VOL.6 メール(実桜)
真が帰ってからもずっと、実桜は真のことを考えていた。
経験豊富な実桜には、一目惚れなんてありえない。それどころか、何度店に通おうが、客に恋することなど、プロとして絶対にない。
キャストには、客と恋愛して結婚する女の子もいるし、今の彼氏が元はお客さんという女の子もいっぱいいる。
しかし、一目ぼれなんてことはありえない。
キャバ嬢から見れば、客は金づるなのだ。商品に手を付ける商売人はいない。
男にとって冷たいようだが、それが、この世界なのだ。
一部には、ただ贅沢したいだけや、高価なブランド物のバッグやアクセサリーや服がほしいがために、男を食い物にしている女性もいるだろうが、キャバクラやクラブで働いている女性の大半は、普通のサラリーマンよりも真面目に仕事に取り組んでいる。
仕事や家庭に疲れた男を癒したい。
女性としての武器を最大限に活かして、もっと自分を磨きたい。
そう思って、この世界に飛び込む女性も多い。
世間一般では、クラブやラウンジはまだしも、キャバクラに対しての印象はすこぶる悪い。
馬鹿な女が簡単に金を稼ぐために、こんな店で働いているのだろう。そして、稼いだ金は、男に貢ぐか、ホストに入れあげるか、海外旅行やブランド品を買い漁っているに違いない。
そう思っている男共は多い。店へ来る客の大半が、そう思っているといっても、過言ではない。
だから、キャストを見下したり、寝る対象としてしか見ない。
金さえだせば、簡単に男と寝ると思っているのだ。そして、そういった考えが最低だということには気付かないで、店では威張り散らしたり、口説きまくったりする。
ところが、世の男が思うほど、この世界は甘いものではない。
更衣室には成績のグラフが張られ、誰が一番売上を上げていて、誰が成績が悪いのか、一目瞭然になっている。遅刻や欠勤をすれば、一日の給料以上のペナルティを課されるし、同伴ノルマや売上が達成できなければ、これまた多額のペナルティを取られる。
お酒を飲みながら話をするだけで、楽に稼せいでいる思ったら大間違いなのだ。
しかし、厳しいのはそれだけではない。
夜遅くまで酔っ払いの相手をして、自分も多量のお酒を過ごさなければならないし、欲望を剥きだしにした男共をうまくかわし、次に繋げなければならない。いくら来てほしくない客であっても、そうしないといけない。
彼女たちは、よほどでないと客を切ることはしない。
嫌な客を簡単に切っていたら、誰も残らないからだ。
それほど、キャバクラに来るような男には、ロクな奴がいない。
成績と夜更かしと酒、それに、セクハラや自慢しい、威張りたがりの男たちを相手にしていては、身も心も壊れてゆく。
事実、実桜は、身体を壊して辞めていった者や、心を壊して自殺未遂をしたキャストを、何人も知っている。
そこまでして、なぜ、この世界に止まるのか。
人には、それぞれ天職というものがある。
特に夜の世界は、天職でないと長続きしない。
楽してお金を稼ぎたいとか、お金のために平気で客と寝るような女は、客とトラブルを起こしたり、客に恨みを買ったりで、ひとつの店には長くいられなくなり、いくつもの店を転々とする。
そんな理由から、この世界で、ひとつの店で長く務め、常に上位の成績を取り続けていこうと思えば、プロに徹しなければやっていけないのだ。
しかし、いくらプロに徹していても、人間である以上、疲れもするし、嫌気が差すこともある。
実桜も、何度も心を壊し、その度に挫けかけた。
実桜を踏み止まらせ、支えてきたものは、幼い頃の体験と、悲惨な結婚生活、それに、多額の借金の返済。それらを背負って一人で生きていこうとする実桜にとって、そんなことで挫けてはおれなかった。
真は、実桜にとって、珍しく安心のできる客だった。
