第三話 魔王、旅立つ
「魔王、準備しましょうね」
魔王はあの窮屈な檻から出ていた。しかし、逃げることは出来ない。目の前のミルク色の髪をした少女にテイムされているからである。あの握手の瞬間に魔王である自分をテイムした彼女は実はレベルが高いのだろうか。基本的には魔物のレベルが高い場合は魔物をテイムすることは出来ない。テイマーのレベルが魔物より高いかまたは魔物が従属を願う場合のみテイムすることが出来る。自身がこの人間の小娘に従属することを願った?そんなわけはない。
頭の中の考えを振り払うように頭を振ると、少女から文句が飛んできた。
「魔王、少し大人しくしててくれますか?服が着せれないんです」
「……」
この少女は父親と似て、普通の人間とは違う生物のようだ。自分を見て、物怖じしないどころか文句まで言ってくる。この少女の父親である男もまるで自分をそこ等の弱小魔物と同じように扱ってくる。
しかし、不思議と心地悪さを感じない。何か魔王でも知らない特別な魔法でもスキルでも使っているのだろうか。
「出来ましたよ!これで旅の装いは完璧です!」
やり遂げた顔をしている少女を尻目に自分が着せられた服装を見る。この国の伝統衣装のようで、それでいて動きやすいように作られている。色は黒く、ところどころに金色の刺繍が施されていた。
「特注なんですよ。何せ、この辺りにはこんなに大きな人間はいませんから」
にこにこと何が楽しいのか分からない。この少女は本当に自分が魔王だと本当に信じているのだろうか。試しにその細い首に手を伸ばしてみる。
「じゃれてるんですか?」
人間の急所である首に触れても少女はくすりと笑うだけだった。それよりも少女の足元にいるホーンラビットの形をした何かが殺気立ってこちらを見た。少しでも力を込めたら、こいつの正体が分かるだろうか。少し愉悦を感じた瞬間だった。
「準備は出来たかい?」
少女の父親である男が扉から顔を出した。その瞬間、無意識に手を下していた。なぜだろうか、分からない。
「出来ました、父さん」
「アンやリンリン、魔王がいなくなると思うと寂しいなあ」
男は何の敵意もなく、私の肩を叩いた。
「大丈夫ですよ、隣国についたら手紙書きますから」
「そうか、頼むよ」
親子が愛情の抱擁をしているのをしばらく見て、それからこの狭い小屋を出た。久々に見た青い空に何の感慨も湧かなかった。
「じゃあ、いってきます!」
「いってらっしゃい、元気で」
男と別れて町を歩いていく。私を見て、そこら中で悲鳴が聞こえるのに、少女は聞こえていないのか軽い足取りで歩いていく。
「そういえば、魔王には名前はあるんですか?」
なんでもないことのように聞いてくる少女を見つめる。名前を取って従属させようという気もないらしい。少し間を開けて、口を開いた。
「今の余に……名はない」
「じゃあ、買ってもらった人に新しい名前を付けてもらえるといいですね!」
笑ってそういう少女の名前は確か、なんだったか。
思い出そうとして、なぜか別の人間が出てきた。どうしてあの人間の女が出てくるのだろう。記憶障害でも出たのだろうか。
「私の名前はアンです!こっちはリンリン!」
少女アンはホーンラビットの形をした何かを抱いて、楽しそうに笑っていた。
「アン」
「そうです!アンです!」
アン、と口に出すと元から知っていたかのように簡単に名前が口から滑り落ちた。冷たい虚空のような胸に何かを感じた気がした。
「お母さんがつけてくれたそうです」
お母さんという単語を聞いてずきりと頭が痛む。顔には出さずに、歩き続けた。
しばらく歩くと町の外れにまで出てきた。この先は森が広がっていた。千里眼は勇者に封印されているため、目の前の景色しか見えなかった。
「行きましょう!魔王」
アンが興奮したように言う。アンの細い手が、腕に絡まった。胸に打つ何かを気づかないふりをして、アンとの長いようで短い旅が今、始まった。




