VOL.9 初めての同伴(真)
二度目に来店してから、毎日一度は実桜からメールが来るようになった。他愛のないことばかりだ。
二度目に来店した次の日は、ちょうど昼休みの時間帯に来た。
「まこちゃん最高❤
まこちゃんとおはなししてると
お仕事忘れちゃう♪」
確かに、楽しそうだったな。
真は昨日のことを思い出しながら、実桜が単に仕事モードだけで接しているのではないということを感じ取っていた。さりとて、自分に惚れていると思うほど自惚れてもいない。
俺は、楽な客か。
真はかなり正確に、実桜の心情を捉えている。だからといって、実桜が嫌いになったわけではない。
キャバクラで働くことの大変さを痛感している真は、たまにはそんな客がいてもいいのではないかと思っている。お人好しと言われればそれまでだが、真だって、嫌な客や鬱陶しい取引先ばかりを相手にしていては、心が折れそうになる。訪問するのも苦痛だ。逆に、いい客だと、訪問するのも楽しいし、商談にも力が入る。
どの世界でも同じだ。
ましてや実桜は、企業相手ではなく、個人の酔っ払い相手なのだ。そして、客は選べない。
そう考えると、実桜がかわいそうになってくる。
ここが、真の優しさであり、弱点でもある。
実桜は、売られたわけではない。
自ら進んでキャバクラという仕事を選択したのだから、なにも同情することはないのだが、真はそんなことは、露ほども考えていない。
頻繁に行くほどにはお金と時間の余裕はないが、たまには顔を出してもいいかなと、実桜の苦労を思いやりながら、真は実桜のメールを見つめていた。
真は客だからといって、なにをしても良いとは思っていない。
客の権利はただ一つ、嫌になれば行かなければいい。
それだけだと思っている。
相手もそれがわかっているので、あの手この手で、なんとか店に足を向けさせようとしているのだ。
真は、いつでも止めるつもりで、しばらくは実桜の店へ通おうと思った。自分が情に脆く、そして、情に流され易いということは計算に入れていなかった。
ともあれ、実桜から毎日メールが来るようになって、真は実桜の言葉を忘れずに、律儀に三回に一度はメールを返していた。
一週間も経った頃には、実桜からのメールを心待ちにしている自分がいた。
なんの変哲もない短い文章なのだが、着信に実桜の名が表示されると、心が躍るようになっていた。
二度目に店に行ってから、三週間が経った。
真は、とあるチェーン店のレストランの新規開拓を任され、その準備に忙殺されていた。
それまで受け持っていたお客を引き継ぐこともできないので、日中はこれまで通りの仕事をし、夕方から夜遅くまで新しい仕事の戦略を練り、休日は家や会社で資料作りに追われていた。
ある日の夕方、心身ともに疲れ切っていた真の許に、実桜からメールが届いた。
「元気してる?
しばらくあってないね
ちょっとさみしいな」
その文面を見て、真は無性に実桜に会いたくなった。
これが営業メールだということは、真にはわかり過ぎるくらいわかっている。しかし、文面を見ていると、自然と実桜の笑顔が頭に浮かんでくるのだ。
「明日以降で、空いてる日ある?」
気が付くと、実桜にメールを返していた。
返事は直ぐに返ってきた。
「あした大丈夫だよ❤
なんじ頃に来る?」
うまいと思った。
さりげなく決定事項として返している。これでは、明日行かないわけにはいかない。
真も営業畑で十年近くやってきたので、それなりの場数は踏んでいる。その真が、たった一文で追い込まれてしまった。それも、悪い気も起きないでだ。
まんまと実桜に乗せられたと思った真が、自嘲の笑みを浮かべる。
「じゃ、明日行きます。八時くらいかな」
暫く考えてから、真は返事を返した。
実桜は昼間も働いていて出勤はいつも八時だと言っていたので、その時間にした。
「八時だったら、いっしょに入らない?
まこちゃん お店に一人でくるのは初めてでしょ」
さも真に気を遣っているように見受けられるが、真は、キャストと一緒に店に入ると同伴扱いとなり、同半料を取られることを知っていた。それが、実桜の成績になることも。
普通の男だったら、怒って嫌味のひとつも返すところだが、真はそれでも構わないと思った。その程度のことが嫌だったら、店に行こうとは思わない。
気のいい真は、そんなことよりも、一緒に入るのだったら食事くらい奢らなければ悪いかなと考えた。
「了解です。もし良かったら、その前に食事でもしませんか? 時間がないのだったら結構です」
まるで、客に対するような、丁寧な文章を返す。
「うれしい❤
じゃ、七時でどう?」
即座に返事が返ってくる。
「なにがいいかわかんないので、実桜ちゃんの食べたいお店にしよう」
本当は自分が誘ったのだから、どこか洒落たお店にでも連れて行くべきだと思ったが、残念ながら、真はそんなお店にはとんと縁がない。それに、実桜の好物も聞いていなかったので、嫌な思いをさせてもいけないと考えた。だから、変な格好をつけずに、素直に実桜に委ねることにしたのだ。
これも普通の男だったら、高い店へ連れていかれるんじゃないかと思い、初めての同伴でキャストに任すなんてことは、なかなかできない。
真は、実桜はそんなことはしないという確信があった。
もし、実桜が高い店へ連れていくのなら、それはそれでいいとも思っていた。そんな女性なら、すっぱりと割り切れるからだ。これから何度も店へ通うことを思えば、いくら高かろうが、一度の食事代くらいは安いものだ。
「ありがと❤
あしたまでにきめておきます」
これで、メールのやり取りは一段落した。
落ち着いてみると、自分が馬鹿みたいに思えて、真の胸に後悔の念が湧いた。しかし、もう約束してしまったのだ。いまさら、断るわけにはいかない。
次の日の昼、実桜から待ち合わせ場所を知らせるメールが届いた。
そのときには、真の胸に後悔はなかった。あるのは、自分が初めてキャバ嬢と同伴するという、期待と不安と感慨が入り混じった複雑な感情だけだ。
約束の時間の十分前、真は複雑な感情を抱いたまま、実桜との待ち合わせ場所にいた。
約束の時間が迫るにつれ、真は、もし実桜が来なかったらどうしようと、一抹の不安に捉われた。
真の心配は杞憂に終わり、実桜は約束した時間丁度に現れた。
実桜の顔を見た途端、真の心がときめいた。
「今日はありがと、誘ってくれて。嬉しかった」
実桜が満面に笑みを湛えて、真の前に立つ。
その言葉を聞いて、勇気を出して誘ってよかったと思った。
黒いワンピースで身を固めた実桜は、店で見る雰囲気とは、まったく様子が違っていた。派手さはないが、それがより一層、実桜の魅力を引き立たせている。
「どこへ行く?」
真は緊張している自分を悟られまいと、務めて陽気な声で尋ねた。
「実はね、もう予約してあるの」
実桜が連れていってくれたのは、実桜の勤める店の近くにある焼き鳥屋だった。その店は、サラリーマンが行くような庶民的な店だった。
自分に気を遣ってくれたのだろうと思い、真は、一段と実桜に好感を抱いた。
ここでも実桜は、店と変わらず、気さくでありながら、真を立てる気遣いもみせた。
実桜と会話を重ねていくうちに、真の緊張がほぐれていく。
この娘なら、多少騙されていたって構うものか。自分ができる範囲は騙されていると思っても、あえて騙されてやろう。
実桜の笑顔を見つめながら、真は思っていた。