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夕焼け、帰り道

作者: ヨコチ

とても短いです。

――――完璧な人間なんていない。そんな当たり前のこと、当たり前に知っていた。


 「四組の辻本さん、振ったんだってね」

 夏期講習の帰り道。いきなり朱璃はそんな事を聞いてきた。驚いて聞き返す。

 「おいアカ、なんでその話もう知ってるんだ? 振ったのは昨日だぞ」

 「女子の情報ネットワークを甘く見たらいけないよ」

 朱璃はニヤっと口の端を引き上げた。好物を目の前にした時の猫を連想させるような顔。実際に猫は笑わないが、パッとそんなイメージが浮かぶ。

 「それでぇ、今度は何がダメだったの?」

 「………………ホクロの、位置」

 気まずい。色々な意味で気まずい。この手の話はあまりしたくなかった。高校に入ってから彼女とこの類の話をするのは丁度十回目になる。

 「はぁ、またそんなどうでもいいような事で。……勿体無いなぁ。辻本さん、同性の私から見ても綺麗なのに。分かる? 可愛いじゃなくて、綺麗よ。綺麗」

 綺麗という単語を強調する朱璃。その単語の持つ意味は分かる。しかし、何故わざわざ強調して言うのかが分からない。

 「どう違うんだよソレ」正直に聞いてみる。

 「格式の違いかな。可愛いはお世辞みたいに気軽に言えるけど、綺麗は本当にそう思わなくちゃ言わないもの」

 「そんなもんかね」適当に相槌を打っておく。

 「そんなもんですよ。それにしても本当に勿体無い、どうして一個でも気に入らない点があるだけで断るかな。それ以外に良い所は沢山あるかもしれないのに」

 「しょうがないだろ。変だって自覚はあるけどその気にならなけりゃ付き合ったって意味がないし、それに相手にも失礼だ」

 はぁ〜、と大げさにため息をつかれる。

 「もっともなご意見、どうもありがとうございます。まぁいいけど、学ちゃんかっこいいから選ぼうと思えばいくらでも選べるしね……」

 そうなのだ。ここ数年で気付かされたのだが、自分はどうやら世間ではカッコイイだとか美男子だとか言われる立場の人間らしい。はっきり言って迷惑だった。いくら自分を好いてくれて告白してきたとしても、自分が好きでなければ意味が無い。

 神様がいるとしたら相当のヒネクレ者だと思う。そうに違いない。

 もしそれが違うとしてもかなりの暇人なのだろう。きっと今頃、自分の作品の様子を見ながらニヤニヤしているに違いない。


 振っていく理由のために相手の欠点を必死に探した。少しでも自分を正当化するために。

 いや、正当化なんて格好いいものなどではなく、これは単なる言い訳だ。

 ふぅ〜、とこちらも大げさにため息をついてみせる。

 「まったくもっていい迷惑だよ」素直な感想を口に出す。

 「世の男子が聞いたら怒り狂いそうなセリフだね。確かにその通りだけど、はたして学ちゃんを満足させる事のできる人はいるのでしょうか?」

 おどけたような口調でからかう彼女。風に揺れる赤髪。

 名前にあるように、その夕焼けに照らされた髪の毛は朱い宝石のようだった。 十数年見続けていても、思わず見とれてしまう。


 容赦ない日差しは暮れかけてなお健在で、飽きもせず大気の温度を保ち続けていた。

 「それにしても暑いねぇ。太陽もそろそろ明日のためにお休みしたほうがいいと思わない?」

 夏だというのに長袖を着た彼女が言う。手首まで覆う制服はシャツといえども暑そうだ。手をうちわにしてハタハタと風を送っている。

 「そうだな」

 とそっけなく返す。半袖を着ている自分でさえシャツに汗が滲む。彼女にいたっては言うまでも無い事だろう。鞄から団扇を出し彼女に渡す。

 「ほら、使えよ」

 「あっ、ありがとう。気が利くねぇ、さすが学ちゃん」

 嬉しそうに、パタパタと団扇で扇ぎだす朱璃。笑顔を向けられ、視線を逸らす。彼女の顔を見ないように歩き続ける。

 けたたましく鳴き続ける蝉の声が聞こえていた。余りにも必死なその声は、鳴き声よりは泣き声というほうが合っているのではないかと思う。

 そんなくだらない事を考えて、そういえば辻本さんの情報は誰から流れてきたのだろうと、気になって話しかけようと隣を見たが、そこに彼女はいなかった。

 振り返れば、扇いでいたはずの団扇を傍らにダラリと下げ、彼女はこちらをぼんやりと眺めていた。蜃気楼でも見るように遠くを見ているような、そんな目だった。

 「ねぇ、学ちゃん。突然だけど、私の欠点ってどんな所?」

 本当に突然そんな事彼女は口にした。

 「……そんな事聞いてどうする。欠点って外見の話か? それとも内面か?」

 「――両方」

 蝉の声にかき消されそうな程細く、それでいて有無を言わせないような強い口調。一瞬、その迫力に戸惑い、誤魔化していい様な雰囲気ではないと理解した。

 「…………何故か前髪で隠している額、飾り気の無い眉、平凡な高さの鼻、口の下にあるホクロ、意外に張っている食い意地、甘え性、いい年して俺をちゃん付けで呼ぶところetc,etc」

