VOL.8 二度目の来店(実桜)
真が店に来てから、もう二週間になる。
あれから、三日に一度は真にメールを打っていた。本当は毎日メールしたいのだが、真に引かれても困るので、自分を抑えつけながら、この頻度に抑えているのだ。
不思議だった。たった一度しか応対していない客に、こんなに会いたいと思うことは、これまで一度たりともなかったのに。
それほど楽な客を求めている自分に、心の中で自嘲する。
メールの文面は、いつも簡素にしている。
「きょうはいいお天気だね」
「きのうはお休みだったのでゆっくりできました」
「こんちは❤ まこちゃん元気?」
大体このような文面で、最初のメール以来、「会いたい」という言葉は意図的に使っていない。
真からは、最初のメールで返信があってから、それ以降は返信がない。
義理堅い真のことだから、何度かに一回くらいは返信がくると思っていたが、実桜のアテははずれた。
最近では、もう来ないものと諦めかけていた。
実桜は真と出会ってから、店に来る客が、ますますうっとうしい存在になっている。
あれから、新規の客とも毎日のように接客しているが、真のような男はいない。
下ネタを言って、悦にいる者。
得意げに自慢話をする者。
露骨にホテルへ誘う者。
延々と説教を垂れる者。
無理に酒を飲ませようとする者。
みんな、これまで実桜が相手にしてきた、馬鹿のオンパレードばかりだ。
いくらキャバクラで働いているとはいえ、女性に平気で下ネタを言って、なにが楽しいのか。
それに、自分の自慢をする男に限って、実桜が見るところ、大したことのない奴らばかりだし、露骨にホテルに誘うなんて論外だ。
説教をする者は、みんないい歳をしたおっさんだ。歳だけでいえば、会社でそれなりの立場に就いているはずだから、説教をしたければ会社ですればいいではないか。多分、会社では言いたいことも言えず、我慢しているんだろう。その鬱憤を、客という立場を利用して、実桜のような立場の弱い人間にぶつける。
最低だ。
そういった人間に少しでも反論しようものなら、直ぐにキレて怒鳴り散らし、黒服を呼んだりする。店の教育がなっとらんと、黒服にも説教を始める。
実桜はお酒が飲めない。
そのことは初めての客には断りを入れるのだが、大抵は素直に受け取らない。
「俺の酒が飲みたくないのか」
「酒を飲めないやつが、こんな店で働きはしないだろう」
また、それを信じたにせよ、「酒は、飲むより慣れろだ」と無理に飲ませようとしたり、「飲めないなら飲めないなりに、俺を楽しませてみろよ」とわけのわからないことを口走って、身体を触ってきたりする。
「飲めないのだったら、無理に飲むことはないよ。店には、お酒以外のドリンクもあるんだろ。それを頼めばいいさ」
素直にそう言ってくれる男は少ない。真は、その数少ない一人だった。
いくら仕事とはいえ、いくら自分が選んだ道とはいえ、毎日が辛すぎる。
ここ最近、心が折れかけていた美緒は、真に合いたいと切実に思っていた。
今日も、新規の客を相手にしていた。
そしてその客は、いつもと変わらぬ、くだらない男だった。そんなとき、黒服が指名だと呼びにきた。
今日は、馴染客がくる予定はない。
指名をしてくる客とは、大抵連絡を取り合っているので、誰がいつ来るかもわかっているし、あまり被らないようにコントロールもしている。
指名してくれる客が大事なのではなく、毎日まんべんなく売上を上げたいからだ。
それに、指名をする客に限って、バッティングすると機嫌が悪くなり、怒ったり嫌味を言ったりする。
指名料も発生するわけだから、客としては当然かもしれないが、それにしても、自分を応援する気があるのなら、心を広く持って、でんと構えてしてほしいものだと、実桜は思う。
これは実桜だけに限ったことではない。そういった心に余裕のある男こそが、心底キャストに惚れられたりするのだ。
誰だろう?
実桜は訝しんだが、この男と離れられるのがホッとした。
「呼ばれちゃった」
そんな心をおくびにも出さず、実桜は残念そうな顔を装って、男に断りを入れて席を立つ。
「なんだよ、もう行くのか。これから、仲良くなろうと思っていたのに」
男が、立ちかける実桜の手を掴んだ。
あんたの仲良くなるは、私の身体を触ることでしょ。
実桜は男の手を振り払いたくなくるのを堪えて、「ごめんね」と優しく男の手を離した。
男に背を向けたとき、実桜の顔に、微かに安堵の表情が浮かんだ。
あいつだったらどうしよう。
突然来そうな、何人かの馴染客を頭に描きながら呼ばれた席に行く。そこに座っている男の顔を見て、実桜の心が躍る。
「嬉しい。来てくれたのね」
真の顔を見るなり、思わず笑顔になっていた。
そのまま、真の隣に座る。
嬉しさのあまり、真の膝に自分の膝をくっつけるようにして、寄り添うように座った。
真が、思わず隣の連れを見る。
照れくさいのだろうと、実桜は思った。
真のそんな仕草も、実桜には好感が持てた。
「いつも、メールありがとな」
ぎこちなくではあるが、真が笑顔で礼を言う。
「読んでくれてたんだ」
自分のメールが無視されていたのではないかと思っていた実桜の顔が、思わず綻ぶ。
「最初の一度きり返事が来ないから、きっとスルーされてるものたと思ってたのよ」
実桜には珍しく、本心から拗ねていた。
「悪いな。どう返していいか、わからなかったんだ」
真の言葉に嘘はないようだ。
すまなさそうにしている真には悪いが、実桜は、真の純情を利用することにした。
「いつもとは言わないけど、たまには返事を返してくれると嬉しいな。内容はどうだっていいのよ」
息がかかるくらい顔を近づけ、切なげに言う。ついでに、膝もくっつける。
またもや真が、連れを見る。
実桜には、真が動揺しているのが、手に取るようにわかった。
「わかった。今度からは、心掛けるようにするよ」
真が実桜から膝を離し、実桜の目を見つめながら、真摯な口調で答える。
やっぱり、このひとはいい。
二度目の来店で、態度を崩す男も多い。
真は自分に会いにきたにも係わらず、恩を着せることもなければ、馴れ馴れしくすることもしない。
実桜は、自分の直感が正しかったことを知った。
「嬉しい。これからもメールするね」
ダメを押すように、再び膝をくっつけた。
それからひとしきり、他愛もない雑談をして過ごした。
真と会話をしていると、本当に楽しい。他の客とは違い、自分が何度も本気で笑っている。真も、自分の笑顔に乗って笑ってくれている。
自分は真に指名されているので、ずっと真と一緒だ。
真が連れて来た男がキャスト変える度、実桜はそう思って嬉しかった。
真と話をしていると、一時間なんてあっと言う間に過ぎ去った。
スタッフが延長を尋ねにきたが、もう遅いから帰ると、真が断った。
実桜は、もう少し真と話をしていたかったが、引き止めることはしなかった。
引き止めると、真が困るであろうことをわかっていたからだ。
「また来てね」
店を出ていく真に、実桜は明るく言って手を振った。
やっぱり、真は最高だ。
真と過ごしている時間は、自分にとって楽だし、くつろげる。
これでお金がもらえるなんて最高だ。
相変わらず自分勝手な目論見から、実桜は、真をもっと自分に傾けさせようと思った。
このとき、実桜自信は気付いていなかったが、自分勝手なのではなく、毎日のストレスで悲鳴を上げていた実桜の心が、安らぎを求めていたのだった。