりと焼けたパンが三つ。蹴り上げられた泥しぶきとともに舞い上がった。
********************
「……空腹だ」
「ごめんってば!」
窓辺や扉には吊り下げられた色とりどりの石が陽の光を受け、キラキラと輝いている。
村はいま、年に一度の大きな祭りを控え浮足立っていた。
中央の開けた場所には、今日も多くの人が集まり、祭りの準備に追われている。
――――祝福の女神の生誕祭
春の訪れを告げる女神に、感謝と豊作の願いを伝える儀式。
祭りでは地域規模で協力し、自分たちの魔力をつかって大量の魔石を用意する。そうして、一年の感謝と共に魔石に集めた魔力を天の女神へと捧げるのだ。
「ルーツェは魔力なしだから、魔力を使い切ったあとの疲労感がわからないんだ。もう帰って寝たい。疲れた。一日中惰眠を貪ってゴロゴロしていたい」
大木の盛り上がった根元に、腰を降ろした一つの影がへにょりと肩を落とす。
村の到るところにある多彩なガラス石を、普段なら――いや普段であっても特別なんとも思わないが――朝から働き通しで空腹を訴える身には、チカチカ鬱陶しく感じる。
祭りの時期になると、こうしてガラス石を魔石と模して飾り付けたりする。
「そう言うけど、コハクはみんなからご飯分けてもらったじゃない」
「あんな量、食べたうちに入りませーん」
あーあ……と、ため息を漏らした少年――コハクは、それで? とルーツェを見た。
「すぐ転ぶくせになんで走るの? 魔力だけでなく学習能力もないの?」
「なっ! ……むぅ、今日はちょっと急いでたから」
「怪我は? 服も誰かにキレイにしてもらったの? 皆祭りの準備で魔力使いまくってんだから、搾り取るようなことしちゃだめだろ」
「搾り取ってないよ! 服だってヘルンおばさんが貸してくれただけだし!」
「怪我は?」
「…………」
「け が は?」
表情はどちらかと言えば眠そうにぼんやりとしており、特別声を荒げたわけでもない。なのに、半目で睨めつけてくるコハクの背には、おどろおどろしい暗雲が立ち込めていた。
「ボディチェックはいりまー」
「左ひじを少しだけ擦りむきました!」
「最初から素直に白状してよね。ほんと、面倒くさいなー」
「~~~っもう!」
ぷくぷくと頬を膨らませながら、ルーツェは観念して左腕を差し出した。
コハクは常備している傷薬を手早く塗り、くるくると包帯をまいていく。
(ただの擦り傷で大げさすぎるよ)
「大げさじゃないし、そもそもすぐ怪我するルーツェが悪い」
「え! 声に出てた!?」
「顔に書いてた」
コハクは包帯をカバンにしまうと、木製のカップを一つ取り出した。裏側には魔法陣が記されており、魔力を送ると淡い光を放ちカップは見る間に水で満たされた。
「治癒術も回復薬も効かないのに……怪我しないでよ」
しかしルーツェはカップを受け取ろうとせず、さも当前のように自分のポーチから、ざら紙を取り出し握る。
あれ? 人の話聞いてたのかな、この馬鹿は?
「それより魔力の流れが知りたいから、中の水、氷に変えてみて」
「俺、午後からまた魔石作りなんだけど? わかってる? この魔力馬鹿が!」
「ねえ、お願い! 早く!」
今や魔術も研究が進み、生活用品にまで魔法陣が書かれている。火をおこすのも、水を湧き出させるのも陣に微量の魔力を流すだけで出来る。もちろん記述式の魔法陣がなくても術は使えるのだが、陣が用意されていれば誰でも簡単に術が発動するということだ。
なんでも生物の体内には”魔核”というものがあり、そこに”魔素”エネルギーを取り込み”魔力”へと変換するらしいのだが…………。
魔力なしのルーツェの身体は、魔力効果の一切を、産み出しも受け止めもしなかった。
「わたしだって、せめて治癒や回復薬の効く体になりたいの! そのための魔力研究よ!」
そこまで言われると、コハクは渋々水を氷に変えてやるのだった。
それこそ「もう一回!」と何度も強請るルーツェのために、六度ほども。
********************
さて、祭りが終われば種まきの時期となる。
ルーツェの住むティラナ村は冬の寒さが厳しく、冬の殆どは家に閉じこもり、内仕事をしたりする。
冬に作られた内仕事の品は、村はずれの大きな河を渡り大人の足で半日ほどの距離にある、この地域では大きめの町――ランナの町に売りに出すのだ。