 とりあえず顔のパーツと性格を一つ一つ挙げていく。付き合いが長い分、他人より知っている事は多い。

 一つ言う度に彼女の表情は曇っていった。

「………………そんなにあるんだ。容赦ないね。因みにまだあるの?」

 「ある」

 きっぱりと断言する。面食らったように彼女は瞬きをした。そして自嘲気味な笑みをこぼす。

 「分かってたけどね。さすがにそんなにあるとは思ってなかったよ」

 「………………」

 「………………」

 お互いにとって気まずい沈黙が流れる。

 道に人影は自分達の二つしかなく、子供たちの遊ぶ声も、車の廃棄音も聞こえない。世界が要らぬ気を使ってるのではないかと思うほど、周囲は静かだった。

 このまま佇んでいれば、いずれ心臓の鼓動、血流の音すらも聞こえ始めるだろう。

 その沈黙を破ったのは彼女のほうだった。一回軽く息をついて話し出す。

 「実はね、振ったって情報が流れてきたの、辻村さん本人からなんだ。何だかすごい怒ってた」

 聞こうと思っていた答えが向こうから勝手にやってきた。予想とは大分違うようだが、今は口を挟むべきではない気がした。    

 ポツリポツリと、告白を続ける朱璃。

 「私と学ちゃんが付き合ってるんじゃないかって、だから振られたんじゃないかって言ってた。私、違うって言ったのに、信じてくれなかった」

 そう思うのももっともだろう。

 自分はどちらかといえばクラスでも静かなほうだし、女子に人気があるといっても親しく接しているのは朱璃位だ。

 幼馴染という事もある。学校内で気の使わなくていい唯一の相手が彼女だった。

 「何であんたなんかが、だって。そう言って一方的に電話を切っていったの」

 振ってよかった。高校に入学してから十回、女子を振ってきて初めて素直にそう思えた。同時に、もっと残酷な言い方で振ってやればよかったとも思った。握り締めた右の拳が痛い。とても痛い。 

 「言われた後、すごく不安になったの。そういえばどうしてだろう? なんで学ちゃんは私に優しいんだろう? …………どうして普通に接してくれるんだろうって」

 何も言わず耳を傾ける。今はまだ自分が発言する順番ではない気がする。

 拳の痛みはいつの間にか移動して、自分の手の届かない場所へ移っていた。すごく痛い。たまらなく痛い。

 「あたしみたいな欠陥品、学ちゃんとは釣り合わないよ。だってそうでしょ? さっきだって学ちゃん、あたしの欠点沢山言ったじゃない。そんなに知っていて、なのにどうして? …………どうしてそんな風に接しえくれるの…………」

 悲鳴のような告白。こちらまで悲しくなってしまう。所在不明の痛みはとっくに我慢できない程に成長していた。

 堪え切れない感情の奔流が喉元までせり上がってくる。

 悲痛な独白の締めくくりに、彼女はポツリと、こちらに向かって言葉を発した。 

 「答えてよ」

 「――――好きだから」

 一片の躊躇いも無く、一切の間を空けず、はっきりと断言する。あぁ、言ってしまった、とどこかで誰かが呟いた。散々好き勝手言ったんだ。今度はこちらが告白する番だろう。

 「好きだから」

 「……えっ、あれ?」

 唐突の告白に彼女は状況を理解できていないようだった。ぽっかりと口を開けている。あぁそれすらも、そう思った。

 丁度いい。言葉にしてしまうとどうにも安っぽい気がする。そう思って彼女に近付いた。

 目の前に近付いてくる自分を見上げる彼女、その右腕を覆う長袖のシャツの袖を捲る。

 「え、ちょっと、や…………」

 ――――そこにあるのは火傷の跡、一生彼女に付きまとう痛ましく、醜い焼け跡。

 流れるように、そして自然に口付けをした。手を離し、次いで彼女の頭を捕らえる。逃げられないために。

 「学ちゃん、え……え! ちょっと、待って!」 

 パニック状態の彼女はじたばたともがいている。待ってなんてやらない。答えろといったのは彼女のほうなのだから。抵抗をものともせず、滑らかな動作でその顔に唇を近づける。