実桜の出で立ちがそうさせるのか、これまで実桜に付いた男は、ほぼ例外なく、実桜の身体を求めてきた。酷いのになると、初めての席に着いて直ぐに、ホテルに誘ってくる。実桜がやんわりと断ると、キャバ嬢のくせにという、完全に尊厳を無視した言葉を投げつけてくる男もいる。
たまに実桜の身体を求めない男もいるが、そんな男は、自分のことばかりを喋り続けるか、実桜がなにを話し掛けても、終始無言でいるかだった。
自分のことばかりを喋り続ける男は、いくらうっとうしくても、黙って相槌さえ打っておけばまだ楽だが、終始無言でいる男は、なにをしに店へ来ているのか、さっぱりわからない。
その男は、三回目で出入り禁止になった。
真は、そんなこれまでの、どの男とも違った。
キャバクラは自分の性に合わないと言いながら、威張ることもなく、下卑た欲望を見せることもなく、自慢話をすることもなく、実桜の話に耳を傾け、実桜が気を遣わない程度に、自分から話をしたりした。
口には出さなかったが、連れてきた客や周りの客を見て、男の欲望を剥きだしにしている姿に、嫌悪感を抱いていたようであった。
実桜の話を聞き、自分の仕事を大変だと言ってくれた。
その口調には、真実の労りがあった。
こんな男もいるんだ。
真を見て、実桜は、少し男というものを見直した。
辛い仕事の、一服の清涼剤になる。
月に一度でもいい。心を許せる客がいれば、どんな辛いことにも耐えることができる。なにより、男というものを、心から嫌悪しなくても済む。
実桜は、そんな男を求めていた。
真のような男は一旦取り込めば、非常に扱いやすい。そうなれば、自分に尽くしてくれるのではないか。
長年、多くの男をあしらってきた実桜には、それがよくわかった。
そんな自分勝手な思いから、実桜はなんとか真を取り込もうとした。
昨日の様子では、自分から再度来るようなことはないだろう。
冷静に真のことを観察していた実桜は、そう読んでいる。
まずは、メールだ。
昨日貰った名刺に、メールアドレスも記載してあった。
個人名なので、会社のメールに送ってもいいだろうと、実桜は判断した。
営業の常套手段であるメールを、いかに効果的に打つか。
「きのうはありがと
楽しかった
またあいたいな」
考えた挙句、簡単な文面にした。
新規の客に、いつも打つのと同じような内容だが、少し変えた。
「昨日はありがとう
また会えるといいね」
これが、いつものメールだ。
ひらがなを多くすると、馬鹿な女と思われて軽く見られるし、「会いたい」と打てば、これまた馬鹿な男共が、大いに勘違いをする。
「会えるといいね」と言っておけば、男は、勝手に勘違いして店にくる。
それに、なにを言われようと、ただの希望なので、いくらでも言い逃れができる。
ましてや、楽しくなんかないので、「楽しかった」なんて、絶対に入れない。
真は、そんな勘違いをする男ではない。
だから、ひらがなを多めに使って可愛らしさを演出し、「ありがとう」ではなく、「ありがと」と切って、親しみを込めた。
それに、本当に楽しかったので、素直に「楽しかった」と入れた。
しばらくして、真から返信がきた。
「こちらこそ楽しかった」
それだけだった。
「俺も会いたい」とか、「今度行くよ」とかいう言葉はなかった。
実桜は少しがっかりしたものの、希望も持てた。
なんとも思っていなければ、返信をしてくるはずがない。
そう思ったものの、昨日の真を思い浮かべて、律儀そうだと思った実桜は安心してはいけないと、自分を戒めた。
客からのメールで、実桜がこれほど悩むのは珍しい。
真のような男に、媚を売ったり、追撃するようなメールは逆効果だ。
そう思った実桜は、長期戦でいくことにした。
「うれしい❤
ほんとうに またあいたいな」
その日はそれだけを返した。
もちろん、返信は期待していなかった。