また、毎年恒例の生誕祭は、村でも内々で祝いの料理を振る舞ったりするが、本番は魔術師によって町で行う還元の儀だ。そうなってくると、捧げの魔石も多数必要になるので、村の倉庫を開放し準備に協力している。
巡り巡って捧げた魔力は地へと還る。そうなれば、その年の農作量にも関わるので、村の者も真剣に取り組むのだ。もちろん町からは、微量の賃金も支払われる。
「あ、ルーツェ! やっと見つけた! 探したよ~」
へろへろと、怪しい足取りで一人の青年がこちらに近寄ってくる。
本人は走っているつもりなのだろうか? 周囲にはかろうじて足を進めているようにしか、見えなかった。
「あれ? カルダさん」
「こんにちは」
「こんにちは。コハクの所にいるって聞いたから、作業場を探し回ったのに」
こんなところにいたのか……と、カルダと呼ばれた青年はハの字眉をつくった。
「え? カルダさん顔色悪いと言うか、目の下、隈がひどいですよ……大丈夫ですか?」
「祭りの忙しい時期、カルダみたいな新人はこき使われるに決まってる。……ご愁傷様だね」
カルダは昨年の秋に町役場に配属された新人で、町と村の連絡係をしている。何度か行き来しているうちに、歳が近いコハクと親しくなり、ルーツェとも話すようになった。
「そうだけど! あと、コハク! 僕これでも年上なんだけど!」
「年上って、二つだけでしょ」
「そうだけど! 職場でこき使われる下っ端を、労うくらいしてくれてもいいんじゃないか?」
「下っ端なら下っ端らしく、黙って仕事しなよ」
「ひどい! もう三日もまともに寝てないのに、あんまりだぁ」
「ああ……カルダさんのテンションがおかしい……本当に疲れてるんですね。今度気持ちが落ち着くハーブ茶とか、リラックス出来るアロマ香作ってきます! だからお仕事頑張ってください!」
「う……うぅ…………ごめんね、ありがとう」
ちなみにルーツェは今年で十三になる。自分より、五つも下の女の子に心配をかけ、あまつさえ気をつかわせたことに、カルダはとても居たたまれない気持ちになった。
「それよりルーツェに用事があるんだろ? なに?」
「そうだ! ルーツェに頼みたい仕事があってね」
「え! わたしに仕事!?」
ルーツェは信じられない! と、勢いよく立ち上がりカルダに詰め寄る。
「カルダさんわたしが魔力なしなの知ってますよね!? 簡単な魔法陣も発動させられないから、魔術具はおろか、魔術ペンも使えないし、永久ランプの点灯も出来ない。さらには一歳児でも出来る、そよ風をおこすことすら出来ない! そんなわたしに……仕事!」
ずずい! と、身を乗り出すルーツェに、カルダは半歩身を引く。
「あー、……と、仕事といってもそんな大層なことでは……」
「仕事は仕事でしょ! で、内容は! わたしの、初・仕・事! の内容は!!」
「えーと……」
「役場で保護した犬の世話を頼みたいんだけど……」
「…………え?」
犬? と、ルーツェが目を瞬かせた横で、コハクは大爆笑している。
「あはははは! 犬の世話だって! ルーツェにはぴったりの仕事だね!」
「どういう意味よ!」
「だってルーツェ、動物にはすごくモテるじゃないか。ほら、いまだって……」
そう言ってコハクは、ルーツェの膝元に目線を向けた。そこにはいつの間に集まったのか、小鳥やこまフクロウが群がっていた。
「小動物や臆病な動物の中には、自分以外の魔力を嫌う種が多いからね」
「特に今は祭りの準備で魔石が村中にあるから、余計に集まってくるんだよ。朝もピーチクパーチクうるさくて寝てらんないんだけど。俺の安眠妨害やめてくれる? これだからルーツェは」
「わたしのせいじゃないもん!」
むむむ、と口をとがらせるルーツェに、コハクは素知らぬ顔でそっぽを向く。
カルダはそんな二人を諌めながら、眉尻を下げた。
「実は二週間ほど前に、怪我をした仔犬を保護してね。……でもその仔犬、前の飼い主に虐待を受けていたのか、ひどく魔力を怖がるんだ。今は役場の裏で面倒をみてるんだけど、役場でも魔石を使う事が多くて怯えててさ。せめて祭りが終わるまで仔犬の世話を、ルーツェに頼めないかなって思ったんだ」
「なるほど。お世話するのはいいけど、うちだとじっさまが……」
「え? あ! そうだ! 君たちのお家は…………」
「うん。うちの環境だと、その仔犬には虐待だよね。ある意味」
肩の荷を降ろせると思っていたカルダは、一つの事実を思い出し顔をしかめる。
