16話 出来ること
「ジーウス医師が不在のぉため、カルダ・ソート君は町の診療所に送りました」
人払いがされた村長宅の一室。ルーツェとコハクは身を寄せて座っていた。
テーブルを挟み対面するのは、アグソルトにウルグウ。後は洞穴探索に同行していた部下が二名。
昨晩、呪具によって隠されていた洞穴が見つかり、報告のためアグソルト達は村長宅に残っていた。
ある程度話がまとまり一度役場に戻ろうと準備を進めていた時、カルダが倒れたと報せが入った。
「再三申し上げますが、菓子を用意したのワタシです。ガ、手紙は一切知りません」
先程からジト目でアグソルトを睨みつけているルーツェに、何度目かの自己弁護をする。
確かに村の者に確認をとると、菓子を持ってきたのは別の役人で、受け取った村の者は休憩所の机の上に置いたと言っていた。その際、手紙のようなものは無かったと両者が証言している。
しかし実際は、丸太椅子の後ろに立てかけるように置いてあったし、怪しい手紙まで入っていた。
「恐らく封を開けると発動する呪具だったのでしょう……」
言葉尻を濁し、ウルグウが低く唸る。
「封筒はわたし宛だったんです! わたしのせいでカルダが巻き添いにっ!」
「ちなぁみに、その手紙は呪に焼けて残って無いのですよね?」
「……はい」
通常呪具は今回のように紙や板など、呪詛である術式を書き移せる物を媒体にする。
魔石に術式を刻み込む方法もあるが、高度なため多量の魔力を永続的に消費する。
また媒体が紙などである場合、呪の発動の影響で共に燃えてしまうため証拠も残りにくい。
「きっと洞穴の犯人が、呪具を壊したわたしを恨んで……」
「ルーツェ!」
強い口調でコハクに遮られ、ビクリと肩が揺れる。
「……とにかく祭りが終わるまでは役場もそう人員を裂けません」
「役場長。念の為、少女の保護を行っては?」
アグソルトは骨ばった皮だけの指を、小指から順に折り曲げる。その度細すぎる骨が悲鳴を上げるため、聞いている方はヒヤリとしてしまう。正直やめてほしい。
ウルグウは座っていても頭一つ分はアグソルトより飛び出る巨体を揺らし、思案げに提案をした。
「幸い役場には宿舎もある。もしくは護衛をつけて女子職員宅に……」
「それでしたら現役騎士である、クレイド殿がいるご自宅のほうが安全でしょう」
「しかし、あの方が抜けると討伐隊のほうは?」
「もとより休暇中のお客人です。少々頼り過ぎていましたね」
意外とまともな事を言うアグソルトに、ルーツェは少し関心した。
「ルーツェレア・ルクラスさん」
「はい」
ふと、正面から名前を呼ばれアグソルトを見る。
骨がでっぱり薄くコケた頬は、普段から血色は良くないのに、今はさらによろしくない。
窪んだ目元が暗く感じるのは、疲労のせいもあるだろう。
「仮にです。もし貴女の言う通り何者かが、貴女を狙ったといたしましょう」
「……」
「そしてそれが、あの洞穴の件に関与することであるならば、貴女をあの場へと引っ張り出したワタシにこそ咎がありましょう。貴女には何の非もございません」
真正面。落ち窪んだ薄暗がりから、真摯な光がルーツェを射抜く。
「貴女方を危険に晒したのはワタシの落ち度です。申し訳ありませんでした」
立ち上がり深々と頭を下げた。
ルーツェもコハクも……居合わせた他の役人達も誰もが息を飲んだ。
田舎の小さな町役場とは言え、アグソルトは役場長――そこのトップだ。
それがどれほどの地位にある人なのかルーツェには検討もつかないが、それでも平民の小娘に簡単に頭を下げさせていい相手ではないことはわかる。
「役場長!」
ウルグウの焦りを含んだ声に、我に返ったルーツェは慌ててアグソルトに向き直る。
「あ、あの! 頭を上げて下さい! わたし、そんな」
ルーツェの声に重々しく顔を上げたアグソルトに、一同安堵の息をつく。
「では、子どもたちを家まで送りましょうか」
いつものホロホロとよくわからない笑みを受かべ、アグソルトがウルグウに指示を出す。ウルグウはどこか戸惑った様子を残しつつも、別の部下を呼ぶため部屋を出て行った。
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昼過ぎ、役人に送られ帰路についた。
ルーツェはどこか落ち着かずそわそわとしていたが、コハクが「お腹へった」と騒ぎ立てるため、遅めの昼食を用意する。
先程までうるさくしていたのが嘘のように、コハクも静かに食卓の席に着く。しばらくしないうちに匂いに釣られたのか、客間で休んでいたクレイドが姿を現した。