 髪を上げて額、眉、鼻、そして口元のホクロ。彼女の唇と自分の唇が重なった部分が熱を持っているようだった。

 内面や性格が視認できたなら、きっとそこにも口付けをしていたと思う。

 一通り終了して手を彼女の頭から離す。途中から何も言わなくなった彼女の顔は、夕焼けでも誤魔化せない程真っ赤だった。

 「つまり、こういうこと。今キスした部分も、できなかった部分も含めて、アカが好きだってこと」

 呼び慣れたあだ名と言い慣れない言葉。それが混在している今の台詞は、ひどく現実感が薄いような気がする。

 そのせいか、呆然とした彼女はたった今接吻を受けた右腕を見つめている。

 確かめるように左腕で火傷に触れる。額、眉、鼻、ホクロ、撫でる様にそれぞれを触っていく。

 「…………熱い」

 ポツリとそう呟いた。

 「……どうしよう。嬉しい…………すごく嬉しくて、泣いちゃいそう」

 そう言って顔を手で覆う。泣き声の聞こえ出す前に、優しくその手を取った。

 「泣くなよ。笑ってくれ。アカの笑顔は好きだって、俺は思ってるから。笑って欲しい」

 「…………うん」

 そう言って彼女は笑った。思わず視線を逸らす。彼女の右腕についた火傷の跡に。


 もう何年も前の話を思い出す。朱璃の家は放火の被害に遭った。隣家も巻き込む大火事の中、奇跡的に彼女とその家族は救出された。その火事の際、彼女は右の腕に重度の火傷を負った。

 当時の自分はまだどうしようもなく子供で、新品の玩具に傷が付けば別の玩具に気が向くという気分屋だった。幼馴染の彼女にボンヤリと抱いていた新品の恋心にも、その一件でケチが付いたと思った。

 可哀相だと確かに感じた。それと同時に傷付いた彼女を見た時、この恋心もきっと冷めるのだろうとも思っていた。

 そう思いながら、憂鬱な気分で母と共にお見舞いに行った。扉を開けて病室の奥にいる彼女を見た時、思ったのだ。


 ――――あれ? まだ好きだぞ?

 

 そう思っただけで、輪郭の不鮮明な自分の気持ちをはっきりと自覚した。

 つまりはそういうことだった。

 腕に付いた傷なんて関係ないほどに彼女の事が好きだったってこと。何年もたった今でもこの思いは揺るがない確かなものだ。

 歪んでいるとは思っても、この気持ちを気付かせてくれたその傷に感謝した。

 顔や性格などの部分ではなく、自分は全体としての彼女が好きだったのだ。彼女が彼女である限り、彼女を好きでいつづけることができる。

 増えた欠点などでは揺るがない。自分にとっては、その欠点さえも愛しかった。

 そう思っていた自分は成長し、告白してきた女子の欠点を探して断る理由にするようになった。

 想う人は彼女一人だと、必死になって相手の欠点を探していた。

 自分と彼女に対する言い訳が、彼女を不安な気持ちにさせてしまったのかと思うと、素直じゃない自分に嫌気が差す。

 ただ一言、あの人以外に好きな人がいると言えばよかっただけなのに…………。

 それでも、それが原因で気持ちを伝える事ができた。散々遠回りをしてけれど、今はその事がとても嬉しかった。

 

 「ねぇ、学ちゃん。私の好きな所って、他にもある?」

 「ある」

 「そう…………よかったら、教えて欲しいな」

 長所も欠点も関係ない、好きになった理由は彼女が彼女である事だから、と言おうとして口を噤む。

 きっと彼女は自信が無いのだ。それを取り戻したくて、こちらの口から自分の事を聞きたいのだろう。

 彼女をこんな風にしてしまった自分には、自信を取り戻す手伝いをする責任があると思った。

 「だったら場所を移そう。立って話すには、俺の知ってる事は多すぎる」

 そう言って彼女の手を引いた。近く公園があるはずだ。小さい頃二人でよく遊んだ公園が、あの頃と変わらぬ姿のままで。

 夕焼けはしぶとく空にこびり付いている。じきに日が暮れて、周囲の風景の輪郭は闇にぼやけ始めるだろう。 

 それまでに、自分の知っている彼女の長所を言い切ることができるかどうかが心配だった。

 「ねぇ、学ちゃん」

 「何だ」

 「学ちゃんてさ、私が笑う時、目ぇ逸らすよね? 何で?」

 「…………それは……」

 言葉に詰まる。気まずい事この上ない。

 「何でかな? 何でかなぁ?」

 ニヤニヤと、猫の顔でこちらを覗き込む朱璃。

 言える訳が無いだろう。十何年も一緒にいて、未だに彼女の笑顔が恥ずかしくて直視できないなんて。

 執拗なまでに質問を繰り返す朱璃。

 早く公園について欲しいと思った。

 今、夕日に照らされている自分の顔は、その朱では誤魔化しきれないくらい真っ赤に違いない。

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