「じっさまが診療所で使う回復薬や魔石を精製したりするから、意外と魔力を使うことが多いんです。たまに治癒術も使ったりするし」
「そうだ……おじいさんが、診療所の治癒術師だったね」
あー、そうだった! 忘れていた! とカルダは頭を抱える。
「ああーん! でも仔犬って可愛いわよね、いいなぁ! 飼いたいなぁ~」
「ならいっそ、祭りの期間だけおじいさんに町に出張してもらうとか……」
「最近固いものが噛み切れないってぼやいてる、我が家のジジ的なものを追い出せって言うの? なんて役人だ」
「カルダさんひどい! なら、わたしの代わりに、最近腰が痛いってうるさい、じっさまの腰さすってくれるんですか!」
「ごめん! 言ってみただけだから!」
二人がかりで詰め寄られ、カルダが降参する。
軽々しく適当な事を言うものじゃない。お年寄りは大事に。
「そうよ! 裏山の入り口にある共同納屋に、おいてもらおうよ」
名案だとばかりに、ルーツェが声を上げた。
ルーツェとコハクの住居である、じっさまの診療所は、村から少し離れた場所にある。
十数年前、もともと別の町から来たとかで、気づいたら村の外に住み着いていたらしい。村に診療所がなかったので、特別追い返すこともなくそのまま受け入れられたということなのだが……ルーツェもコハクもその辺の話は、詳しくは知らなかった。
「あそこなら診療所からも近いし、わたしも薬草取りのついでに寄れるし」
「ルーツェ……。もしかして、また一人で山に薬草取りに行ってるの? しかも頻繁に?」
「へ? あ、しまっ……!」
にっこり。逃げられないようルーツェの腰帯を掴み、コハクが薄ら笑う。
「へ~……。俺との約束、守ってくれてないんだ。危ないから山に一人で行かないって約束してたよね」
「だってコハクもじっさまも最近、魔石作りで疲れてるでしょ! あんまり迷惑かけちゃだめかな~って思って……」
「ルーツェが見てないところで、好き勝手するほうが疲労が溜まるの」
「別に魔物が出るわけでもないし、いいじゃない!」
「何もないところで転ぶ馬鹿は、どこぞの獣の巣穴に落っこちるかもしれないだろ」
「~~~~! 何年前の話よ!」
「え? ルーツェ、落ちたことあるのかい?」
「カルダさんは黙ってて!」
ぷくぷくぷくーと頬を膨らませ、ルーツェはコハクを睨みつける。
いつだってこの三つ年上の兄は、ルーツェのことを幼子扱いするのだ。心配してのことだとはわかっていても、己の無力さを突きつけられているようでルーツェは悔しかった。
「確かに、わたしは魔力無しの役立たずよ!」
「そこまで言ってないし」
「でも! 生涯そうだとは決まってないじゃない!」
「「……?」」
そう言って立ち上がったルーツェは、ビシリとコハクに人差し指を突きつけた。
「そう! わたしの魔力はちょっとお寝坊さんなのかもしれない! コハクみたいに!」
「は? 色々まてこら」
コハクは半目を更に細め、
「もう少し大人になれば、素晴らしい才能が開花するかもしれないし!」
「ルーツェ! 君は、なんて前向きなんだ!」
カルダは涙をにじませた。
「帝都では魔術の研究だって進んでるし、わたしみたいな魔力なしに魔力を芽生えさせる研究だってされるかも………………、あーーーーーーーー!!!」
突如ルーツェが吠えた。情緒不安定か。
それまで彼女の熱弁にそれなりに耳を傾けてあげていた二人は、ビクリと身をこわばらせルーツェをみる。
「びっくりした……急になに?」
気でもふれたのかと、ちゃかすコハクに反論するどころか、ルーツェはピクリとも動かない。
まるで、重大な何かを、たった今、思い出したと言わんばかりに、固まっている。
「……大変、大変なのよ! どうして忘れてたの!」
「だからどうしたのさ」
わなわなと身体を震わせ、興奮気味に両手で顔を覆うルーツェ。肝心の内容がはっきりせず、コハクとカルダは互いに顔を見合わせた。……その時。
ルーツェが両手を広げながら、二人の前におどり出た。
「この村に、帝都の大魔術師さまが来るんですって!」
キラキラと瞳を輝かせ、小さな胸に希望を膨らませ言い切るルーツェに、コハクもカルダも彼女の言葉を脳内で反芻し吟味する。
そして一言。
「「騙されてるよ、ルーツェ」」
こんなど田舎の寂れた村で、そんなこと絶対ありえるわけがない。
一刀両断に否定された言葉に、ルーツェの頬はこれ以上ないくらい膨れ上がった。