微妙な気配を察したのか、コハクに怪訝そうな顔で理由を問う。
かい摘みながらも明かされてれていく内容に、クレイドの表情も苦苦しいものへと変化していった。
「呪具か……。昨日の今日で、君たちはどうしてそう危ないことばかり」
頭を抱え、食卓へと突っ伏したいのを我慢する。
クレイドがちらりとコハクに目を向ければ、こっちに振るなと言わんばかりに肩をすくめられた。
「クレイドさん、どうぞ」
「ああ……ありがとう」
クレイドの分の食事を用意していたルーツェが、奥から戻ってきた。
げんなりした様子のクレイドに、何を勘違いしたのかルーツェが心配そうに眉根を寄せた。
「このスープ飽きちゃいました? 最近ちゃんとお買い物行けてなくて」
「え? いや、違うよ! ルーツェの料理はいつも美味しいよ、ありがとう」
「俺は飽きた。肉が食いたい」
野菜ときのこたっぷりの定番スープ。
魚介は無理だが、干し肉や狩りが行われたときなどは新鮮な肉も手に入る。が、近頃物騒な事件がたて続きに起き、それどころではなかった。
いつもなら「文句言わないで黙って食べる!」と怒り出すのに、それどころか「じゃあわたしのきのこ、分けてあげる」と自分の皿からコハクの皿へと具を移しだす。
その様子にコハクは信じられないと目を丸くし、持っていたスプーンを取り落としてしまった。
「なに?」
「やっぱりお前疲れてるんだろ? 熱は? 意識はちゃんとあるの?」
ルーツェのおでこに掌をあて、もう一方の手で首筋の脈を測る。心配そうに身を乗り出すコハクを、ルーツェは嫌そうな表情で押し返す。
「何でも無いよ! おかず分けてあげただけじゃない! 失礼しちゃうわ」
ぷくっと頬膨らませるルーツェは、コハクの手が引いたと思うと、今度は更に大きな掌に額を包まれた。
「……クレイドさんまで」
「あ、すまない。本当に大丈夫なのかと思って」
ぱっと手を離し、斜め向かいの席に戻るクレイドに半目を向ける。
「むう! 二人共もわたしのことなんだと思ってるの! それに、そんなに食いしん坊じゃないんだからね!」
「食いしん坊だよ」
「…………はは」
「もうーー!」
少し冷めたスープを頬張り、ゴクリと飲み込んだ。
食事をする姿に安心したのか、男二人も止めていた手を再開させる。
それでもどこか心ここにあらずなルーツェに、クレイドがちらちらと落ち着かない様子だ。
「あーその。今日は天気もいい素敵な朝だね」
「曇りだしもうすぐ夕方だよ」
「いや、コハクそこは……え? もうそんな時刻なのかい?」
「そもそも戻ってきたのが朝だったじゃん」
なんとか空気を変えようと、適当にぶん投げられた話題を、コハクは受け取ることなく見送る。
ルーツェに至っては完全にスルーだ。
「……そうだ」
「? 何?」
最後のスープを飲み干した後、ルーツェは静かに食器を置きぽつりともらす。
急になんだとコハクが首をかしげると、ルーツェは勢いよくクレイドへと向き直り頭を下げる。
「わたしも討伐隊のメンバーに入れて下さい!」
「………………ん?」
「わたしも」
「嫌、そうじゃなくて……あー、と、・・・無理かな」
「そこをなんとか!」
クレイドに詰め寄っていくルーツェを、コハクが冷めた目で見る。
またこの馬鹿妹は、わけの分からないことを。
「クレイドさん!」
「駄目だよ」
「でもっ」
「悪いけど、討伐隊でルーツェに出来ることはないよ。むしろ足手まといになって、危険に繋がるかもしれない。それは自分でも解かっているんだろう?」
「…………」
席にまで詰め寄ったルーツェを咎めることなく、クレイドは食事の手を止め向き直り小さな両手を取った。
諭すように告げられた言葉は痛いほどルーツェに届き、同時に理解したくなかった。
「わたしも犯人を捕まえるために何かしたいんです」
「そうだね」
「でも、わたしに出来ることが何もなくてっ!」
昼間の光景を思い返し涙がこみ上げてくる。
数日前、自我を失った獣が現れた。魔石が盗まれ、犯人が捕まった。呪具で隠された洞穴から大量の獣の死骸と、盗まれた魔石が発見されたことにより、ロージが魔物を意図的に作り出していたのではと思われていた。
しかし、犯人であるはずのロージは取り調べ前に気が触れてしまい、現在は役場で拘束されている。
ならば誰が呪具の手紙を用意した? 共犯者がいて、そいつがルーツェを狙ったのではないのだろうか。
「わたしのせいでカルダが巻き込まれたのに、わたしは……」
魔石を壊したことを、カルダは気にするなと言ってくれた。
呪具の手紙の事を、アグソルトはルーツェに非はないと言ってくれた。
コハクが、クレイドが……皆がルーツェを心配し、気遣ってくれる。
なのに――
「わたしに出来ることが ” わたしは何もしない ” しかなくてっ……」
大粒の涙が、止めどなく溢れ出て喉が焼けるように痛い。
こんな食事の最中に急に泣き出して、わがままを言って。それなのにクレイドは、そっと立ち上がりルーツェを抱き上げてくれた。
まるで幼い頃、ルーツェがぐずった時に父親がしてくれたようなそれに、ますます涙が止まらなくなってしまう。
「ルーツェに一つ、いい事を教えてあげよう」
クレイドが、あやすようにくるりと反転する。いつもより視線が高くなっているルーツェは、突然のことに目を丸くした。
「君は視野が狭せぎる」
「な”……な”に”そ”れ、全然いいことじゃな”……」
涙と鼻水でグシャグシャのルーツェに、下からタオルが放り投げられる。
コハクが投げよこしたそれを顔面でキャッチしたルーツェは、遠慮なく使用させてもらう。
「きったない顔」と心配なのにどうしていいかわからないコハクに、クレイドは素直じゃないなぁと小さく笑う。
「いいかい、ルーツェ。討伐隊では、君に出来ることは無いと私も思う」
「……はい」
「でも、討伐隊に入ること事は、本当に君がすべきことかな? それ以外にも、君に出来ることは沢山あるんだよ」
クレイドの言葉に、ルーツェは納得いかないと言う表情で押し黙る。
「例えば……今だって美味しい料理を作ってくれたり、私が疲れた顔をしていたら声をかけて心配してくれた」
「ぞんなの……誰だっででぎるし、関係、な……」
「まだまだあるぞ? 朝は私の分の衣服もちゃんと整えてくれていたり、いつものスープもいつの間にか好きな具材が多く入るようになった。夜遅くなった時は部屋を暖かくしておいてくれたね。山に入った時は、好きな花の名を、色を、香りを、素敵なんだと私に沢山教えてもくれた。いつも、当たり前のように私も家族の輪へといれてくれた――ルーツェにとっては何でも無いことでも、私に取っては嬉しいことだったんだ。明日も頑張ろうと、元気をもらっていたんだよ。知らなかっただろう?」
きょとんと、今ひとつ理解していない表情のルーツェにクレイドは可笑しそうに続ける。
「今だってコハクより私を頼ってくれて、とても誇らしい」
「きっしょ」
「ほら、コハクは可愛くないだろ」
二人でコハクへと目を向けると、むすりとテーブルに肘を付き口を尖らせるコハクのつむじが見えた。
それを見て、ようやくルーツェに小さな笑みが戻る。
「だからねルーツェ。何も出来ないと思い込むのはやめなさい。君には何でもないことでも、誰かの役にたっている事もあれば、知らずに支えになっていたりする事もあるんだよ。君には素敵なところが沢山あって、その中には君だからこそ出来たことだってちゃんとあるんだ。でもそれを、君自身がまだ気づいてないだけさ」
「……そんなこと言われても、わからない」
「だろうね。だからさっき教えてあげただろ? 『君は視野が狭すぎる』って」
俯いていた顔をクレイドへと向け、瞳を瞬かせる。細く長い睫毛には小さなしずくが残っており、キラキラと光を反射させている。
抱き上げていた腕からゆっくりと下に降ろされ、小さな両足が床板を踏みしめる。
くしゃりと頭を撫でられ、いつの間にか滲んだ目元も乾いていた。
「何も無いわけじゃない。ちゃんとあるのに、気づいてないだけだ。本当は出来ること、今は出来なくてもいつか出来るようになること。もちろんどうしたって出来ないことだってある。ちゃんと見て、探して、考えなさい。自分には何もないと放棄してはいけない」
「……!」
「私の言いたいこと伝わったかな?」
唇を噛み締め頷く。今度は泣かない。
大事に、今貰った言葉をルーツェは反芻する。
(今のわたしにも出来ること……)
目元を拭い、鼻をすする。
「別に大それたことしなくていいんだよ。ただ、お友達に何かしてあげたいんだろ?」
「うん」
「なら、今思い浮かぶ ” 出来そうな事 ” を探してごらん」
「………………、じゃあ」
そう言われて、一つの事が頭に浮かんだ。
役に立つことでもなければ、場合によっては迷惑になるかもしれない。だけど……
「明日、カルダのお見舞いに行きたい」
ルーツェは通る声で、はっきりそう告げた。




